3枚目に、《浄相の持続》(松井冬子、松井冬子展図録より)があります。
本日読んだのは「九相図をよむ」(山本聡美、角川文庫)の第8章「現代によみがえる九相図」、おわりに、補遣「朽ちてゆく死体の図像誌 戦の時代の九相図」、文庫本あとがきなどで、これで全体を読み終えた。
第8章「現代によみがえる九相図」では、河鍋暁斎、山口晃、松井冬子の作品を取り上げている。私にはこの第8章が、新たな九相図の展開を述べようとする作者のスタートラインとするような意気込みを感じた。
河鍋暁斎(1831-89)の「卒塔婆小町下絵画巻」を取り上げている。
「明治期に西洋画という新たな絵画技法が到来したことによって、日本の伝統的な作画技法が相対化された。‥暁斎は、九相図という画題を、西洋絵画技法の基礎に位置づけられる裸体デッサンに対置し得るものとして捉えていたのではないだろうか。‥文明開化に熱狂する社会への批判精神や虚しさが共有されていたのだろう。‥しかしながら、暁斎が没した後、九相図という主題は日本絵画の表舞台から急速に忘れ去られていく。」
山口晃(1969-)では「九相圖」(2003)を取り上げている。
「山口の九相圖は近代初頭の東京で、文明開化のモチーフと九相図とを抱き合わせで描いた暁斎がにも重なって見える。都市を開発し繁栄を追及する営みの先に、終焉の思想を折り込むべき時代が到来しているとに、彼らの作品は眼を向けさせる。‥」
松井冬子(1974-)の連作としての九相図はこれまでに五作品が出来上がっている。最初の「浄相の持続」(2004)をここでは取り上げている。
「《浄相の持続》という題名によって示されているように、松井冬子は九相図本来の意味を意図的に反転させる。切り拓かれた腹からこぼれる内臓が、周囲の草花を圧倒する鮮やかさで女の肉体を彩る。伝統的な九相図が依拠していた「表面をいかに飾ったとしても皮膚の内側には不浄なものが充満している」との教義を逆転させ、皮膚の内側を、生命の本質、清浄なもののありかとして描き尽くす。《浄相の持続》で自らの内臓や子宮、そこに息づく胎児をさらす女性は、強い意志を帯びた眼差しで見るものを圧倒する。腹は彼女自身の意志によって開かれたように見え、画家はこの作品について「この女は男に対するコンプレックスあるいは憎悪によって自ら腹を切り裂き、赤児のいる子宮を見せびらかす」と解説する。」
補遺の「朽ちてゆく死体の図像誌」の最後で著者は次のように記している。
「平清盛と後白河上皇、内乱において袂を分かった両者の娘たち(建春門院と宜陽門院)は、虚実のあわいで、不浄の身をさらしまた見ずらか九相観を実践する女院というイメージを獲得し、無常の世のただ中で戦没者の冥福と世の安寧を祈る依り代となった。その背後には、王権に寄り添いながら不安定な時代を支えた宗教者達の姿があった。‥身体の不浄を描いた図像が無常というもう一つの思想と交差することで、中世日本では、豊かな九相図の美術と文学が開花した。」
この本を読み、久しぶりに松井冬子の図録を見返し、そして平家物語の最後の部分を読み返したくなった。