Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

中山平温泉&尿前の関

2012年08月09日 20時51分45秒 | 山行・旅行・散策
本日は鳴子温泉郷のそばの中山平温泉にやってきた。新幹線古川の駅から約1時間、鳴子温泉駅で下車、宿の送迎バスのお世話になった。
一つ先の中山平駅から近いが列車の便は悪い。宿に荷を置いてから中山平駅までおもむきレンタサイクルで付近をめぐった。中山平駅から鳴子駅方向に戻り鳴子峡遊歩道を歩こうとしたが震災で落石の危険となり歩行禁止。前田夕暮の歌碑をまわり、尿前の関を訪れ、旧奥の細道を少しだけ歩いた。こけし館を見学して中山平駅へ帰着。芭蕉の歩いた旧奥の細道はいつかは歩いてみたい道だ。かなりきつい山道である。
鳴子のこけしは首がはめ込み式で、回すとキュッキュッと音が出るのが特徴。以前に鳴子温泉を訪れたとき購入したので今回はパスした。
温泉はPh9.3とかなりのアルカリ性、うなぎの湯というとおりぬるぬる感たっぷりのお湯。ゆったりと温泉に浸ることができた。贅沢三昧の一晩となった。
明日は仙台に戻り、先月亡くなった妻の母親の納骨。明日のうちに横浜へ戻る予定。

昼頃に鳴子温泉駅に着いたのだが、空の青や白い雲の様子は乾いた感じでいかにも懐かしい夏であった。田んぼの稲の青さも、畑の緑も子供の頃の夏休みに味わった雰囲気そのものであった。私の経験では北海道南部、横浜市郊外だから東北地方のこの鬱蒼とした森の緑とはどこか違うはずなのに、と不思議に思った。共通するのは何だろうと思っていたらふと、太陽の光線、日差しが共通しているのではないかと。
現在の東京の太陽の日差しはとても強い。人を寄せ付けない、人が馴染めないほど強い。しかし私が子供の頃に経験した夏の太陽はこれほど人を寄せ付けないものではなかったのではないか。そんな思いにうなずくような大陽の明るい日差しであった。ジリジリと肌を刺すような東京の日差し、ムッとするような熱気、それらを和らげることなくかえって増幅するような照り返し、こんな太陽ではなく、からっと包み込むような太陽が懐かしい。同じ暑さでもずいぶん違いがある。
こんなことに思い当たったら、東北の山がとても懐かしく思えてきた。飯豊や朝日の奥深い山の夏の日差しを再び浴びたくなった。来年はこれらの山にも行きたいものだ。

レーピン展

2012年08月08日 22時02分33秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等





 本日はそれほど気温が上がらなかった。それでも30度近くまで気温が上昇したが、その中、渋谷の東急のBukamuraまで「国立トレチャコフ美術館所蔵レーピン展」を見に出かけた。
 レーピンという画家についてはまったくといっていいほど知識がない中で、何を期待して出かけたのかは私自身もよくわからないのだが、暑さにかまけてこの夏が、何も見に行かないでおわるというのもいかがなものか、という実にネガティブな動機で出かけた。
 会場に入るや否や肖像画のオンパレードで、私自身の好みとは違うのかな、と感じた。しかし解説がそれなりに丁寧なので、それを読みつつ進んでいった。
 さてこの画家の初期の大きな仕事として「ヴォルガの船曳き」というのがあるようだが、今回展示は習作6点の習作・準備素描と同一主題の「浅瀬を渡る船曳き」という作品であった。同題の作品はいくつかあるらしいが、1973年のものが最後の3度目の完成品のようだった。残念ながらこの完成品3つは展示がなく、コピーが展示されていた。
 船曳き一人一人の表情を克明に描き、最下層の人々のそれぞれのドラマに迫ろうという最後の完成品、船曳きという労働の過酷さを中心に据えた前2作、ともに味わいのある作品のようであり、それぞれ実際の作品を鑑賞したくなった。残念であるがまたの機会ということである。しかしこの連作については解説もそれなりに丁寧であり、見ごたえはあった。
 社会主義リアリズムの画家ということで崇められたらしいが、そんな概念だけでくくってしまうのは困難なほど多様な側面を見せる画家であると同時に、政治的に革命ロシアに本人が思い入れをしていたとも思われない。しかしロシア革命後から1930年に亡くなるまで、その評価は継続したようだ。
 本人はロシア革命後はフィンランド領内で暮らしたようだが、ある意味、革命政府によって祭り上げられた偶像なのかもしれない。
 妻と子供を描いた「あぜ道にて」などはいかにも印象派的な絵だが、これなどは私の好みの絵であった。残念ながら絵葉書はなかった。
 今回の展示、ほとんど素人で事前の勉強もいていない私には「レーピン」という名を覚える良い機会となった。ネットで今後勉強をしてみようかと思っている。


圧力鍋

2012年08月07日 18時06分25秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 昨日妻が誕生日のお祝いにもらった圧力鍋を使って、手始めにジャガイモを蒸してみた。まぁ出来の良し悪しという事も無く、無事にできあがった。昼過ぎにその圧力鍋を使った料理の本を探しに有隣堂まで出かけたが、残念ながらその手の本は置いていなかった。製品についていたいくつかの料理の例を参考にしながら自分で工夫してみるしかないようだ。使いこなすには料理に対する探究心が必要だということか。

 さて、購入してから34年経つ時計、内部に水滴がつくようになってしまった。この間4月からウォーキング・ジョギングにも、そしてこの間の山行にも腕にはめていったが、汗がしみこむようだ。量販店の時計の修理部門の担当に聞いてみたが、もう古い時計なので枠自体がいびつになっている可能性が大であり、パッキンを取り替えても治らない。分解掃除に出しても8千円から1万円かかり、それでも元にはもどらない、そして期間が1ヶ月といわれた。それでは修理の意味はないので、スポーツ時にはこの時計は使用しないことにして、スポーツ時用に廉価な時計を購入することとした。
 本日購入した時計は、1980円なりで電池10年、10気圧防水がうたい文句。実際にどれだけの期間使えるかわからないが、8年後に私の方がもう使わなくなっているかもしれない。5年も持てば十分かと思い購入した。

 久しぶりに喫茶店にてアイスコーヒーを飲みながら、山での印象を俳句にしてみた。

本日の俳句
★雪渓の一滴や今旅終わる
★今日よりは立秋穂高へ雲来たる
★明眸皓歯天に立秋の岩の尾根

うなぎのフルコース

2012年08月06日 22時59分56秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は私と妻の誕生祝いということで、娘夫婦の招待でうなぎの店へ。四万十川の天然ものとのうたい文句であった。
 天然物と養殖物との差がわかるような通ではもとよりないのだが、確かにおいしくいただいた。味は薄めでこれも嬉しかった。一緒に飲んだ日本酒とも相性が良かったと思う。
 妻は還暦の祝いのおみやげも手にしご満悦。私は今日1日雨でゴロゴロしていたことうえにうなぎのフルコースをしっかり平らげて、体重1キロ増。明日からは少し節制しないといけない。

 さて本日の雨にはびっくりした。あんなすごい雨はひさしぶりにあったと思う。台風の時にしか経験がなかったのではないだろうか。ベランダ側にもずいぶん吹き込んだ。
夕方には警報・注意報も解除となり、日も差すようになった。同時に蝉の鳴き声も復活し元のにぎやかな蝉の声が復活した。

 明日はどんな天気になるのだろうか。





広島忌

2012年08月06日 00時15分19秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 いかなることがあろうとも、紆余曲折があったとしてどんな意味づけがなされようとも、忘れてはならない忌日のひとつとして教わった。

広島の原爆忌
★遮断機の影の動かぬ暑さかな
★ビル風の渦のゆくえや広島忌
★落蝉の緩慢なる死夕日影
★大伽藍ひからびてゆく蝉白し

ソルロンタン2

2012年08月05日 10時50分36秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 先月新大久保で韓国料理の店でソルロンタンを食して、あまりおいしくなかったということはこのブログに記した。昨夜は妻の案内で、横浜の伊勢佐木町の裏でおいしいお店があるというので再度挑戦してみた。
まず出された白いソルロンタンのスープに店の人から「塩と胡椒をふって好みの味にしてください」といわれた。前回新大久保ではそのようなことはいわれず、味の極めてうすいスープをそのまま啜ったが、この新大久保での供され方はどうも本来の食し方とは違ったようだ。
 そして今回は何も入れずに食してみてから、塩・胡椒を入れてみたが、不思議に単に加えた塩味以上にコクと旨味が増したように感じた。これはちょっと不思議な感覚であった。胡椒もなかなかマッチしていた。
 さらに肉であるが、前回は味のない、薄くてペラペラのような肉であったが、今回はとろりとして柔らかい弾力があり、そして肉の味がしっかりした肉であった。
 同じ料理でこんなにもうまさが違うのかと驚いた。これはなかなか病み付きになるおいしさである。
 ただしちょっと値段は高めで1500円。ただし生ビールについたお通しのキムチもおいしいし、定食につく6皿の突き出しもとてもおいしかったので、これは文句はつけられないと感じた。


 さて本日は私の61回目の誕生日。今更誕生日が待ち遠しいわけではなくあくまで「とうとう61歳」という感慨しかわかない。それを確認するための誕生日ということだ。昔から、暑さの真っ盛りの誕生日、特に感慨もわかなかったが‥。
 退職して丸4ヶ月が過ぎてようやく退職後の生活が見えてきた。9月までは体力の回復期と位置づけ、当面の基本的に規則正しい生活パターンの構築と体力づくりに励むこととした。ただしこれは9月になったらそれでおしまい、というのではなく長く続けられるパターンでなければならない。このパターンに9月以降少しずついろいろなものを付加していくイメージが良いのだろうと思っている。


Dさんの死

2012年08月04日 23時22分33秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 この歳になるといろいろの方の死に出くわす。そして思いもかけない人がなくなり、暗然とすることが多い。
 Dさんの訃報を聞いたのは昨日のナイター観戦の時。Dさんは私が単組の中央執行委員をしていた2期目に、単組のもっとも大きな支部出身ということで常任中央執行委員になった。私よりもひとつ下になる。
 そしてずっと単組の執行委員をしていたが、執行委員をおりて一組合員として第一線の職場で業務についていたと聞いていた。
 今年で60歳になり来年3月末で定年を迎えることになっていた。突然、動脈瘤破裂とのことらしいがなくなったという。病気についてなんにも聞いていなかったので驚いた。
 一見こわもての感じだが、話せばとても静かなおっとりとした話し振りでもあり、私は好感を持っていた。私は小さな支部・ブロック出身で、あくまでもそこの組織拡大に全精力を注ぐ一環として中央執行委員になった経緯もあり、その後支部長やブロック代表になるということで中央執行委員をおりることにした。
 Dさんは単組の拠点支部出身でもあり、私のようなことは想定されず、どういう経緯で職場にもどったかは私には結局わからずじまいだったが、それでも執行委員を降りたあと時々組合の会館や組合の動員先で顔を合わすことがあり、「職場で楽しくやっているよ」と離してくれたのを今でも思い出す。
 葬儀にはでることはできなかったので、香典を知人にあずけたが、ご冥福を心より祈りたい。

オリンピック報道あるいはスポーツ観戦

2012年08月03日 13時39分08秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 世の中はオリンピック一色、夜遅くから明け方までテレビの音が窓からこぼれて団地の中に響いていて、迷惑そのものだ。日中のテレビ番組もオリンピックの放送ばかりである。まぁテレビの番組は取り立てて見るものもないので特に迷惑ではないが、あまりに芸のない、工夫のないオリンピック報道ばかりのような気がする。選手のコメントの画面で、「コメンテーター」のつまらない見解ばかりが放送され、肝腎の選手の声が放映されなかったり、などお粗末なものが目に付く。
 さて私は「日の丸」も「君が代」も、とても違和感がありそれを見聞きするのはとても嫌だ。そしてスポーツをするのに「国の威信をかけて」「日の丸のために」云々という声が聞こえると、もうだめだ。
 私は「スポーツはあくまでも個人・チームのプライドをかけて行うもの」という感情から抜け出ることができない。スポーツ選手にしてみれば、どのような大会であろうが、あくまでも個人の資格・実力で参加している気持ちなのかもしれないが、オリンピック代表ということになった段階で、国の派遣費用ということになり、個人資格から国家の代表という顔を持たされることになる。オリンピック以外に大きな世界大会がないスポーツの選手にとってはオリンピックは極めて大きな晴れの舞台であり、そこに人生を賭けていることについては理解はできるが、やはり私には極めて大きな違和感がある。
 「君が代」「日の丸」に対する違和感と、「国のため」に対する違和感、この二重の違和感が、私をオリンピック報道から遠ざける。オリンピックそのものから私がはじき出される。
 私は小さい頃から「体育」というか身体を動かすことについて、劣等感のかたまりであった。小学校はいる前からだから家庭での育てられ方自体に問題があったのであろうことは容易に了解できる。身体を動かすことに面白さを感じたのは、就職してまもなくの頃、大学時代の友人に連れられて山に行ったこと、子供が生まれて間もない頃一念発起して減量に取り組もうとジョギングを始めたこと、からである。以来年に2回くらいだが登山と走ること、歩くことが趣味となった。
 山は中学・高校のとき夏休みに学校の行事として奥秩父と磐梯山にのぼってから興味はあった。だから大学の友人に連れられて登った時はとてもなつかしい気持ちがして、それ以来病みつきになったといっていい。
 私のこの乏しいスポーツの体験はあくまでも私的な範疇である。どう考えても私的な爽快感への親和以外ではあり得ない。「オリンピックに出たい」「有名になりたい」「日本を代表する選手になりたい」という意識とはとても隔たりが大きく、溝が深い。
 この隔たり感は、もともとスポーツに対する考え方が違っているのだから声高に言ってもしょうがないといわれればそのとおりなので、特に人に強制するつもりはない。ただオリンピック報道の異常な過熱ぶりを見ているとちょっと一言言ってみたくなるのである。

 さて本日は夕方から、プロ野球のベイスターズ対ジャイアンツ戦を横浜スタジアムで観戦する。
 不器用な私は球技全般がまるでだめだ。子供の頃は三角ベースや、時々ソフトボールに参加したことはあるが、学校教育で野球を行ったことは皆無だ。軟式野球の職場別対抗試合に狩り出されて練習に参加させられたが、守備がまるで理解できなかった。フライの捕球も先輩から教わったが、センスが悪いのはわかっているが、教える人によって違うことを言われている内にますます嫌になってきた。数をそろえるために狩り出されていたがそのうち断るようになった。
 だから野球を見ていても選手一人一人の守備での動きを見ていてもよくわからない。はっきりいってビアガーデンをスタジアムに移して、屋外でビールを飲む快感にひたるためでしかない、あるいは労働組合の行事として組合員が楽しく時を過ごすための機会として場を提供しているということでしかスタジアムにまで行こうと意識はわかない。今回も私の属していた支部のナイター観戦企画のお手伝いを頼まれたということでしかない。
 しかしあの広い球場で団扇を使いながら飲むビールの爽快感は、野球の試合が理解できるかどうかはまったく別にして、確かに得がたいものである。
 ついでに申せば妻はベイスターズファンである。私よりも野球に疎いが、それでもベイスターズが勝利した日はご機嫌が良い。妻は今晩の観戦を楽しみにしている。私もその楽しみに便乗させてもらう。確かにスポーツの楽しみには、観戦の楽しみがついてまわる。

 私のオリンピックへの違和感など、歯牙にもかけないスポーツ観戦ファンのオリンピックというものを観戦する楽しみというものがあるということはそれなりに理解できる。
 各種競技での選手の妙技ぎ感嘆すること自体にはあえて違和感はないし意義を申したるつもりもない。できればオリンピック報道は「国」あるいは「日本」に着目した報道ではなく、「妙技」「技」に着目した報道をしてくれれば私もテレビを見る機会が増えるかもしれない。

 スポーツというといつもこんな考えが頭の中を駆け回る。


 登山は、この歳にしてはワイルドであっても、私のあくまでも私的な趣味の世界のひとつである。だから俳句のひとつでも作ってみたくなる。

今回の山行での俳句(その2)
★大滝をにらんで蹲踞青蛙
★断崖の岩独り占め赤蜻蛉
★空の青抜けては帰還夏燕
★雷鳥や雲に接して飛騨の山

花火大会

2012年08月02日 07時39分38秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日の夜、横浜では神奈川新聞花火大会で夜7時15分から8時15分まで花火がきらめき、腹に響く花火の音がとどろいた。
 昨日の午後にみなとみらい地区にあるみなとみらいホールでのコンサートの情報を手に入れようと、歩いてみなとみらい地区まで出かけた。途中までこの花火大会のことをすっかり忘れていたが、浴衣すがたの多くの若いカップルや女性のグループを見て、このことを思い出した。
 似合うかどうかではなく、すっきりと浴衣を着こなしている方はとても少ないのだが、それでもたとえ着こなしな悪くても浴衣姿はどれも涼しげで微笑ましいものである。

 私の住む団地から見る花火は、みなとみらい地区のビルの合間からだがなかなか見事な眺めである。そして私は打ち上げ花火の音が好きであるが、この団地からの音もなかなか聴きごたえがある。
 花火が花開いてから数秒後の大きな音、これには花火の視覚的な見ごろと付かず離れずの間がとても重要だ。花火がひらくと同時に音が届いても迫力満点とはいかない。そして花開いてから10秒以上たって音が響いても、この音がどの花火の音だったか皆目検討がつかなくなっていてはつまらない。
 花開いてから数秒の後に「ドーン」と腹に響く音がいい。特に花開いた花火と、この音との1対1の関係がわかる程度の距離で花火を見るのがもっとも好きな花火の鑑賞方法である。

 この花火大会でようやく横浜の夏が本番を迎えたような気持ちとなる。


 トレーニングを再開して昨日は2日目、一昨日は2万5千歩、昨日は3万歩を歩いた。おとといの夜は、用心に湿布をして寝た。また昨日はウォーキングの後も湿布をしてみなとみらい地区まで午後の散歩をした。しかし特に膝には影響はないようだ。ほっとした。ただし本日は用心してウォーキングはお休みをしようおもう。明日からまた再開したい。ジョギングの再開は来週からの予定。

久しぶりに本格調理

2012年08月01日 08時02分19秒 | 料理関連&お酒
 7月30日の月曜日、約30年ぶりくらいに夕食を作った。まだ子供がごく小さい頃、四人分の夕食を作って以来だと思う。今回は当然ながら妻と自分の分の二人分だから量は少ない。
 献立のひとつは豚の胡瓜と茄子の薄切りを下敷きにした冷シャブにシシトウをトッピングした。タレは豆板醤としょう油とごま油と酢にしょうがとにんにくと大量の葱のみじん切りを加えた。あとは海草サラダと青柳の剥き身と葱を酢味噌あえ。もう一品はオクラと烏賊と昆布と納豆を混ぜ合わせたもの。
 しかしこれだけのものをつくるのに2時間もかかってしまった。これが毎日作らなければならない料理人として評価するならば時間がかかりすぎである。それでも30年ぶりとするならば止むを得ないと自分で納得してしまっている。
 学生時代アパートで自炊していたので、そのときの勘を取り戻すことができればいい、というのが今回の料理挑戦の動機だった。3品目に作った烏賊については生の烏賊を購入したほうが随分安かったが、烏賊ひとつをさばいても量が多すぎるので今回は安い烏賊刺しを購入した。本当は生烏賊を購入して烏賊ゲソを冷シャブに添えたかったが、またの機会にしてみよう。
 定年を期に、月に何回かは私の手で夕食を作るように心がけたいと思っている。
 料理というのは、なかなか創意工夫というか、創作意欲が必要だ。献立・食材調達・段取り・下準備・調理・味付け・盛り付けとそれぞれに頭を使う。今回も作ることをそれなりに愉しんだが、その愉しみが持続するようにしたいものだ。
 学生の頃は、ご飯を炊いて、味噌汁をつくり、肉野菜炒めというのが定番だったのであまり考えなかった。それでも土・日の夕食は天ぷらや魚料理、煮物などに挑戦していた。あの頃は結構凝っていたものだと思う。40年近くたってその頃のエネルギー・意欲はすっかり影を潜めてしまった。


 昨日から再開したトレーニング。昨日は7キロのウォーキングを朝9時ごろに行った。登山から帰って2日ほどはこの横浜の暑さにうんざりしていたが、3日目の日曜日あたりから暑さに身体もなれ、モワッとした暑さのもとで汗を流すのがかえって心地よさそうに感じるようになった。そうはいってもこの暑さでジョギングまでしたらこれは倒れそうなので、8月中はウォーキングの場合だけ日中に行い、ジョギングを交えるときは夕方以降にしようと考えている。