Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「倚りかからず」(茨木のり子詩集)

2022年02月09日 21時50分29秒 | 読書

 昨日ふと有隣堂で「倚りかからず」(茨木のり子、ちくま文庫)を購入した。茨木のり子の詩は好き嫌いは極端だと思う。想いがストレートに前面に出てくるので、鼻につく表現や作品も多いと思う。政治的な言語が強すぎるという批判ももっともであると肯定したくなることもある。イメージの飛翔や転換があまり見られないのは寂しい。
 一方でツボにはまるとなかなか味のある作品に仕上がっていると思う。
 「倚りかからず」は1999年の詩集である。解説が山根基世というのも私には意外だった。18編の詩、平易な言葉が続く詩集である。


   

 木は旅が好き

‥(略)‥

ボトンと落ちた種子が
〈いいところだな 湖がみえる〉
しばらくここに滞在しよう
小さな苗木となって
根をおろす
元の木がそうであったように
分身の木もまた夢みはじめる
旅立つ日のことを

幹に手をあてれば
痛いほどにわかる
木がいかに旅好きか
放浪ほのあこがれ
漂白へのおもいに
いかに身を捩っているのかが


 倚りかからず

もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくはない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある

倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ


 苦しみの日々 哀しみの日々

苦しみの日々
哀しみの日々
それはひとを少しは深くするだろう
わずか五ミリぐらいではあろうけれど

‥(略)

苦しみに負けて
哀しみにひしがれて
とげとげのサボテンと化してしまうのは
ごめんである。

受けとめるしかない
折々の小さな棘や 病でさえも
はしゃぎや 浮かれのなかには
自己省察の要は皆無なのだから


 行方不明の時間

人間には
行方不明の時間が必要です
なぜかはわからないけれど
そんなふうに囁くものがあるのです

三十分であれ 一時間であれ
ボワンと一人
なにものからも離れて
うたたねにしろ
瞑想にしろ
不埒なことをいたすにしろ

‥(略)‥

私は家に居てさえ
ときどき行方不明になる
ベルが鳴っても出ない
電話が鳴っても出ない
今は居ないのです

目には見えないけれど
この世のいたる所に
透明な回転ドアが設置されている
不気味でもあり 素敵でもある 回転ドア
うっかり押したり
あるいは
不意に吸いこまれたり
一回転すれば あっという間に
あの世へとさまよい出る仕掛け
さすれば
もはや完全なる行方不明
残された一つの愉しみでもあって

その折は
あらゆる約束事もすべては
チャラよ

 4編ほどを引用してみた。最後の「行方不明の時間」を私は気に入っている。「倚りかからず」では最後の3行だけはいい。
 あえて言わせてもらえるならば、「倚りかからず」は1970年はじめまでに発表になっていないのが、私には不思議だと思われた。
 ただし山根基世は解説で「「倚りかからず」が「生った」のが1999年、茨木さん73歳の時のこと。談合、癒着、贈賄、収賄、馴れあいの世の中でこの詩は、かくありたいと読者の共感を呼び15万部のベストセラーになった。現代詩には異例のことだが、決して偶然ではなかかったのだ」と詩の背景を伝えている。


「スペイン史10講」より

2022年02月09日 20時41分32秒 | 読書



 本日病院で待つ間に読んだ本は「スペイン史10講」(立石博高、岩波新書)。第4講「カトリック両王の統治からスペイン君主国へ 15世紀末~16世紀」を読み終え、第5講「スペイン君主国の衰退 17世紀」の冒頭部分を読み始めた。

 ちょっと気になった部分が以下の部分である。
異端審問所の監視は、冒瀆・瀆神の言動から、姦通や重婚、魔術行為、さらに聖職者の求愛行為にまで向けられた。前近代の監視装置の効果を過大視してはならないが、異端審問性が宗教的・文化的寛容の土壌形成を拒み続けたことに疑いはない。この制度の最終的廃止はじつに1834年である。」としつつ続けて「一方で魔女狩りはスペインではほとんどなかっことに注目したい。異端審問所は魔女の宗教的認定には慎重で、人々の魔女狩りの熱狂から犠牲者が生まれることに抑止的に作用したからである。」という記述には驚いている。

 専門家ではないので、異論を唱える能力はないのだが、ではいったいゴヤなどのデッサンやその評伝に現れる「異端審問所」の「熱狂」や「魔女狩り」の陰惨さについてはどう評価していいのかわからなくなる。私としてはこの筆者の表現についてはいささか疑問を持った次第である。
 


病院めぐり

2022年02月09日 19時40分09秒 | 読書

 

 本日は朝から市民病院で血液内科の診察、午後からは整形外科でのヒアルロン酸注射。その間は時間的にゆとりがあるので組合の会館まで往復、ならびにいつもの薬局で薬を処方してもらって来た。
 市民病院はとても混雑していた。10時前の診察なので9時半に病院に到着した。しかし採血は50人待ちとの表示。
 採血の受付をしたときには156番だっが、その時に採血に呼ばれた人は107番の番号札を持っている人であった。
 結局採血が終わったのが10時半、診断室に呼ばれたのが11時くらいであった。しかも薬局にいったら、今度は薬が10日分しかない、とのことで、残りは入荷の電話連絡後に再度取りに行くことになった。

 ずいぶんと無駄な歩行を繰り返し、ようやく16時過ぎに帰宅。1万歩を超えてしまった。少しは膝の具合は良くなったが、1万歩も歩くのは早すぎる。帰宅後少々膝が痛くなった。

 明日は雪の予報である。