Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

読了「図書11月号」

2022年11月04日 22時07分24秒 | 読書

 病院の喫茶店で岩波書店の広報誌「図書11月号」を読み終えた。読み終えてすぐに眩暈が起こりそうになったが、とりあえずは読了。
 昨晩から本日にかけて眼を通したのは、

・[表紙]ヴォルテール            杉本博司
(ロンドンのマダム・タッソー蝋人形館では)我々は確実に忠実なヴォルテールの姿を見入ることになる。‥そこにあるのは、姿と形だけで霊魂は不在なのだ。本当に行ったのかは別として、ヴォルテールの名言として巷に流布した言説、「私はあなたの言うことには賛成しないが、あなたがそれを言う権利を死んでも護るだろう」は、ヴォルテールが最もいいそうな言葉として、歴史に定着してしまった。歴史とはそのように語り継がれるものなのだ。

・子ども時代が戦争だったオレルブさん    母袋夏生

・魂に突き刺さった根            東山彰良

・子規の文鳳絵解き一件           福本一郎

・羊頭狗肉                 柳 広司
数年前ならば「そんなことはありえない。小説かの妄想だ」と鼻で笑われるような事件がいろいろ起きて、日本が掲げてきた民主主義、平和主義の看板も額面どおりり受け取ることが難しくなってきた今日この頃である。

・祖父のフハイカ 共に生きた順子と五郎(下)      田中友子
エスペランティストだったエロシェンコはロシアとウクライナの境にあるベルゴロドの出身だが、四歳で失明した彼にとって、触って確かめることができない国境線などというものは、どこまでも漠然とした、実体のない無意味なものでしかなかったと思う。皮膚の色や言語、所属する民族や階級によってではなく、人間を人間としての本質ものものにおいてみることを大切にした自由人エロシェンコ。そんな彼の作品集と祖父が72年前にかいた俘虜気が、今この時期に世に送り出されることの意味を思わずにはいられない。

・「音楽家された認識論」と意味の律動    一ノ瀬正樹
演奏の内容は一回ごとに異なる。テンポやリズムや解釈は、そのときそのときの演奏者の息遣いや呼吸や体調によって、時間の経過の中で微妙に変容していく。そして一度なったものはそれとして成立し、なかったことにはならない。残響として残り続けるけれど、しかし同時に時間の経過とともに非可聴的になっていく。音楽とは、本来そういうものなのである。こうした音楽の性質は、音声言語にもそのまま妥当するものではないかと思われる。

・感染症を生き延びる シェークスピアと大衆演劇   前沢浩子
時代の変化と共に流星する新たな大衆娯楽産業としての演劇、それを繰り返し直撃したのがペストであった。しかしシェイクスピアは、その激動の荒波をうまく泳ぎ切っている。
社会につきまとう疫病への恐怖と不安を、日常言語の中で暗喩へと変換し、その表現力の豊かな可能性を存分に発揮して見せる逞しさも、大衆劇作家シェイクスピアの一面だった。

・淫らな未来                ブレディみかこ
「お金持ちのディスにーランド」といわれるドバイですが、その一方で、貧富のコントラストがシュールなほどにむき出しになっていことに驚きました。‥近未来の世界は巨大な建物や頂戴な連絡通路だらけになるのでしょうか。ならぱ、そこには私の知っている現場がたくさんあるはずです。そのとき灼熱の屋外で働いているのはいった誰なのでしょう。ひょっとしたら社会は、「上」と「下」ではなく、「内」と「外」に分かれるようになるのかもしれません。

・ゆうやけ七色               近藤ようこ

・オオナマケモノ絶滅を巡る諸説       川端裕人
南北アメリカ大陸だけでなく、ユーラシア大陸でも、オーストラリア大陸でも、人類の進出と同時期に巨大動物相がほろんだ現象が認めらり(時期的には7万年前から1万年前)、それらを「第四紀後期の大量絶滅」と呼ぶ。‥こういった議論が人類の自己イメージにも関わる‥。ヒトの本姓が、容赦ない殺戮者であったのか否か。

・雪がふる                 岡本幸宣
「(芸術家は)国が戦争を始めようとして時、他のどんな人たちよりも先に、この人たちは戦争の気配に気づいて、皆にもわかるように大騒ぎすることができる。そのために自分のやり方で域、見て考えて、声をあげ、表現する練習をし、いつも準備しておくんだ。‥多くの人が別の道に行く中で、己の信じる方向に進ことはそう簡単でない。まさに命がけだからね。‥それは大きく激しく大切な勤めだよ。すごい作品を作り残すことは、次の務めだと私はそう思う。」

・堀田善衛の描いたコリアン         斎藤真理子
 「若き日の詩人たちの肖像」、「橋上幻像」に収められた「名を削る青年」などに登場するコリアン達の姿に惹かれる話である。
 「堀田善衛の芥川受賞作「広場の孤独」は、朝鮮戦争が日本のインテリに与えた衝撃を描いていたが、そこに朝鮮半島の人間は出てこなかった。しこから十五年以上経って、1968年から70年という世界の若者たちが激しく動いた時期に、二人のコリアンの印象的な像が重なることは面白い。‥小説という不思議な空間の中で、二人のコリアンがじっとこちらを見ているのを感じる‥。一人はアメリカへ行き、一人はアメリカから来る。そして二人とも、大股で日本を通り過ぎてゆく。

 以上の12編を読んで、今月号は終了。

 



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