本日より読み始めたのは、「風俗画入門」(辻惟雄、講談社学術文庫)。1986年小学館より刊行の同書を文庫化したもの。
久しぶりに辻惟雄氏の著作に触れる。
本日は、第1章「風俗画の東西」、第2章「唐美人の移入」を読み終えた。
「17世紀のオランダの風俗画は、お祭り騒ぎや居酒屋、娼婦なども描くには描いたのですが、概して市民層の堅実な生活態度を反映した、地味な日常生活をじっくりと見据えたものが主流です。堅実な風俗画制作の態度は、近世日本の風俗画にはあまり根付かなかったようです。同時代との類似で、より注目されるのは、ブーシェやフラゴナールらが上流社会のロココ趣味に応えて描く、享楽気分の横溢した、いかにも粋な風俗画でしょう。片や上流貴族、片や町人という享受者の階層の違いを越えて、両者の風俗画に求めたものが、意外と似通っているのは興味ある現象です。喜多川歌麿など、浮世絵の美人風俗画が、19世紀後半になってヨーロッパ人の絶賛を浴びた伏線として、このことを見逃すわけにはいきません。」(第1章)
常に東西の比較と同時代性について着目しつつ論を進めようとする姿勢が私はとても気に入っている。ただし現在では、フェルメールが「堅実な」風俗画と断定してしまっていいのか、というのは異論もあるはずだ。またイギリスのホガースも「堅実」というよりも社会の歪みを抉り出そうとする姿勢からすると、議論の余地がありそうである。
「絵画は人格の向上に役立つものでなければならないとする、中国の士大夫の伝統的な建前としての絵画館が、(宋代)あたりで風俗画に矛先を向けた感があり、日陰に追いやられていく・・。(以降)概して尚古趣味が目立ち、風俗画の新風と言えるようなものに乏しい。日本の風俗画が近世になって全盛を迎えたのと正反対とさえいえます。この対比が何によってもたらされたか興味ある問題で、中国と日本の絵画観の違い以外にもありそうですが、この問題はさておいて・・」(第1章)
ここで止まっているのがとても残念である。
「天平工人の生き生きとした〝落書の精神〟は、貴族社会の戯画に受け継がれ、12世紀の絵巻の中で芸術的昇華をとげるのです。」(第2章)