本日読んだのは、岩波書店の広報誌「図書3月号」。目を通したものは、次の8編。
・「社会」の暗闇に小さな光を当てる 筒井淳也
・沖縄の大江健三郎 池澤夏樹
「大江健三郎と共に過去を思い出しながら、たった今の沖縄を見ると、そこまで虐められるのかと悲哀の念に駆られる。大江健三郎が1972年の国会強行採決について使った「陋劣」という言葉を使いたくなる。‥楽観には意志と努力が要る」
・「最後の小説」に向けて 大江健三郎の自筆原稿」 阿部賢一
・死者とともに生きよ 「ブーンという音」 原 広司
・現代に生きる仏教と仏教学 岩波 仏教辞典 第三版」
対談 大谷栄一・菊地大樹・末木文美士
・父の友人たち(下) 松本礼二
・ルーマニア、あまりに複雑な希望 済東鉄腸
「現代のルーマニア映画には陰鬱な映画が多い。どれも観ていると体力がごっそり奪われる。そこには深い絶望の裏返しとしてしの力強い希望もある。ルーマニアという国の暗部から目を背けず立ち向かう勇気が、登場人物たちはもちろう〝デクレツェイ〟世代(チャウシェスク制限が中絶と避妊を法律で禁止した1966年から70年代にかけて生まれた世代)の映画作家に確かに宿っている。」
・東京美術学校の終焉から東京芸術大学へ 新関公子
「松本竣介の《立てる像》も「銃後の国民の気概」を描きつつ普遍に達した例かもしれない」
これには驚いた。誰の文章の引用かわからないが、松本竣介評価を根底から覆す。私のこれまでの知識からは同意できない。
「大方の国民が竹鎗で本土決戦などと愚かなことを考えていた時に、敗戦後の芸術教育の強力な体制づくりを構想し実現した横山大観とはなんとすごい人なのであろう」
これにも驚いている。竹鎗云々を強制したのは誰なのか、という突っ込みもあるが、戦争に対する大観の身の処し方への評価を是非とも前提として聞きたいものである。
なお、「見ることの始まりへ」(竹内万里子)は、明日読む予定。
さいごの松本俊介・横山大観評・・この先生は本気でおっしゃっているのでしょうか・・
大観が絵を売って戦闘機が4機買われたとかそこらへんをご存じないのでしょうか。。
松本竣介のあのキリッとした自画像の視線が「鬼畜米英」ではなく、芸術を踏みつぶそうとする翼賛体制に「生きてゐる画家」で異を唱えた画家の視線であることが抜け落ちていますね。
戦闘機の話も、有名なのですが引用の少し前の段落では「美談」として紹介しています。
一方で美大の卒業制作自画像に眼を描いていない作品について「極限状況下では自画像は消極的反戦画となっている」と評しています。
15回の連載の最終回ですが、私には理解のできない、締めくくりとなっており、がっかりしました。