「「おくのほそ道」謎解きの旅」(安田登) の第3章「死出の旅 現実との別れ、異界との出会い」を読み終えた。
「私たちも深川から(千住まで)船に乗ってみました。「なぜこんな短い距離を船に乗ったのだろう」それが正直な印象。・・・・船で、川を渡るというのは異界への道行です。三途の川を俟つまでもなく、現実世界であるこの世と、異界あるあの世とを分けるのは川なのです。船にのって、川という異界への通路をとおって、異界の祝祭空間にいく。」
「「千住(千手観音)」から「日光(補陀落=観音浄土)」に船で向かう芭蕉も、この死の行法である「補陀落渡海」を象徴的に行ったのではないか。」
「芭蕉が向かおうとしている歌枕に象徴される詩的世界が幻想世界で、彼を送る人々の生きる世界が現実世界。ところがこれから死の旅に赴こうとする芭蕉にとっては、彼が離別の涙を注ぐところ、すなわち別れを告げようとしている現実世界こそが「幻のちまた」なのです。」
「能」との関連から読み解く「おくのほそ道」、私には魅力的で説得力がある。冒頭が「死出の旅」の暗喩であること、芝居がかってはいるが、芭蕉という人となりもまた垣間見ることが出来るような気がする。
難解な「行く春や鳥啼き魚の目は泪」の解釈についても、記述がある。もう少し時間を掛けて勉強したい。