朝4時に強風注意報。瞬間最大風速が11mを超える南南西の風である。まぶしい陽の光と強い風が欅の葉に当たってまぶしくきらめいている。
時折り強い風の音がするが、空を飛ぶ軍用機の音を連れてくる。軍用機の音は低音で、人の心を不安に駆り立てるものがある。軍用機だから、というのではなく、あの低音の音そのものが心に波風を立てる音である。
こんなに明るく、湿度も高くない心地よい日に、あのような音が耳に入ってくるのは実に不快である。音が去っていくと風の唸る音すら柔らかに聞こえるように感じる。
我が家の上空を飛んだ軍用機とは無関係とは思うが、民衆の抑圧のもとに軍拡を進める北朝鮮政府のミサイルが、北海道から伊豆諸島までの広い範囲に落下する可能性があるという。しかし落下するのか、通過するのかすらわからず、日本という国の半分の範囲に警報をだす。こんな不確かなものは警報とは言えない。新幹線を止めても止めなくとも意味はまるでない。
不確かな情報で、国民を不安にするのは、軍事への近道である。政府が内政で行き詰ると外に敵を作り不安をあおる。安倍政治の延長である。統一教会の問題で出口のない自民党政府にとっては格好の材料とされた。
北朝鮮に君臨する政府は、駄々っ子のような政治を推進する。内部に緊張を強いることで常に何かを周辺国に求めてきた。緊張もエスカレートする。対外的緊張を演出することはオオカミ少年のたとえのようにそれが通じなくなると虚勢はさらに強くなる。そのような国の策に、日本の政権与党は子どものように右往左往で対応しているようにしか見えない。三流政治に三流政治で対抗しては、双方の国民にとっては不孝しかない。
ロシアのウクライナ侵攻、ビルマ政府の暴虐、中国の強権・膨張政策等々軍事が肥大化している時代、軍事に軍事で対抗する風潮が当たり前に大手を振ってきている。軍事を否定する議論、国家や軍事というものの肥大化に抗することが「悪」であるかのような風潮は戦後の理念の否定につながる。生きづらさがますます生きづらい時代に滑り落ちていく。不安の時代なのである。不安の時代に人は、丁寧な議論ではなく耳に心地よい強い言葉や飛躍した結論を求める。社会はますます生きづらくなる。
ある人は憲法で日本を守ることはできない、と居丈高にいう。しかし日米安保でも軍事同盟でも北朝鮮の軍事拡大も、中国の強圧も防ぐことは出来ていない。ならば経済的に負の効果である軍事力強化ではなく、相手に不信感を招くことのない平和外交の努力の出番ではないのか。
経済も政治も、負のサイクルからの脱出策はあるのだろうか。
風は強いが好天の日にこんなことでイライラしたくないが、記してみた。