本日読み終わったのは「ベートーヴェン 巨匠への道」(門馬直美、講談社学術文庫)。ベートーヴェンの年代を追った伝記ではないが、ベートーヴェンの生涯の事績をかなり詳しくまとめている。
これまでベートーヴェンの生きた時代背景などについてはまとめて読んだことがなかったのでいい勉強になった。
昨年は生誕250年ということであったが、COVID-19の世界的な感染拡大の余波で大きなイベントなどが軒並み中止となり、私はテレビでシンフォニーの連続演奏会を聴いて程度であった。
もともとヴァイオリン協奏曲以外は私はあまり聴いていなかった。生誕250年ということを知人に教えてもらったり、ピアノ曲への着目も示唆してもらった。その結果、ビアノ協奏曲のほかに、ピアノソナタ、それも後期のものに注目するようになった。
ゼルキンの演奏で、ビアノソナタ第30番、第31番、第32番をじっくりと幾度も聴いてすっかり気に入った。これからピアノソナタを聴く機会を増やしていきたい。
日本における年末の「第九」現象について述べた最後の「エピローグ」に「日本人の音楽指向」という箇所がある。「日本人が短調を好むということの背景として、昔から日本人には、現実を直視するよりも、そこにロマンを求める傾向があった‥」云々は、いわゆる日本人論というもので、私はこのような一般化した「風土論」にはいつも首を傾げるものである。風土論というのは検証は難しい。
ただし、「ベートーヴェンは、メッテルニヒの支配する、統制のきびしい、自由の乏しい政治には強い反感を抱いていた。政府側も、危険人物としてベートーヴェンに尾行をつけていた‥。もっとて大きな自由と平和をベートーヴェンは音楽で歌い上げた‥。晩年の《ミサ・ソレムニス》や《第九交響曲》がその典型である。敗戦を体験し、苦しい生活を強いられ、いままた戦争の危険にさらされている日本人には、これらの大曲は、それこそ代弁者である」は、1987年に書かれた著者の強い思いとして記録しておきたい。
モーツアルトが音楽家の立ち位置を王侯貴族の庇護から大衆の支持を基盤とする市場原理に移行する過程での緊張感と苦悩の晩年を過ごしたという評価がある。ベートーヴェンの場合は、その緊張感と苦悩だけでなく、近代国家が生まれようとしている時期の国家と理念の相克による緊張感を、彼のち密な構成による緊張感から読み取るのも一概には的外れとは言えないのではないか。
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