本日の古代史セミナー9月講座の講師は田中史生関東学院大学教授による「倭国の外交と「大王」の「治天下」」。5世紀の「倭の五王」の東晋・宋への朝貢の背景と雄略に擬せられる「倭王武」以降の朝貢途絶についての講義があった。
詳細は省くが、「倭王武」の朝貢以降6世紀の遣隋使まで倭から中国への朝貢が途絶えたことについて、西嶋定生などの「倭国なりの天下論で中国の冊封体制からの離脱指向」とは言えないという視点での説明が行われた。
朝鮮半島での高句麗の強大化・南下、ならびに山東半島の所有権が中国の南朝から北朝の北魏に移ったことで通行が困難になったこと、北魏と高句麗の接近に伴う北魏への朝貢の機会喪失などの国際環境からの説明が行われた。これは新しい視点のようで、なかなか示唆に富む視点ではないかと感じた。
冊封体制下では、中国の天下概念に抵触しない限り、独自の「天下」は中国の天下の「一隅」として位置連れられる限り中国の許容範囲であった、とのことも指摘された。
高句麗も「太王」「天下」を称しているが、中国皇帝を頂点とする冊封体制への対抗意識は持っていなかったという指摘もあった。
このような行き詰る対中・対朝鮮外交の中で、倭国自体の支配体制も混乱し、あらたな支配の体制を模索し、「大王」号や「天下」観を再構築したのではないか、葛城・吉備氏などにかわり、物部氏・大伴氏などの台頭へとつながるのではないか、というところまでが本日の講義内容であった。
とても示唆に富む刺激的な講義内容だったと思った。
詳細は省くが、「倭王武」の朝貢以降6世紀の遣隋使まで倭から中国への朝貢が途絶えたことについて、西嶋定生などの「倭国なりの天下論で中国の冊封体制からの離脱指向」とは言えないという視点での説明が行われた。
朝鮮半島での高句麗の強大化・南下、ならびに山東半島の所有権が中国の南朝から北朝の北魏に移ったことで通行が困難になったこと、北魏と高句麗の接近に伴う北魏への朝貢の機会喪失などの国際環境からの説明が行われた。これは新しい視点のようで、なかなか示唆に富む視点ではないかと感じた。
冊封体制下では、中国の天下概念に抵触しない限り、独自の「天下」は中国の天下の「一隅」として位置連れられる限り中国の許容範囲であった、とのことも指摘された。
高句麗も「太王」「天下」を称しているが、中国皇帝を頂点とする冊封体制への対抗意識は持っていなかったという指摘もあった。
このような行き詰る対中・対朝鮮外交の中で、倭国自体の支配体制も混乱し、あらたな支配の体制を模索し、「大王」号や「天下」観を再構築したのではないか、葛城・吉備氏などにかわり、物部氏・大伴氏などの台頭へとつながるのではないか、というところまでが本日の講義内容であった。
とても示唆に富む刺激的な講義内容だったと思った。