Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

規則性と不規則

2025年02月26日 21時03分54秒 | 読書

 本日は午前中に印刷会社へ退職者会ニュースの原稿を入稿。
 気温はどんどん上昇し、15時には17.6℃、4月上旬並みの気温を記録。午後出かけるときにダウンのコートを着ていたが、20分も歩くと暑くてたまらず、コートを脱いでリュックへ。少し厚めの開襟シャツ1枚になって歩いた。横浜駅で頼まれた買い物一品を購入して1時間ほどコーヒータイムと読書。
 あとは陽射しに誘われて少しのんびりしたウォーキングで1万5千歩ほど。夕方になり風が少し冷たく感じたものの、そのまま開襟シャツ1枚のまま歩いた。

 喫茶店では「芸術原論」(赤瀬川原平)の第1部「芸術の素」の5編を読み終えた。

波頭というのは海面の前面に平均的に分布しいる。でもいくら斜め横から見ても、一本の直線というのは浮かび上がらないですね。あれは波の一つ一つが屋根瓦のユニットのつながりのようでいて、ちょっと違うんですね、。連続が柔らかいというか不規則的な、アトランダムな連続です。波頭の連なる海面は乱数表です。だから楽しいんです。」(美の謎は乱数の謎)

 まったく同感である。以前にも幾度かこのブログに記載したこともある。人間は規則的な動きや図柄をみているとすぐに飽きる。不規則なものの動きは見飽きない。一見パターンのような繰りかえし模様の場合、少しずつズレがなかったとしたら、規則性をすぐに見破ってしまうのが、人の目と脳のすごいところである。飽きてしまうものである。
 こういう指摘や視点をもつエッセイというか文章表現にとても惹かれる。

 本日もフラワー緑道でカワヅザクラの開花の様子を見てきた。3本のうち、日当たりのあまりよくない樹は開花していないが、他の2本はこの温かさでそれぞれ20輪以上が開いていた。
 蕾と咲いた花を見ていると、規則性はない。しかし枝の先端から開き始める規則性は見受けられる。樹の全体としては傘のような樹形でどことなく統一的な咲き方に見えるが、ひとつひとつの蕾と花に規則的な配置も咲き方も見当たらない。
 それが見る者を惹きつける。これが左右対称に下から順番にきちんと咲くとか、パターン化された蕾のつけ方、花の開き方であれば、こんなにも桜をはじめとした所謂花木に対する関心、動物でいえば群れになって飛ぶ渡り鳥の飛行対する関心、自然の風景や雲の動きなどに対する関心などは生まれないと思う。
 規則性があるようで実際は不規則な連続、これが人を惹きつける大きな要素のひとつに思える。