本日は鳴子温泉郷のそばの中山平温泉にやってきた。新幹線古川の駅から約1時間、鳴子温泉駅で下車、宿の送迎バスのお世話になった。
一つ先の中山平駅から近いが列車の便は悪い。宿に荷を置いてから中山平駅までおもむきレンタサイクルで付近をめぐった。中山平駅から鳴子駅方向に戻り鳴子峡遊歩道を歩こうとしたが震災で落石の危険となり歩行禁止。前田夕暮の歌碑をまわり、尿前の関を訪れ、旧奥の細道を少しだけ歩いた。こけし館を見学して中山平駅へ帰着。芭蕉の歩いた旧奥の細道はいつかは歩いてみたい道だ。かなりきつい山道である。
鳴子のこけしは首がはめ込み式で、回すとキュッキュッと音が出るのが特徴。以前に鳴子温泉を訪れたとき購入したので今回はパスした。
温泉はPh9.3とかなりのアルカリ性、うなぎの湯というとおりぬるぬる感たっぷりのお湯。ゆったりと温泉に浸ることができた。贅沢三昧の一晩となった。
明日は仙台に戻り、先月亡くなった妻の母親の納骨。明日のうちに横浜へ戻る予定。
昼頃に鳴子温泉駅に着いたのだが、空の青や白い雲の様子は乾いた感じでいかにも懐かしい夏であった。田んぼの稲の青さも、畑の緑も子供の頃の夏休みに味わった雰囲気そのものであった。私の経験では北海道南部、横浜市郊外だから東北地方のこの鬱蒼とした森の緑とはどこか違うはずなのに、と不思議に思った。共通するのは何だろうと思っていたらふと、太陽の光線、日差しが共通しているのではないかと。
現在の東京の太陽の日差しはとても強い。人を寄せ付けない、人が馴染めないほど強い。しかし私が子供の頃に経験した夏の太陽はこれほど人を寄せ付けないものではなかったのではないか。そんな思いにうなずくような大陽の明るい日差しであった。ジリジリと肌を刺すような東京の日差し、ムッとするような熱気、それらを和らげることなくかえって増幅するような照り返し、こんな太陽ではなく、からっと包み込むような太陽が懐かしい。同じ暑さでもずいぶん違いがある。
こんなことに思い当たったら、東北の山がとても懐かしく思えてきた。飯豊や朝日の奥深い山の夏の日差しを再び浴びたくなった。来年はこれらの山にも行きたいものだ。
一つ先の中山平駅から近いが列車の便は悪い。宿に荷を置いてから中山平駅までおもむきレンタサイクルで付近をめぐった。中山平駅から鳴子駅方向に戻り鳴子峡遊歩道を歩こうとしたが震災で落石の危険となり歩行禁止。前田夕暮の歌碑をまわり、尿前の関を訪れ、旧奥の細道を少しだけ歩いた。こけし館を見学して中山平駅へ帰着。芭蕉の歩いた旧奥の細道はいつかは歩いてみたい道だ。かなりきつい山道である。
鳴子のこけしは首がはめ込み式で、回すとキュッキュッと音が出るのが特徴。以前に鳴子温泉を訪れたとき購入したので今回はパスした。
温泉はPh9.3とかなりのアルカリ性、うなぎの湯というとおりぬるぬる感たっぷりのお湯。ゆったりと温泉に浸ることができた。贅沢三昧の一晩となった。
明日は仙台に戻り、先月亡くなった妻の母親の納骨。明日のうちに横浜へ戻る予定。
昼頃に鳴子温泉駅に着いたのだが、空の青や白い雲の様子は乾いた感じでいかにも懐かしい夏であった。田んぼの稲の青さも、畑の緑も子供の頃の夏休みに味わった雰囲気そのものであった。私の経験では北海道南部、横浜市郊外だから東北地方のこの鬱蒼とした森の緑とはどこか違うはずなのに、と不思議に思った。共通するのは何だろうと思っていたらふと、太陽の光線、日差しが共通しているのではないかと。
現在の東京の太陽の日差しはとても強い。人を寄せ付けない、人が馴染めないほど強い。しかし私が子供の頃に経験した夏の太陽はこれほど人を寄せ付けないものではなかったのではないか。そんな思いにうなずくような大陽の明るい日差しであった。ジリジリと肌を刺すような東京の日差し、ムッとするような熱気、それらを和らげることなくかえって増幅するような照り返し、こんな太陽ではなく、からっと包み込むような太陽が懐かしい。同じ暑さでもずいぶん違いがある。
こんなことに思い当たったら、東北の山がとても懐かしく思えてきた。飯豊や朝日の奥深い山の夏の日差しを再び浴びたくなった。来年はこれらの山にも行きたいものだ。