Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

二十世紀梨と熟した柿

2020年09月28日 13時07分16秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

      

 ようやく晴れた。小さな雲が青空にひとつだけ浮かんでいる。ここ一週間以上の曇り空とはまったく違う空であり、大気であり、樹木の色である。
 団地の石垣の目地でたくましく生きている苔も明るい緑が増し、さらに別の苔も新しい芽を出しているのに気がついた。

 さて先週、妻が柿と二十世紀梨を購入してきた。
 まず、柿は今年初めて。柿は好物であるが、私は崩れそうに柔らかくなった柿が好きなのだが、最近はあまり販売していない。特にスーパーでは棚に並んでいるのを見たことはない。
 八百屋の店先に一山100円くらいで売っているのを一度が二度購入する程度になってしまったもっと秋が深まらないと私の好きな柔らかく熟した柿は口に入らない。
 しかもかなり高齢の方が店主なので、この店が無くなると熟して柔らかくなった柿を手に入れるのは困難になりそう。

 そして、実に何十年ぶりかの二十世紀梨。昔1961年頃に函館市から川崎市に引っ越してきて、はじめて二十世紀梨というものを食べた。当時川崎で盛んにつくられていたのは長十郎梨と二十世紀梨と教わった。小学校でもそのように教わった記憶がある。。
 二十世紀梨はとても甘く、みずみずしく、そしてシャキシャキとした食感が気に入った。それまでは梨というものを食べたことがなかった。しかしいつの間にか二十世紀梨というものが店頭に並ばなくなった。横浜市内に引っ越してからは梨そのものを食べる機会が減ってしまった。
 中学生の頃には洋梨が食卓に並ぶことがたまにあったが、これはあまり好みではなかった。シャキシャキとした食感がないのがさびしかった。
 結婚後、いつの間にやら豊水・幸水・新高などの甘みの強い大ぶりの梨が出てきて、食卓に上るようになった。途端に二十世紀梨というものが恋しくなった。
 そんなことがあり、二十世紀は実になつかしく食べた。少し酸味があり、甘みはそれほどない。シャキシャキとした歯触りが嬉しい果物である。



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