Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「死者の贈り物」(長田弘) その3

2022年02月16日 22時32分20秒 | 俳句・短歌・詩等関連

   

 まずは、本書の後ろのほうにおさめられている詩を二つ。

 砂漠の夕べの祈り

 (前略)

世界とは、ひとがそこを横切ってゆく
透きとおったひろがりのことである。
ひとは結局、できることしかできない。
あなたはじぶんにできることをした。
あなたは祈った。


 夜の森の道

 (前略)

森の中で、アオバズクが目を光らせて、
橡(くぬぎ)の朽ち木に群がるオオワクガタを嚙み殺す、
夏の夜。物語の長さだけ長い、冬の夜。
夜の青さのなかに、いのちあるものらの影が
黒い闇をつくって、浮かんでいる。
ものみなすべては、影だ。

 (中略)

神は、ひとをまっすぐにつくったが、
ひとは、複雑な考え方をしたがるのだ。
切っ先のように、ひとの、
存在に突きつけられている、
不思議な空しさ。
何のためでもなく、
ただ、消え失せるためだ。
ひとは生きて、存在なかったように消え失せる。
あたかもこの世に生まれでなかったように。


 前のほうに戻って、マルクスの草稿を詠んだ詩を引用してみる。私も学生時代にとても惹かれたマルクスの言葉である。

 草稿のままの人生

本棚のいちばん奥に押し込んだ
一冊の古い本のページのあいだに、
四十年前に一人、熱して読んだことばが
のこっている。大いなる鬚の思想家が
世界に差し出したい問いが、草稿のままに
遺された小さな本。――たとえば。
なぜわれわれは、労働の外で
はじめて自己のもとにあると感じ、
そして、労働の中では自己の外にあると
感じるのか。労働をしていないときに
安らぎ、なぜ労働をしているときに
安らぎをもてないのか。――あるいは。
人間を人間として、また、世界にたいする
人間の関係を人間的な関係として前提としたまえ。
そうするときみは愛をただ愛とだけ、
信頼をただ信頼とだけ、交換できるのだ。
もしきみが相手の愛を呼びおこすことなく
愛するなら、すなわち、きみの愛が愛として
相手の愛を生みださなければ、そのとき
きみの愛は無力であり、一つの不幸である。――
或る日、或る人の、静かな訃に接した。
小さな記事は何も伝えない。しかし、かつて
大いなる鬚の思想家の草稿のことばを、
腐心の日本語にうつしたのはその人だった。
不確かな希望を刻したことばの一つ一つを思い出す。
束の間に人生は過ぎ去るが、ことばはとどまる、
ひとの心のいちばん奥の本棚に。

 このマルクスの言葉が、なんという表題の文章に書かれていたか、私は今は文庫本も手放してしまったのでわからない。また訳者がだれだったかも忘れてしまった。今度残っている前週から探す時間があれば探してみたい。ただ私の記憶ではここに引用されているだけの短い文章だった気がする。


「スペイン史10講」から

2022年02月16日 21時56分28秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

   

 本日までに「スペイン史10講」の第5講「スペイン君主国の衰退 17世紀」、第6講「カトリック的啓蒙から旧体制の危機へ 18世紀~19世紀初頭」、第7講「革命と反革命の時代 19世紀前半~1870年代」、第8講「王政復古体制からスペイン内戦まで 1870年代~1930年代」を読み終わった。
 残るは第9講「フランコの独裁体制 1939年~1975年」、第10講「民主化の進展と自治州国家体制 1970年代~現在」の2講。
 私の知識がない時期である、スペイン内戦直前の局面、そしてスペイン内戦の最終局面からフランコへの道筋、の時期の記述が含まれている。しかし私の知識ではまだまだよくわからないというのが正直なところ。解るまで丹念に読んでも多分わからない記述が続く。また著者の視点も不明確に思える程度の私の知識では無理である。
 残る第9講、第10講のフランコ体制の根拠や経緯、フランコ以降のスペイン史はさらに知識がない。
 スペインという惹かれる何か、が解らないまま、いつかまたスペインについて勉強したいものである。そういう欲求が残っている。
 


3回目のワクチン接種券

2022年02月16日 20時05分32秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 3回目のワクチン接種券が妻と私の分が本日届いた。すでにかかりつけ医からの連絡で予約は終わっており、私どものほうからシステムに登録する必要ないと言われていた。しかし接種券が届くとそれなりにほっとするものである。
 本日の報道では大規模接種会場では接種券がなくとも7か月を超えていれば接種が受けられると言っていた。友人からは一昨日そのような情報を得た。私は何か釈然としない。1回目・2回目の接種予約に関するあの混乱は何だったのか。その混乱を踏まえてどういう経過で、「接種券無しでも接種可能」ということになったのか、それはまたどのように広報されているのか、7か月経っているという照明は、1・2回目の接種券を持参すればいいのか、接種証明を別途取り寄せるのか、などの疑問が湧いてくる。知らなかった私が愚かだったというのだろうか。
 このことを知っていれば、私は事前に大規模接種会場に赴いていた可能性はある。そのような措置が行われていることはまったく知らなかった。
 改善ならばいいのだが、周知が後追いでは、「改善ではなく置いてけぼりの人が発生」することにつながる。国の対応の仕方は、混乱を助長するようなことばかりのような気がするのだが、私の思い過ごしだろうか。