Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

久しぶりにブラームス

2014年09月24日 20時37分33秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 食事の後片付けが終わったので、久しぶりにブラームスのピアノ曲集を出してきた。すでに紹介したピアノ作品全集ではなく、スティーヴン・ビショップ・コワセヴィッチのピアノによる、スケルツォ作品4、バラード集作品10、8つの小品作品76の3曲。
 1983年の録音だから今から31年前になる。いつごろ購入したか覚えていない。今聴いてみるとなかなか抒情的な演奏に聞こえる。
 ブラームスの曲は好んで演奏するピアニストらしい。静かに耳を澄ませて聞きたい曲であり、演奏である。
 全曲演奏の全集を揃えるのが私の癖だが、このような小品集というのも聴きたいときというのがある。秋にふさわしいCDだと思う。



笑い話ではないのだが‥

2014年09月24日 17時47分02秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 お昼直前に突然妻が「具合がいいから、横浜駅に買い物に行きたい」といい始めた。米や野菜やいろいろな食材の在庫が無いので、朝食の時に、私が夕方買いに行くことを話し合ったばかりだったのだが。月曜日に近くの病院に出かけた以外ずっと家にじっとしたり、布団に横になっているのが苦痛になったようだ。どちらかというとインドア派の人間が私と付き合う間にだいぶアウトドア志向に替わってきている。37年の時間というのはかなり人間を変えているようだ。
 気分転換にもかるだろうと、私も同意してポーターに徹するつもりでついていった。まず昼食はスパゲッティがいいというので店に入ったら若いОLと同様一人前をキチンと食べた。昨日から食欲は旺盛であるから、これはいいことである。
 そして横浜駅東西の地下のスーパー4軒とパン屋、最後にケーキ店を回った。食材によって違うスーバーで購入することになっているようだ。そこにこだわりを持っているのだろう。また値段の比較も楽しんでいる。そしてお米・ヨーグルト・牛乳・果物など重い物から葉物野菜まで、私は両腕が抜ける思いであったがここは我慢してポーターに徹した。
 買い物はそれなりにストレスを発散させる効果もあるようだ。鼻水・咳は止まらないが顔は明るくなっていた。特に最後のケーキ店では笑みが漏れている。
 妻は「元気が出てきたので夕食を作ってみたい」というので、帰宅後、私一人で再度歩いて横浜駅に行って書店をまわってみよう、久しぶりに乙類の焼酎を購入しよう、と思いたった。ところが天気予報どおり15時になると雨が降り始めた。外出をあきらめてお茶を飲んでいるうちにふたりとも眠くなり、1時間半もぐっすり眠ってしまった。


 横浜駅での昼食時、となりの若いОL2人はなかなか活発な性格のようであったが、「死体を入れるビニール袋に診察券が残されていたなんて当分笑えるね」とけらけら。内心「それは笑うに笑えない話だよ」と私は愕然とした。
 すべての悲惨な事件も劇場化、ドラマ化して現実との境界があいまいになっているようだ。ムッとしながら神戸の大震災の時のエピソードを思い出した。まだ犠牲者が残されているかもしれない倒壊家屋に登ってVサインをして記念撮影している若者たちに、地域の人が怒りを表明していた新聞報道があった。
 しかしこのような会話が職場の中で当たり前のように話されているとしたら、恐ろしいことである。年寄りの愚痴ではおさまらないと思うが‥。




同窓会

2014年09月24日 12時03分08秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 久しぶりに曇り空を見たような気がする。台風はまだ風速18mと台風の条件を満たしているが温帯低気圧に変わりそうだ。しかし雨台風の様相で被害も見込まれる。
 昨晩から神戸の事件と台風の進路予測が大きな関心を集める。曇り空が一層暗く圧し掛かるようだ。

 妻はまだ本調子に戻らない。明日25日午後は古代史講座、27日は退職者会の集まりが午後から夕方まで予定されている。今日中に回復してもらえると嬉しいが、そうでなければ明日の講座の出席は無理かもしれない。結構しつこい症状である。昨晩も若干の発熱があった。
 風邪なら発症から1週間が目途といわれるが、明日に回復の兆候がないと明後日26日(金)に別の対処を考えなくてはいけないかもしれない。歳をとると回復に時間がかかるという程度のものなら心配ないのだが‥。1日部屋に閉じ籠り、あるいは布団にくるまっていると、気分が滅入り悪い方に考え込むのは人の常。ましてニュースが暗いものでは良くない。

 中学・高校の同窓会の案内状が来た。昨年は親しくしていて毎年同窓会で話し込んでいた友人が亡くなり、偲ぶ意味では出席もしたい。また毎年会場になっている同窓生が経営する飲食店は現役時代、組合の会合で無理を言って何回も安くしてもらった。その分のお返しに出席もしたい。
 でも今ひとつ気分ものらない。しばらく保留にしておいて締切り間際にもう一度考えてみようと思う。
 昨年私も呼びかけ人になった大学の学部の同窓会は、同じ濃密な時間を共有した仲間内の集まりでもあるから、40年という時間を確かめ合う場面であった。
 中学・高校の同窓会は全員を対象にしている。卒業生全体を束ねる学校公認の同窓会てもう。だから性格も私が主催した大学の有氏の同窓会とはまるで違う。それぞれの卒業後の45年という経験の違いを相互理解した上であっても、会話がうまくかみ合わない場合も多々ある。東京近辺で交流を続けていた仲間同士と、短いとはいえ濃密な体験をした大学での期間を共有していないと仲間との意識や経験・場の違いが、どうしても埋めることが不可能な落差と感じることがある。なかなか自分の中で折り合いがつかないのだ。
 中学・高校の時期と、社会との接点に意識的になった時期とでは、そもそも同窓会というのが性格が違うものなのかもしれない。
 むろん難しく考えずに、楽しく懐かしさを求めての会食と割り切ることに特に抵抗はない。それを否定するつもりは毛頭ない。