本日の午後はいつもの通り、横浜駅の喫茶店で短いながら読書タイム。「万葉読本Ⅲ 万葉のことばと四季」(中西進)の第Ⅲ章「万葉歌人の系譜」から「天智と持統」「額田王」を読んだ。
「持統が渡来者たちを優遇している記事である。これは天智朝の進取の風、大陸学の積極的な摂取の態度を引きつぐものといってよいのではないか。‥娘の心情のなかに父の政治が許容される日がきたとすれば、彼女自身が王者としての統御の苦をなめた後だったであろう。もちろんそれは娘自身の成熟と並行しあうはずのものである。人間としての愛憎の父娘が、王としての立場において、愛の関係を組み替えたであろう日が、晩年の娘にはあったに違いない。」(「天智と持統」)
「『古事記』を見てみると、散文は途中の説明、いわばナレーションで、会話の部分が歌になっていることがわかる。また自分の感情を述べるところも歌である。歌によって筋が語られることもはない。こうした意味で『古事記』における語りと歌によって筋が語られることはない。その中から歌だけを取り出してきたのが万葉集である。」(「額田王」)