Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

読書を再開したが・・・

2019年10月17日 22時55分37秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 夜のウォーキングに出かけようとしたら雨は上がっていなかった。本日は残念ながら断念。

 そして本日より読書を再開。「酒井抱一」(岩波新書)から。しかし活字が二重に見えるのがつらい。疲れてすぐに眼を閉じたくなった。
 このブログの記事を書いているパソコンの画面も同じように二重に見えている。こちらは自分が書いている文章なので、だいたいは読める上に活字は少し大きく拡大している。

 本の方は自分が書いているのではないので、次の活字が何の活字かは想定できない。活字が同じ大きさであれば、人の文章の方が当然にも読みにくいものである。
 読んでいる活字、パソコンの活字、いづれもこれまで以上に二重に見える。これまでは霞んでいたのでくっきりと二重には見えなかったが、今回、霞がなくなってくっきりと二重に見える。白内障由来の霞がなくなったのは嬉しいが、これまでは細い二本の線の間が何となく黒く見え、ゴシック体のように線が太く見えていた。今は二本線がはっきりと見える。間は黒くは見えない。線の間は紙の色である。こちらの方が読みにくい。
 遠くは見やすくなったが、このように近くが見にくい。

 新聞の編集作業で疲れた目でいっそう活字を追うのが難しい。すぐに疲れて眠くなる。

 早くに左右両方の手術が終了し、眼鏡を新調して鮮明に見えるようになりたい。何とか年内に解決したいものである。


「怖い」と思う感覚

2019年10月17日 20時05分31秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 16時過ぎになって微かに雨が降り始めた。もうしばらくはは1ミリ程度の雨が降るらしい。気温も20℃を超える予想であったが、今のところ14時過ぎの18.2℃という気温が最高気温になっている。
 長袖のポロシャツの上に木綿の薄いジャンパーを着て夕方に出かけた。眼鏡を書き忘れて横浜駅まで往復。これまでよりは視力がよく成っているので意外と不便は感じなかった。ただし車のライトは乱視の影響で前照灯が4つに見えるので車道を横断するときは、信号がある交差点であっても怖い。車のこないコース、歩道の広いコースを歩いて往復した。
 また不意に横から飛び出したり蛇行するスマホ歩きの人、不意に方向転換したり止まったりする人は怖かった。緑内障の人間には走り回る子供も怖い。視野の欠損部分に不意に入り込んだりそこから飛び出して来る。

 眼が心もとなかったり、杖を突いた親と歩いたりすると、いわゆる「交通弱者」の視点で周囲を見ることになる。やはりとても怖い。
 50歳の頃、長期入院後には二週間ほど杖を突いて歩いたのだが、その時よりも怖いと思う。数年前の坐骨神経痛のときも杖を突いて歩いた。その時は周りの怖さよりも痛みに耐えることばかりが頭の中を駆け巡っていて、周囲に気を配るゆとりがなかったと思う。
 この二つの場面では、歩くところの物理的な段差などが気になった。しかし同じに歩いている人が怖いとはあまり意識しなかったことになる。

 人は肉体的な衰え、五感の衰え方、身体のつらい箇所、庇うべき人等々によって、怖いと思うことが変化する、ということが少しだけわかったような気がする。


秋寒し

2019年10月17日 11時47分23秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 昨日は20℃を下回ったという。本日はかろうじて20℃を超えるらしい。しかし10月の平年値が18℃ということなので、昨日の気温のほうが平年価に近い。

 昨日は医師から洗髪も洗顔も解禁となったことを告げられ、頭と目の周囲をきれいに洗った。一昨日も洗髪したけれど、おそるおそる右目から遠いところを洗っただけだった。昨日はいつものように洗うことができた。実にさっぱりとした。

 しかしとても眠い。キーボードの前で寝てしまいそうである。

★秋寒し此頃あるゝ海の色        夏目漱石
★秋寒しわが脳中の砂時計        庄司たけし
★うそ寒の身をしつける机かな      渡辺水巴

 秋寒、そぞろ寒、やや寒、うそ寒は秋に感じる寒さ。「そぞろ」は「それとなく」、「うそ」は「薄い」からの変化らしい。
 第1句、荒れた海、ではなく海の色が荒れているという。むろん「荒れたさま」という意味もあるが、具体的に「色」となると思い浮かばない。まだまだ大型の強い台風が来るのだから海水温は高いのであろう。人は大気の温度で季節を実感する。

 第2句、夏の大気は湿度が高く、肌には粘っこい感覚を与える。無機質のさらさらとした砂が脳中に少しずつ溜まってくるような感覚に私は共感した。脳細胞が老化してしまいには砂にすべて入れ替わる時が迫ってきている。

 第3句、本日のように寒さを感じたとき、人は何かに身を押し付けるものらいい。それは金属ではなく多分木製の家具である。机やタンスや柱などである。私もそうだ。不思議な感覚である。それらか体温で少し暖まるとますます離れられなくなる。母体へのあこがれ、甘えの感覚に繋がる。