本日ははじめに市営地下鉄のセンター北駅にある横浜市歴史博物館にて、企画展「明治・大正 ハマの街 新市庁舎建設地・洲干島遺跡」を見てきた。
横浜市の新市庁舎が竣工したが、そこは開港地の横浜村の一番桜木町よりの干潟とそこに建っていた弁財天(弁天社)の広い敷地のあった地点が洲干(しゅうかん)島。今でも弁天通、弁天橋の町名・橋名が残っている。ここを南端とする細長い横浜村と、江戸後期に埋め立てられた吉田新田の東端の間の海が埋め立てられ関内地区となった。
この展示で特に印象に残ったのは、下水道管。仕事上ずっと見て触り、出納管理をしてきた下水道用の陶管が基本的には150年もの間変化せずに使われてきたことをあらためて再認識。むろん作成方法も材質も強度も耐久性も、大幅に改良されているが、基本は変っていないと思う。
洲干島と弁天社、発掘資料の展示ということであるので、やむを得ないが、私としては弁天社がどのような人々に支えられ、どのように維持されてきたのか、当時の信仰形態を知りたいのだが、なかなかその機会がないのが残念である。
県立歴史博物館の感想は明日。