「奥の細道」を書き写しているうちにようやく文字に慣れてきたのか、読書する気力が湧いてきた。
「この父ありて 娘たちの歳月」(梯久美子、文藝春秋)を読み終えた。9名の女性の生き方について、「父」との関係から読み解く作品である。費やされた頁数で見ると、茨木のり子、石垣りん、石牟礼道子、辺見じゅん、萩原葉子という順になる。作者の力点も彼女たちにあるのかもしれない。
私は石垣りん、茨木のり子、石牟礼道子の生涯と父との関係についておおいに学ばせてもらえたと思っている。
特に石牟礼道子の椿の海の記」から父の亀太郎、祖父の松太郎、祖母のモカを含めた「家」のあり様に触れた個所と道子の生き方への相関への言及は惹かれた。
「あとがきにかえて」で、作者は
「子が親を書くには、「近い目」と「遠い目」の両方が必要である。前者は日常をともにした肉親の親密な目であり、後者は社会の一員としての親を一定の距離をとって見る目である。本書の女性はみな「書く女」である。彼女たちが父について書いた文章には、「近い目」による具体的で魅力的なエピソードが数多くあるが、一方で、父の人生全体を一歩引いた地点から見渡す「遠い目」も存在する。そこから浮かび上がるのは、あるひとつの時代を生きた、一人の男性としての父親の姿である。」
「成熟した目と手をもつ彼女たちが父を書くことは、歴史が生身の人間を通過していくときに残す傷について書くことでもあった。この九人は、父という存在を通して、ひとつの時代精神を描きだした人たちだった‥。」
と記している。
さて、父としての私は娘にどのような時代精神を見せているのだろうか。私が父親や母親を見る以上に、見られる自分はどんな像を娘に結ばせているのであろうか。見られる自分にはとても自信はない。