Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

テート美術館展から その3

2023年09月24日 22時18分38秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

   

 2021年2月に、三菱一号館美術館にてやはり「コンスタブル展 テート美術館所蔵」が開催された。その時も今回も、ジョン・コンスタブル(原画、1776-1837)・デイヴィッド・ルーカス(彫版、1802-1881)の版画が展示された。ほぼ同じ作品が今回も鑑賞できたのはとてもうれしかった。
 私の印象では今回展示されたものの方が、コントラストが強いように感じたが、どうもそれは私の早合点かもしれない。
 しかし版画にすると実際のコンスタブルの油絵作品と比べると陰影が強調され、雲などは動きが激しい一瞬を捉えている。とても動的で劇的な作品に様変わりしているように見受けられた。油絵からはこんなに激しい衝動は感じられないので、今回、ちょっと驚いた。光の捉え方が劇的で、影も長い。太陽光線の強さを感じるとともに、自然の猛威も感じた。
 雲というものは、常に動きを内包している。しかも光がそれをより強調する。風も温度も湿度も想像させる力を持っている。それによって時間や物語を鑑賞者に想像させるてやまない。



 ジェイコブ・モーア(1740-1793)の作品はこの《大洪水》(1787)1点である。
 私はいつものように題名は後から見る癖のまま、画面だけを見て、ふと川瀬巴水の、江戸の名残を残すしもた屋の並ぶ町並みを照らす月、を何となく思い浮かべた。巴水のどの作品かは思い出さなかったが、このモアの作品の月ないし太陽と思われる光の左右の山並みと、巴水の木造家屋とが、同一のような錯覚を持った。
 そして俯き加減で、今にも沈みそうな小さな舟に乗って苦闘しているような5名の人物がやっと目に付いた。人物には希望はなく、絶望に押しつぶされそうである。そんな感想もあり、太陽よりも月が似つかわしいと感じた。
 そんな感想を持ってから《大洪水》という題名を見て、かなり戸惑った。もしもノアの箱舟関連の作品としたら、希望が感じられないことに、違和感を持った。
 図録の解説には、「モーアは、このような大惨禍に直面しても希望があることを表現している。中心から放たれる光は前景にいる人々を照らし、全てが失われたわけではないことをほのめかす。」
 この解説は要領を得ない解説に思えた。画家モーアは、神とノアの物語についてもっと別の物語を感じとっていたのではないか、と私は思うことにしている。あまりに身勝手で専制的で、人の命をこともなげに奪い、自らの責任に頬かむりをし続ける旧約聖書の神に物申したい私である。不信心の極みの私は、ここに描かれている打ちひしがれた5人の人物の物語を、旧約聖書の物語に触れるたびに中学生の時からもう60年近くも想像しつづけている。



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