Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

夏目漱石と大塚楠緒子

2014年09月07日 21時25分46秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 先ほど「重陽の節句と黄菊」をアップしたが、その中で漱石の句「ある程の菊投げ入れよ棺の中」を取り上げた。
 この句は漱石の友人の大塚保治の夫人楠緒子の死に際しての句である。当時漱石もいわゆる伊豆の大患で生死の間をさまよい一命をとりとめて療養していた。その時に大塚楠緒子の訃報に接し、この句を作った。
 漱石自身も死を覚悟した時期でもあり、どこか死が傍にあるような切実感のある句である。

 以下は夏目漱石の「硝子戸の中」の一節を引用してみる。

 私の眼にはその白い顔が大変美しく映った。私は雨の中を歩きながらじっとその人の姿に見惚れていた。同時にこれは芸者だろうという推察が、ほとんど事実のように、私の心に働らきかけた。すると俥が私の一間ばかり前へ来た時、突然私の見ていた美しい人が、鄭寧(ていねい)な会釈を私にして通り過ぎた。私は微笑に伴なうその挨拶とともに、相手が、大塚楠緒さんであった事に、始めて気がついた。
 次に会ったのはそれから幾日目だったろうか、楠緒さんが私に、「この間は失礼しました」と云ったので、私は私のありのままを話す気になった。「実はどこの美くしい方かと思って見ていました。芸者じゃないかしらとも考えたのです」
 その時楠緒さんが何と答えたか、私はたしかに覚えていないけれども、楠緒さんはちっとも顔を赧(あか)らめなかった。それから不愉快な表情も見せなかった。私の言葉をただそのままに受け取ったらしく思われた。
 それからずっと経って、ある日楠緒さんがわざわざ早稲田へ訪ねて来てくれた事がある。しかるにあいにく私は妻と喧嘩をしていた。私は厭な顔をしたまま、書斎にじっと坐っていた。楠緒さんは妻と十分ばかり話をして帰って行った。
(略)
 楠緒さんが死んだという報知の来たのは、たしか私が胃腸病院にいる頃であった。死去の広告中に、私の名前を使って差支ないかと電話で問い合された事などもまだ覚えている。私は病院で「ある程の菊投げ入れよ棺の中」という手向(たむけ)の句を楠緒さんのために咏んだ。それを俳句の好きなある男が嬉しがって、わざわざ私に頼んで、短冊に書かせて持って行ったのも、もう昔になってしまった。
         硝子戸の中(25) から

 本名大塚楠緒子といわれるこの女性は漱石の永遠の女性ともいわれ、鏡子夫人の書いた「漱石の思い出」では触れられていない。彼女の夫の大塚保治は「我が輩は猫である」の美学者「迷亭」のモデルといわれる。この女性は漱石ではなく大塚保治を選択し(あるいは漱石が「譲った」か)、結ばれなかったことが後の漱石の小説世界へとつながったという評伝もあるようだ。実際のところは私にはわからない。その真偽を追求することもないと思う。
 彼女はいくつかの小説とゴーリキーの翻訳などを行っている。

 詩人の高畑耕治氏のブログ「愛(かな)しい詩歌・高畑耕治の詩想」の2012年10月7日の記事に、「大塚楠緒子の詩。女心に咎ありや。」というのがある。そして彼女の詩「お百度詣」を引用している。(http://ainoutanoehon.blog136.fc2.com/blog-entry-408.html)

 初回は、大塚楠緒子(おおつか・くすおこ、1875年明治8年~1910年明治43年)の詩です。私はこの詩人を知らず作品も今回初めて読みました。
 「太陽」1905年明治38年1月第十一巻第一号に初出。日露戦争を背景にしています。
 この特集でもこの詩人の次に同じ戦争を背景にした与謝野晶子の詩「君死にたまふことなかれ」が掲載されています。(次のブログで書きました「戦争を厭う歌。『日本歌唱集』(五)」)。

  お百度詣     大塚楠緒子

ひとあし踏みて夫(つま)思ひ、
ふたあし国を思へども、
三足(あし)ふたゝび夫おもふ、
女心に咎ありや。

朝日に匂ふ日の本の、
国は世界に唯一つ。
妻と呼ばれて契りてし、
人も此世に唯ひとり。

かくて御国(みくに)と我夫(つま)と
いづれ重しととはれなば
たゞ答へずに泣かんのみ
お百度まうであゝ咎ありや

 作品は近代詩の曙光といわれる島崎藤村の『若菜集』などと同じように、文語の七五調、音数律のリズム感の快さが散文ではない詩として感じとらせてくれます。
 私は、世間一般の論調が、戦争讃美の勇ましさを善と叫んでいる時代に、このような静かな心の真実を作品とした作者を尊敬します。
 晶子の詩のような強靭さとは違う問いかけ方をこの詩人はします、自問するように。「女心に咎ありや。」
 国と愛する人を計りにかける、隠れキリスタンへの踏み絵のような問い詰めに対して、晶子のように真正面に反論する方法ではなく、この詩人のありのままの想いで抵抗します。
「たゞ答へずに泣かんのみ」
 私は、人間には真理は示せないけれど、心の真実をふるわせ伝えようとすることはできる、それが詩だと思います。
 晶子と楠緒子は、それぞれの個性のふるえだす形で、偽りのない心の真実を歌っているから、表情はちがうそれぞれの詩が、心を打つのだと思います。この詩に出会えてよかった、そう感じます。

と記されている。私は大塚楠緒子という名は聞いたことがあるが、作品を見るのは初めてである。高畑氏の指摘のとおり、与謝野晶子の詩のように強靭でもストレートなもの言いではないが、抑制された表現の後ろに芯をしっかり構えているように感じた。いい詩を教えてもらったと思う。
 その上で漱石の俳句とこの詩を、並べてみるのもいい。いろいろと考えが浮かんでくる。いづれも根拠のない想像であっても、作品相互の響きあいというのは心をときめかせることがある。また彼女の作品ばかりか与謝野晶子の作品も含めて、日露戦争という時代、国家の論理が社会を覆う時代への、漱石なりの違和感も含めてあの句があったと理解してもいいかもしれない。あながち飛躍しすぎともいえないと、勝手に思っている。

重陽の節句と黄菊

2014年09月07日 16時25分51秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 重陽の節句は9月9日、今年の旧暦では10月2日になる。
 何年か前にふとしたことから菊の花に惹かれてから、この日が気になるようになった。重陽の節句というのは別名菊の節句ともいう。菊の花というのはどうも好きになれなかったが、光るような黄色の大きな花をある年の菊花展で見て、気に入って購入した。
 3本仕立ての高さ50センチに満たない小さな鉢だったが、長い間輝くような黄色を楽しませてくれた。翌年位は大きな花をつけてくれる。3年目には我が家の管理では花は極端に小さくなるか、蕾もつけなくなる。そうするとまた安いものを購入してくる。そんなことを幾度か繰り返している。
 基本的に黄色が好きで購入するのはほぼこの色である。3年ほど前に小さな花がつくものを4鉢ほど買ってみた。これはこれでまたいいものである。少しずつ好みも変わってくるものである。


★辞書買ひに出づ重陽の陽射し浴び  原口英二
★きしきしと重陽の米研ぎにけり  吉田みえ子
★重陽の膳なる豆腐づくしかな  藤本美和子
★菊の日や水すいと引く砂の中  宇佐美魚目
★重陽や子盃なる縁の金  鷹羽狩行
★次の世のしづけさにある黄菊かな  浅井一志
★ある程の菊なげ入れよ棺の中  夏目漱石
★白菊の目に立てて見る塵もなし  松尾芭蕉


 本日は朝から小雨がふったりやんだり、部屋の外も内も湿気が多い。外は涼しいが、部屋の中は蒸し暑い位である。
 朝から何となく出そびれて、この時間までパソコンの前でグズグズしてしまった。雨の日というのは、気分が内向きになる。


今井信子「ヴィオラ協奏曲」(バルトーク、ヒンデミット)、 「浄夜」(シェーンブルク)

2014年09月07日 15時50分01秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 今井信子の独奏によるバルトーク(1881-1945)のヴィオラ協奏曲、ヒンデミット(1895-1963)のヴィオラ協奏曲「白鳥を焼く男」、シェーンベルク(1874-1951)の浄夜(弦楽合奏版) を聴いている。
 3人の作曲家はともに現代音楽の旗手として有名だが、いづれも19世紀後半以降に生まれ、ナチスの迫害を受けアメリカに亡命し、第二次世界大戦後に亡くなっている。ヒンデミットは超絶技巧のヴィオラ奏者としても活躍している。
 2008年の録音だから今井信子65歳の時の演奏である。

 現代音楽はあまり私は聴くことは少ないのだが、レコード店で表紙にパウルクレーの「昇りゆく星」(1931)が使われているのと、今井信子演奏というのに惹かれて、なんの躊躇もなく購入した。購入してとても満足している。

 ヒンデミットのちょっとショッキングな「白鳥を焼く男」の題名の由来は、終楽章が「あなたは白鳥の肉を焼く人ではありませんね」という民謡を元にしていることからつけられたという。しかしこの民謡の歌詞の内容をネットで探したがわからなかった。

 ヴィオラという楽器、管弦楽曲の中では目立たないが中低音の支えとしてとても重要な楽器である。ところが音としては目立たない。楽器の構造上からもどこかどんよりとした音質である。バイオリンのようにキリッとメリハリの効いた音質ではない。チェロのように朗々と響くわけでもない。そのくせ音色はやはりバイオリンやチェロに似ている。自己主張の特異でない楽器である。音も少し弱い。
バイオリンよりも4度低いだけの楽器なのだが、こんなにも性格が違うというのが不思議である。管弦楽曲でも、弦楽合奏でも、あるいは弦楽四重奏・五重奏でもヴィオラを聴き分けることのできる人は少ない。弦楽器を惹いたことのある人でないと区別がつかないらしい。
 
 ヴィオラの曲はいづれも今井信子のものしか私は持っていない。バッハのヴィオラソナタ、バッハのチェロ組曲のヴィオラ版、ブラームスとシューマンのヴィオラソナタ。この3枚と今聴いているCDだけなので、他のヴィオラ奏者との比較ができない。しかし自在で、高音ではヴィオラらしい音の厚みを感じさせながらもバイオリンに伍するような美しい音を聴かせてくれる。
 特にこのバルトーク、ヒンデミット、シェーンベルクの、境遇は共通しているものがあるものの曲の個性はまったく異なる曲をエネルギッシュに弾き分けている。3曲とも20分を超える大曲で、技巧も高度である。

 パルトークのヴィオラ協奏曲はバルトークの遺作ともいうべき曲で、独奏パートは作られていたが、オーケストラ部分は簡単な和声の進行しか出来上がっていなかったものを死後弟子が補作したらしい。
 この3曲の中では一番親しみの湧く曲かもしれない。特に第2楽章は美しい。ヴィオラの中低音の美しさに着目した曲である。第3楽章の荘重な響きは捨てがたい。

 ヒンデミットのヴィオラ協奏曲の第1楽章の出だしのヴィオラのメロディーにホルンの演奏が絡んでくるところがいい。ヘッセン地方というフランクフルトに近い付近の子供の「山と深い谷のあいだ」という歌に基づくらしい。
 そして第2楽章の出だし、ヴィオラとハープの二重奏の「さぁ葉を芽吹かせろ、菩提樹よ、葉を芽吹かせろ」のメロディーが気に入っている。
 第3楽章はヴィオラとオーケストラの早いパッセージにる掛け合いが新鮮に聞こえる。

 シェーンブルクの浄夜は、作曲家自身のこだわりの曲らしく、最初は弦楽六重奏曲として作られ、弦楽合奏用に変奏され、さらに管弦楽用に作り直されている。シェーンブルクという作曲家の曲はこれしか持っていない。随分と厚味のあるオーケストレーションをする作曲家という印象を持った。