Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

もうひと踏ん張り

2019年10月23日 23時27分43秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 いつものとおり夜のウォーキングを40分ばかり。昼とは違って空はだいぶ厚い雲が多くなっている。曇り空。しかし気持ちのいい空気であった。昼間見晴らしのいい場所を夜も通ってきた。川崎の幸区・中原区方面とその先まで見通すことが出来るが、同定まではまだしたことはない。

 本日はこれから編集作業の続き。あと1時間でどのくらいできるであろうか。

 明日は午前中はみなとみらい地区で講座。久しぶりに神大の講座である。午後は特に私は予定は入っていない。夕方までにはもどり、新聞の編集作業の仕上げをしたい。

 


眼鏡のかけ方

2019年10月23日 21時15分37秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 白内障の手術をしてから13日目。ようやくこれまでの眼鏡の扱いに慣れてきた。あくまでも仮の眼鏡のつもりである。
 かけないでいた方が楽なのは昼夜を問わず室内と地下街やビルなど建物の中。外では原則的には掛けることにした。特に暗くなってからは眼鏡を掛けないと見えにくい。歩道を歩いて居ても反対側から歩いてくる人が見にくい。10mほどになって人として認知できる。それまでは分からない。
 しかし明るいと外を歩いていても特に支障がない。しかし用心のために掛けることにした。

 手術後1週間で眼帯を取ってからは、掛けたり外したり、忙しかった。その都度眼に負担がかかり、頭が痛くなったりしたがようやく慣れてきた。慣れれば、掛けたり外したりという時にも眼の負担は少ないようである。

 しかしあくまでも仮である。左目の手術をして視力が安定した段階で最終的に眼鏡は新調しなくてはいけない。

 眼鏡のお世話になってから実に55年位立つ。確か中学2年の終りか、中学3年の夏に眼鏡をかけたと思う。その時は0.6くらいの視力であったと思う。近点視力・遠点視力などという計測もしなかったし、硝子のレンズで今から思うと重かった。
 かけ慣れるまで時々無くして、いつも探していた。遊んでいてぶつかってレンズを割ったり、落して踏んづけて壊したりした。30代を過ぎてからプラスチックのレンズにして軽くなり、われる心配もなくなったのがうれしかったのをよく覚えている。レンズも大きくなり、明るくなった。

 遠近両用メガネをするようになったのは40代半ば過ぎ。次第にレンズの強度を強くしていったが、資力を1.5に合わせてもらったため、却って目を悪くしたかもしれない。

 眼鏡抜きには人生は語れないのかもしれない。これほど役に立つものはないような気もする。


秋麗、爽やか、秋澄む

2019年10月23日 19時52分21秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 朝から集中して新聞の編集作業。割り付けの大きな変更2か所と囲み記事ひとつの削除は何とか出来上がった。細かなそれこそ数ミリ単位の割り付けの修正もすませた。
 囲み記事が消えた分、予定外の記事をひとつ作り上げることと、残り私の担当の記事を1本、ならびにいくつかの文言の訂正を済ませるとだいたい95%以上は出来上がる。本日中にここまでは仕上げたい。予定よりは早めに目処がついた。

 昼間は、親の散歩の付き添いをしてみた。ゆっくりと歩いて休憩5分も含めて往復で50分ほど。普段の半分ほどのスピード。
 住宅地の一角で、展望の良いところがあり、北の方角を遠望。天気も良く、かなり遠くまでみることができた。

★秋麗やわが影塀につきあたる      木下子龍
★さはやかにおのが濁りをぬけし鯉    皆吉爽雨
★秋澄める暁雲といふものの紅      飯田蛇笏 

 「秋麗」は太陽が眩しいくらいの晴れた秋の日、本日のような日を表すのであろう。「爽やか」は、清々しいという秋という意味で日中にかぎらず使われる。日常生活では四季を問わず使われるが、俳句では秋の季語として扱う。「秋澄む」は空気が乾燥し、台風や低気圧の頻繁な移動で空気が清浄になり、澄み渡る。遠くの山並みが地殻に見え足りもする。

 これらの違いを前提に句を鑑賞することになる。あまり季語の微妙な違いにこだわると俳句そのものが私たちの日常から遊離してしまう。気をつけたいものである。