Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

5世紀の「倭の五王」

2014年09月25日 22時35分50秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 本日の古代史セミナー9月講座の講師は田中史生関東学院大学教授による「倭国の外交と「大王」の「治天下」」。5世紀の「倭の五王」の東晋・宋への朝貢の背景と雄略に擬せられる「倭王武」以降の朝貢途絶についての講義があった。
 詳細は省くが、「倭王武」の朝貢以降6世紀の遣隋使まで倭から中国への朝貢が途絶えたことについて、西嶋定生などの「倭国なりの天下論で中国の冊封体制からの離脱指向」とは言えないという視点での説明が行われた。
 朝鮮半島での高句麗の強大化・南下、ならびに山東半島の所有権が中国の南朝から北朝の北魏に移ったことで通行が困難になったこと、北魏と高句麗の接近に伴う北魏への朝貢の機会喪失などの国際環境からの説明が行われた。これは新しい視点のようで、なかなか示唆に富む視点ではないかと感じた。
 冊封体制下では、中国の天下概念に抵触しない限り、独自の「天下」は中国の天下の「一隅」として位置連れられる限り中国の許容範囲であった、とのことも指摘された。
 高句麗も「太王」「天下」を称しているが、中国皇帝を頂点とする冊封体制への対抗意識は持っていなかったという指摘もあった。

 このような行き詰る対中・対朝鮮外交の中で、倭国自体の支配体制も混乱し、あらたな支配の体制を模索し、「大王」号や「天下」観を再構築したのではないか、葛城・吉備氏などにかわり、物部氏・大伴氏などの台頭へとつながるのではないか、というところまでが本日の講義内容であった。

 とても示唆に富む刺激的な講義内容だったと思った。


写真展「昭和」

2014年09月25日 18時51分16秒 | 読書
  

 古代史セミナー9月講座の会場である神奈川県立地球市民かながわプラザで、写真展「昭和」(写真家が捉えた時代の一瞬)を開催していた。講座終了後に450円で入場した
 木村伊兵衛、入江泰吉、土門拳、浅野喜市、濱谷浩、緑川洋一、林忠彦、芳賀日出男、長野重一、田沼武能、熊切圭介の11人がの写真家が昭和10年(1935)~45年(1970)までの作品161点が展示されていた。
 大正デモクラシーの時代の残照が残り、関東大震災からの復興が東京をはじめ都市を大きく変えた時代から、昭和の恐慌を経て日中戦争から第二次世界大戦にのめり込み、敗戦、戦後復興、高度成長期と政治の季節への道筋がモノクロームの印画紙に克明に記録されている。
 大正デモクラシーの明るくそして逞しい庶民の生活が、昭和恐慌から日中戦争へと急傾斜で市民生活を圧迫し、国民をあっという間に巻き込んでいったか、人々の表情から察することもできる。同時に大正デモクラシーの残照の時代の人々の明るい表情がとても印象に残った。あの明るい表情の下には、戦争の足音が迫っていたと思う。さらにあの明るい世界の後ろには明治維新以来のアジアにおける覇権を求める日本のアジア侵略と、国内における過酷な格差社会と収奪が存在していたことを思い出す必要がある。
 しかし果たしてあの戦争の惨禍から回復することができたのであろうか。高度成長を経て豊かな社会になったといえるのだろうか。明治維新以降の近代化の歪みが私たちにもたらしたものは何か、あの戦争がもたらした惨禍とは経済的な損失だけではなかったのではないか、高度経済成長はそれらの歪みを拡大再生産しただけではないのか、いつもこんな疑問を私は持ち続けている。

 そんなことを想いながら会場を後にした。

 下の写真は土門拳の「原爆ドーム」(昭和32年(1957))。



回復過程に

2014年09月25日 10時31分06秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 妻の風邪は熱は平熱となり、咳もほぼ治まったようだ。昨日の午前までは、咳も気管から粘着質の音がしていたのが、昨日の午後からは頻度は少なくなり痰の絡まる音も無くなっている。ようやく回復過程に入ったようだ。水っ洟から粘着質の洟に変わってきた。

 取りあえず心配が無くなったようなので、午後からの講座に出ることが出来そうだ。雨と風がまだ収まらないが、予報では次第に収束に向かうようだ。風が収まりさえすれば危険はないような雨量らしい。
 早朝より風が少し強まったようだが、雨は多くない。時々日がさしてくる。

 今のところ私にはうつっていないようだ。

 本日の講座は、古代史セミナー9月講座の2回目で「倭国の外交と「大王」の「治天下」」(講師:田中史夫関東学院大学教授)。