「日本美術の歴史 補訂版」(辻惟雄)の第7章を読み終わった。南北朝・室町美術についての知識はほとんどない。水墨画における木谿などの影響、金閣・銀閣の建築、賛や跋文に埋められた詩画軸、枯山水などの作庭、雪舟や雪村のいくつかの作品、土佐光信、狩野元信などの名を聞く程度である。
ただし雪舟の四季山水図巻・天橋立図、雪舟の「龍虎図屏風」は気に入っている。
今回読んだ個所では、吉山明兆(1351-1431)の「白衣観音図」、あるいは「日月山水図屏風」(作者?)などの作品に惹かれるものがあった。
第7章は「南北朝美術」と「室町美術前半(北山美術)」と「室町美術後半(東山-戦国美術)」の3つの時代区分を設けて記述されている。
「足利幕府治世下の文化は、二面性を持ち合わせていた。平安以来の雅な「かざり」の世界になじむ公家文化と、輸入された宋・元・明の「唐物」を珍重し禅に親しむ武家文化との対立・混交である。それは美術における伝統的な「和」の美術と新しい「漢」の美術との「とりあわせ」に呼応しており、これが「和漢統合」のかたちで一体化されてゆくのが中世美術の過程である。またその間に、より下層の町衆・庶民の美術への参加も見られる。」(第7章 冒頭)
「一二、三世紀の日本に請来された中国花鳥画の質の高さに日本の絵師が相当程度まで追従できた事情を物語っている。だが一四、五世紀の日本人には、院体花鳥図の驚くべき精緻さが模倣不可能に思えたのに対し、水墨画、なかでも戯墨と呼ばれた即興的な作風は模倣が容易であった。そうした手法による和製の唐絵が主として禅林で試みられ、同様に唐絵と呼ばれた。‥」(「一 唐様の定着(南北朝美術)」)