Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

雨、ようやくあがる

2019年10月29日 23時36分05秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 雨は上がったようである。本日の最高気温は昨晩日付が変わったころの16.8℃、0時14分とのことである。昼間はそれよりも低かったことになる。
 15時半頃に傘を差しながら横浜駅まで歩いてみた。特にひどい雨ではなかったので、ズボンも濡れることなく横浜駅にたどり着けた。
 考えていたよりも買い物客が多く、地下のスーパーもレジは並んでいた。恃まれた買い物をしていると昔お世話になった上司に出会った。軽く会釈をした後、一言、二言声を掛け合って分かれた。向こうも私のことを覚えており、元気そうな様子になんとなく嬉しくなった。喫茶店で1時間ほど目を瞑っていた。寝てはいなかった。肩の凝りも少し治ったような気分になった。

 昨日のインフルエンザの予防接種の後、かなり赤くなっていることに気がついた。少し熱を帯びて少しだけだがむくんでいる。痛みはないが、用心に越したことはない。また少々下痢気味である。予防接種と消化不良、あまり関係はないように思えるが、果たしてどうなのだろうか。本日も風呂では軽く洗うだけにしたほうが良さそうである。

 22時前に夜のウォーキングに出かけてみた。インフルエンザの予防接種の後なので過激な運動は控えなくてはいけない、ということで40分ほどゆっくりと。
 空はすっかり雲がなくなり、星がみえていた。しかし眼鏡があっていないので、それほどよく見えたわけではない。しかも23時過ぎに濃霧注意報が発表になった。


★秋霖に濡れて文字なき手紙かな    折笠美秋
★秋の雨しづかに午前をはりけり    日野草城

 「秋霖」は秋の長雨。文字が雨で濡れて読めなくなった手紙。手紙だから封書、差出人がわからないのだろうか。しかし封をあければ読めないことはないが、さびしい秋の雨のようにいろいろ考えさせられる内容の手紙と作者は想像が出来ている。
 これが封書ではなく葉書ならば、時候の挨拶でなければ、困ってしまう事態。これでは俳句にはならなくなる。  


雨、ようやくあがる

2019年10月29日 21時01分56秒 | 天気と自然災害

 雨は上がったようである。本日の最高気温は昨晩日付が変わったころの16.8℃、0時14分とのことである。昼間はそれよりも低かったことになる。
 15時半頃に傘を差しながら横浜駅まで歩いてみた。特にひどい雨ではなかったので、ズボンも濡れることなく横浜駅にたどり着けた。
 考えていたよりも買い物客が多く、地下のスーパーもレジは並んでいた。恃まれた買い物をしていると昔お世話になった上司に出会った。軽く会釈をした後、一言、二言声を掛け合って分かれた。向こうも私のことを覚えており、元気そうな様子になんとなく嬉しくなった。喫茶店で1時間ほど目を瞑っていた。肩の凝りも少し治ったような気分になった。

 昨日のインフルエンザの予防接種の後、かなり赤くなっていることに気がついた。少し熱を帯びて少しだけだがむくんでいる。痛みはないが、用心に越したことはない。また少々下痢気味である。予防接種と消化不良、あまり関係はないように思えるが、果たしてどうなのだろうか。本日も風呂では軽く洗うだけにしたほうが良さそうである。

 22時前に夜のウォーキングに出かけてみたい。インフルエンザの予防接種の後なので過激な運動は控えなくてはいけない、ということで40分ほどゆっくりと。


里芋が恋しい季節

2019年10月29日 14時50分09秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 リビングルームに小さなガスストーブを出して点けている。暖まったので消すとすぐにまた点けたくなる。かといって長い時間点けていると21℃を超える。なかなか面倒な気温である。
 朝からの雨は止むことがない。思い切って、15時を過ぎたら出かけてみることにした。

 家で閉じ籠っていると体がだれてくる。気持ちもメリハリが効かずにダレてくる。テレビもやはりつまらないし、目が疲れる。

★月山の雲の犇めく芋煮会         後藤杜見子

 芋煮は好物である。若い頃はあまり口に出来なかったが、妻がよく作ってくれる。南東北出身の妻には馴染んだ味なのである。地域によって味付けや、具材に差がある。それぞれにこだわりがある。芋煮会は確かに外で、しかも川べりでワイワイと大勢で食べるのが美味しいのだろうか。だが横浜近辺ではそのような場所はない。秋ではなく、花見の季節にかぎられてしまう。その時は里芋がなくて寂しい。
 若い頃、私は大勢で外でワイワイと食べるという経験がほとんどなかった。少ない家族で食べる以外の体験少なかった。せいぜいごく親しい叔父・叔母を交える程度。学生時代・就職後少しずつそれにも慣れてきた。そうすると学生時代を過ごした南東北での芋煮会を体験しなかったことが残念に思えるようになった。

 


豪雨被害

2019年10月29日 11時35分11秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 予報どおり朝から雨。雨といっても5ミリ未満である。昨日はとても暖かであったが、本日は肌寒い。一日中降り続く気配である。気分としては家に籠ってしまいそうだ。

 豪雨の後なので、被災した地域にとっては要警戒の雨だとおもう。また復旧作業にも支障であろう。
 宮城県北部に在住の友人宅には被害はなかったと確認できた。ある別の知人は宮城県丸森町に在住で大きな被害があったとの情報を貰った。
 今のところ、学生時代の友人2名、組合の関係で1名の被害となっている。友人・知人と相談をしていきたい。

 今しがた印刷所に最終の原稿を送信。ホッとしている。このあとは校正刷りが送られてきたら再度チェックをして、来月18日に組合の会館に配達してもらうのを待つ。
 校正刷りを見るときは原稿を送ったときよりも客観的に見ることができる。やはり時間の経過ということは大切なことだと思う。自分の原稿の段階では何回読みなおしても、自分の思い込みで読んでいるので、間違いを飛ばしてしまう。
 さらにプロの編集者の手が加わることで、他人の作品のような感じにもなる。これも大切なことだとおもう。
 だが、校正刷りが確定して印刷工程に入り、実際に組合の会館にとどくまでの一週間は毎回ドキドキである。だが記事はあの内容で良かったのか、別の視点から見ると違った解釈をされてしまわないか、書くべき内容は網羅したか、などなどの不安が頭の中で大きくなってくる。
 こればかりは幾度経験しても慣れてしまうことはない。