Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

沖縄本土復帰50年番組から

2022年05月15日 22時27分02秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 沖縄本土復帰50年、さまざまな放送が行われている。私はほとんどNHKの番組ばかりを見ている。1972年当時の社会情勢や事件、そして私も参加したデモや集会などを思い出しながら、回顧ではなく、半ば悔しさや悔恨、反省も含めてこのひと月は私の中でも50年を反芻している。
 それらの番組の中で、知人が教えてくれたNHK綜合、16日(月)午前1時25分からの放送予定、「シリーズ本土復帰50年 (5)「どこにもないテレビ」の録画予約をしてみた。
 多分寝てしまうので、録画が頼り。番組の紹介は以下のようになっている。

「沖縄本土復帰50年シリーズ第5回。テーマは「沖縄の放送史」。沖縄独特のテレビ番組が次々と誕生した背景に迫る。NHK・民放の枠を超えて貴重な映像も紹介! 戦後のアメリカ統治下で産声を上げた沖縄の放送局。テレビの放送開始はNHKより民放が早く、紅白歌合戦やドラマはCM付きで流れていた。県民に人気の娯楽番組が多数編成された裏側には米民政府の思惑が…。復帰後、NHKも開局し沖縄を見つめる番組でしのぎを削るようになり基地問題や沖縄戦といったテーマをさまざまな手法で描き全国発信を目指すようになる。貴重な映像満載で、「どこにもないテレビ」が進化した背景に迫る。」

 昨日右膝の具合はかなり良くなかったが、本日は快調。朝、目が覚めたときも、脚の屈伸運動をしなくてもベッドからすんなりと降りることができた。整形外科で紹介された体操も楽にこなせた。階段を降りるときには痛みがわずかであった。逆に登るときに少し痛みを感じた。それもわずか。
 このままさらに改善の方向に向かっていくとありがたい。

 本日は13日から続けて聞いているモーツアルトのピアノソナタ15番の第2楽章を幾度も聴いた。内省的な気分の時に欠かせない曲のひとつである。


本日の「日曜美術館」

2022年05月15日 20時39分51秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 本日はEテレでいつものように日曜美術館を見た。本日は「失われたときを求めて~沖縄本土復帰50年」。さまざまな番組がある。いくつかは録画予約した。
 公式サイトでは次のように記されている。
「本土復帰50年を迎える沖縄。近年、戦争で失われた文化財を復元する取り組みが行われている。県民の四人に一人が犠牲となった沖縄戦では、貴重な文化財とともに、その技の担い手までもが失われてしまった。かろうじて残された仏像の破片や戦前に撮影された白黒写真などを手がかりに、かつての技術を取り戻す作業は、“失われた記憶”を取り戻す営みでもあった。文化を蘇らせ、後世に伝えようという取り組みを見つめる。」
 この番組も録画したので、再度視聴する予定。


再び雨

2022年05月15日 19時53分50秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 15時前に家を出て、18時過ぎに帰宅。家のそばのバス停を降りたら雨が降り始めた。降り始めにしては大粒の雨。今はやんでいるが、今夜には再び降り始めるらしい。
 横浜駅で、昨日品物が無くて購入をあきらめたものを物色したが、満足できるものがなく、断念。妻は別の駅の近くの商店街を探したらしいが、こちらも不発。いつになったら購入できるのか、わからない状況である。探しているものは特に必要性のあるものではないが、長年の経過で破損したもの。私なら別の代替え手段を講ずるが、妻はそれでは納得しないとのこと。

 横浜駅の近くの喫茶店で30分ほどの読書タイムで「日本美術の核心」を読んだ。


明日は予定なし

2022年05月14日 22時54分37秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昼前に雨はあがった。午後からは雲は消えなかったものの、雲の高さが高くなり、弱いながら陽射しが戻った。
 久しぶりに妻と買い物。私のものでは夏用の半袖のポロシャツを1枚購入。その他の買い物は目当てのものがあったりなかったりと予定の5割。後は食料品の買い物。
 遅くなったので楽をして外食とした。天ぷら定食を注文。久しぶりの店だった。カウンター席に座ろうとすると、掘りごたつ式の小あがりを指示された。しかし膝がいたくて足を掘りごたつの中に入れるのに大変苦労した。カウンターの椅子席は予約で満席だという。しかしカウンター席には私たちが帰るまでだれも座らなかった。
 食事が終わり帰ろうとするときも、痛くて膝を出すことができず、呻きながら四つん這いになって何とか這い出した。
 こういう嫌がらせのようなことをされると次にこの店を訪れることはない。

 明日も曇りだが、気温は少し下がるらしい。明日は予定はない。

 


「日本美術の核心」 その2

2022年05月14日 21時00分09秒 | 読書

   

 本日は「はじめに」と第一章「入ってきたもの・出ていったもの」を読了。

「美術のグローバル化の背景にはファインアートの広がりがある。絵画と彫刻を基軸とするファインアートという概念は西欧が生みだしたものだが、明治の日本がその洗礼をまともに受けた‥。西洋発のファインアートは近代を迎えると瞬く間に世界基準になった‥。ファインアートの定義は本書では見るものを威圧する立派な造形についてこの言葉を使う。」(はじめに)

 この定義は大胆かつ乱暴にも思えるが、付き合ってみるとなかなか面白い。私の言葉で言えば政治権力と結びついたり、宗教や美術の「権威」の象徴・手だてとして人々を威圧し、ひれ伏させるものとも言い換えてみたい気もする。

「(古墳の内部に描かれた壁画があるが)古墳時代には「絵」や「画」などの漢字も伝来し初めていたが、実はこの二文字には訓読みがない。「絵」の「え」という読みは‥音である。‥訓読みがないということは日本列島の住民が絵画の概念を持っていなかったことを意味するからだ。絵画の概念さえ外から来たことになる。古墳に描いた形象を何と読んでいたのだろうか。」(第1章)

 これは私はとても驚いた。慌てて角川書店の漢和中辞典と白川静の字訓で調べた。確かに漢和中辞典では「絵(繪)」には訓読みはなく、音読みとして「カイ、エ(ヱ)」が記されている。字訓でも「ゑ」は呉音としている。「画」についても漢和中辞典は同様。「ゑがく」は漢字の音を利用して作った当時の新しい言葉だったということなのだろうか。それとも「ゑがく」という和語と「絵」とは違う概念なのだろうか。現代の言葉で言えば「サボタージュ」から「サボる」ではなく「さぼる」という具合に、昔からの言葉のように使われているのと同じと言っていいのだろうか。この訓読みではないということ、私の頭の中には無かった。

「(明治期)日本から出ていったものは工芸に類するものが多い。浮世絵も分業による版画なので、‥工芸的な絵画と言ってよい‥。日本は西欧が言うところの応用美術の国であった。」(第1章)

「近年外に出ていったものの代表はマンガやアニメであろう。海外で徐々に人気が高まり、今や日本の現代文化を代表する存在になっている。かつての浮世絵のように日本から売り込んだものではなかったのだが、近年ではクールジャパンの掛け声のもと、政府が輸出を後押しをしようとしている。何もしなくても外にでていくものこそ本物なのだろうが。」(第1章)

 最後の一文なかなか辛辣である。


本日から「日本美術の核心」(ちくま新書)

2022年05月14日 13時37分00秒 | 読書

 本日から読み始めるのは「日本美術の核心 周辺文化が生んだオリジナリティ」(矢島新、ちくま新書)。
 2月の新刊時に購入していた。
 私の気持ちに合致するかは読んでみないとわからないが、気分よく読めるように願っている。どういうことかというと、「日本万歳」「日本こんなにすごいんだぞ」的な結論先にありきという内容ならば途中で放り出したくなる。その気持ちにならないことを願っているということである。


モーツアルト「ピアノソナタ15番、18番」

2022年05月13日 22時14分29秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

      

  雨が降り続く本日、夜に聴いている曲はモーツアルトのピアノソナタ第15番(K.545)と第18番(K.433/494)、ロンド(K.511)を内田光子の演奏で。

 私は第15番の第1楽章、第2楽章がとても気に入っている。
 第1楽章は、いかにもモーツアルトらしい。冒頭から上行と下行の音階だけなのだが、これが実に美しいメロディのつなぎ役として、軽やかさを醸し出す適役として、これでなくてはならないという風に聴こえてくる。この不思議に昔から参ってしまっている。
 第2楽章は一転してメランコリックで静かな曲。この対比もまたいい。この第2楽章も一度聴いたら忘れられない。
 第18番の第2楽章はとても有名で、長い曲である。静かに始まるが、第2主題の下行する音型が好みである。

 


大雨注意報

2022年05月13日 21時24分28秒 | 天気と自然災害

 県内はそれほど降らないのではないか、と午前中に記したが、夕方になり再び雨脚が強まってきた。16時半には大雨注意報が加わった。
 強く降り始めたといっても一応20ミリまでの雨の区域が横浜市域を西から東に移動している。一部50ミリの狭い区域が市の南の区域を通過したが短時間で抜けた。
 雷は先ほど数回鳴ったが、かなり遠くのようなので、パソコンの電源を切らずにいた。もう少し近くに聞こえたら電源を落とすつもりになっていた。
 まだ西に雨の強い区域があるようで、予報通り今晩から明日にかけて次から次に雨の区域が通過していくと思われる。これ以上強い雨の区域が来ないでほしいものである。

 本日は結局一歩も外に出ないで過ごしてしまった。ベッドで横になり「人類の起源」を読み、夕食後はブログをアップするために、パソコンとにらめっこ。
 同時にモーツアルトのピアノソナタ第15番(K.545)と第18番(K.433/494)、ロンド(K.511)を内田光子のピアノで聴きながら。

 このごろ、雨が続いて気分は下向き。明日の午後は雨も上がり、気温もかなり上昇するとのこと。半袖・半ズボンでの外出としたい。膝の具合が良ければ、フラワー緑道まで歩いてみたいものである。


読了「人類の起源」

2022年05月13日 20時16分24秒 | 読書

   

 「人類の起源 古代のDNAが語るホモサピエンスの「大いなる旅」」(篠田謙一、中公新書)を読み終えた。
 前回ブログにアップした4月29日以降に読んだのが、第5章「アジア集団の成立 極東への「グレートジャーニー」」、第6章「日本列島集団の起源 本土・琉球列島・北海道」、第7章「「新大陸」アメリカへ 人類最後の旅」、終章「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへいくのか 古代ゲノム研究の意義」、おわりに。

「田園洞遺跡の人骨のゲノムと縄文人ゲノムを比較すると、56%が共通で、残りの44%はことなるという研究結果があり‥、田園洞の集団が大陸の内部を北に進んだ一方、東アジアの集団はそれとは別の沿岸を北上するルートを進んだ可能性がある‥。縄文人は四万年前以降に東アジアに展開した異なるふたつの系統が合流することで形成されたということです。それぞれの系統が独立に日本列島に流入したのか、それとも大陸部湾岸域で混同した後に流入下のかは以前として不明‥、これまでは縄文人の系統を単一のものとしてしか捕らえていなかったので、このことは縄文人を考える上で非常に大きな意味を持ちます。」(第5章 アジア集団の成立)

「(旧来の)二重構造モデルでは、旧石器時代に東南アジアなどが北上した集団が日本列島に侵入して基層集団を形成し、彼らが列島全域で均一な形質を持つ縄文人となったと仮定しています。一方、列島に入ることなく大陸を北上した集団は、やがて寒冷地適応を受けて形質を変化させ、北東アジアの新石器人となったと考えています。弥生時代の開始期になると、この集団の中から朝鮮半島を経由して、北部九州に稲作をもたらす集団が現れたとされ、それが渡来系や要人と呼ばれる人々になります。縄文人と渡来系弥生人の姿形の違いは、集団の由来が異なることに起因すると説明している‥。最新の研究では、大陸の湾岸部と内陸部を北上したふたつのルートが仮定されており、二重構造モデルのシナリオは単純化しずきたものだということが指摘されています。」

「この二重構造モデルは列島内部に見られる形質の時間的・空間的な違いを「基層集団である縄文人と渡来した集団の関係」という単一の視点で説明している‥また列島集団の成り立ちについて大陸からの先端的な文化を受け入れた中央と遅れた周辺、という見方をしていることには注意する必要がある‥。このようなひとてつの視点で、南北3000kmを超える日本列島・南西諸島の集団の成立を正確に説明できるのか‥。」

「縄文人のミトコンドリアDNAに見られる地域差は‥縄文人が旧石器時代にさまざまな地域から入って来た集団によって形成されたという事実です。‥およそ1万3000年のあいだ続いたこの時代には、列島に均一の集団が居住していたのではなく、私たちが想像する以上に集団の多様性に富んでいたことが明らかにてん。地域によって遺伝的にことなる多数の集団が居住していたようです。‥縄文人というのは縄文時代に列島に居住した人々を総称して指す学問上の定義であって、必ずしも遺伝的に均質な集団であると考える必要はありません。」
「弥生時代を特徴づけるものとして水田稲作農耕だけではなく金属器の使用があります。滋養門時代にはすでにある種の農耕が始まっていたのに対し、金属器が存在しなかったことを考えると、客観的にはこちらのほうが弥生時代を明確に定義する特徴‥。」

「朝鮮半島南部の集団が6000年前には現代日本人と同じくらいの縄文的な要素をもっていたという事実は、これまで単純に在来の縄文人と渡来系弥生人の遺伝子をまったく違うものとして扱ってきた日本人起源論に再考を促すことになりました。」
「(揚子江流域の)稲作農耕民と(中国北部にルーツを持つ)雑穀農耕民が朝鮮半島に流入し、そこと在地の縄文系の遺伝子を持つ集団と混合することによってあらたな地域集団が形成され、その中から生まれた渡来系弥生人が、3000年前以降に日本に到達したというストーリーが見えてきます。」

「弥生の中期以降にも大陸から多くの人々の渡来があったと想定しないことには、現代日本人の遺伝的な特徴を説明できません。現代日本人の形成のシナリオは、や要から古墳時代における大陸からの集団の影響をいっそう考慮したものになるでしょう。」(以上、第6章 日本列島集団の成立)

「よく用いられる種の定義として「自由に交配し、生殖能力のある子孫を残す集団」」という考え方があります。人類学者が別種と考えているホモ・サピエンスとネアンデルタール人、デニソワ人のいずれも、自由に交配して子孫を残していることから同じ種の生物ということになり、別種として扱うことはできなくなります。‥種の定義はあくまで現生の生物にあてはめているものなので、時間軸を入れると定義があやふやになってしまいます。種という概念さえ厳密に定義できないのですから、その下位の分類である「人種」は、さらに生物学的な実体のないものになるのは当然です。」

「私たち日本人の感覚では、同じ民族というと遺伝的にも斉一性の高い集団だと考えがちです。しかし近年の古代ゲノム研究によって、人類集団は離合と集散を繰り返しながら、その遺伝的な性格を変化させて存続していることが明らかとなっています。少なくとも「純粋な民族」という概念が、長期間にわたって他集団との混合を経ずに存続している集団であると定義すれは、‥遺伝的にまとまった集団が長期にわたって存続しているわけではないのです。‥私たちの世界は、将来的には民族と遺伝子のあいだには、対応関係が見られない方向に変化してくことになるでしょう。民族はますます生物学的な実態を失っていくことになります。両者を混同した議論は意味のないものになっていく‥。」

「(現在使われている)教科書的記述にかけているのは、「世界に展開したホモ・サピエンスは、遺伝的にほとんど同一といっていいほど均一な集団である」という視点や、「すべての文化は同じ起源から生まれたのであり、文明の姿の違いは、環境の違いや歴史的な経験、そして人々の選択の結果である」という認識です。そうした基本的認識なしに多様な社会を正しく理解することはできない‥。」(以上 終章)


 終章で引用した一番最後の「すべての文化は同じ起源から生まれた」という一句の「文化」をのぞいて、なかなかいい示唆、知見が述べられていると感じた。
 特に国境線に囚われることなく、列島の縄文時間から弥生人、古墳時代にかけての人々の流れについては勉強になったと思う。
 また文化と人々の集団とは一致しないという指摘も忘れないようにしたいものである。
 なお、第7章「「新大陸」アメリカへ」は読んだ記憶がある。多分「日経サイエンス」で読んだものを下敷きにしたもののだと思う。


強風・波浪・雷注意報

2022年05月13日 14時29分35秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 朝起きてみるとこの3つの注意報が出ていた。県内では雨は5ミリ未満の雨の区域がほとんどであるが、10ミリ未満の雨の区域が昨晩よりも少し多くなっている。
 昼過ぎからは雨は弱くなり、空も明るくなりかけている。
 警報級の雨、と言われていた。まだまだ油断は出来ないものの、神奈川県内はそれほどの雨にはならないようだ。さいわいにも風も強くない。雷も鳴っていない。

 本日、整形外科でのリハビリの予定が入っていたのに、すっかり忘れており、病院から電話がかかってきた。今週はもう予約は無理ということで、来週に予約をしてもらった。予定を忘れたというのが、かなりショックである。
 スケジュール帳にも記載しており、一昨日までは頭に入っていた。昨日、出かけたときにはすっかり頭から抜けてしまった。

 再発防止策は思いつかないが、とりあえずはまず新しい予約をスケジュール帳に書き込むこと。そしてそれを打ち出して部屋に張り出すこと。部屋に張り出しているのは少し前に歌だしたもので、本日の整形外科の予定は書き込んでいないものであった。
 つねに新しいものを張り出しておく、ということを忘れていた。予定を忘れたのはこれが原因ではないが、いつもスケジュールを気にすることで防止できることもあるかもしれない。


うぐいすの初音

2022年05月12日 22時51分38秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 本日の朝、団地の中でうぐいすが鳴いているのに気がついた。私にとっては、うぐいすの初音である。例年もっと早く梅の季節に鳴いていた。一日に千回も鳴くというだけあってしつこいくらいに1羽が鳴いていた。しかしここ数年聞こえてこなく、「さびしいものだ」と妻と話していた矢先に聞いた。
 団地では、ここ数年はシジュウカラの声ばかりがしていたと思う。とてもなつかしく聞いた。シジュウカラの声も私は好きであるが、夏山の開けた明るい尾根で聞くウグイスの声はいいものである。団地でウグイスの鳴き声を聞くと、夏山を思い出す。

★鶯の声遠き日も暮にけり     与謝蕪村


明日は大雨の予報

2022年05月12日 20時05分32秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 天気予報通り午後から降り始めた雨が本降りになった。お昼からは親とともに都内まで出かけて、銀行での諸手続き。思ったよりも早めに終了。

 明日はかなりの雨量があるらしい。警報レベルの雨と言われている。おとなしく家にいたほうが良いようだ。

 先ほど退職者会ニュースの最終校を確認した。これにて5月号は印刷工程に回してもらった。5月23日の納品に十分に間に合うこととなり、一息付けた。


読了「しぐさで読む美術史」

2022年05月11日 22時00分02秒 | 読書

   

 最後のほうの9項目、「頬杖」「宣誓」「聖なる手」「脚を組む」「腕を組む」「数え指」「頭に手を置く」「天を指す」「沈黙」を読んだ。



 「宣誓」の項の冒頭で、「運動会やスポーツ大会で行われる選手宣誓。そのとき手のひらを下にして腕と指をまっすぐに伸ばすことかせ多い。これは「ローマ式敬礼」とよばれる誓いの身振りで、単純でいて厳粛な雰囲気を感じさせる。1920年代移行に台頭したイタリアのファシスト党とドイツのナチス党がこの身振りを採用したため、ナチス式敬礼ともよばれ、第二次大戦後は公的な場でこのポーズを取るのは危険視されるようになってしまった。いまだにこの身振りが残っているのは日本のスポーツ界くらいだろう。」と記されていた。

 これは知らなかった。ということは、1964年の東京オリンピックの日本選手団の入場行進、だれもがそのまま受け入れているが、ヨーロッパでは強い違和感で見られていたのだろうか。そして日本のスポーツ界では未だに平然とこれが使われている。ドイツ・イタリアと同盟を結んで第二次世界大戦で敗北した大日本帝国がいまだに日本の国では清算されずに、生き延びているということなのだろう。
 日本が大日本帝国と断絶出来ていないことがこんなところにも現れている。そして私も知らなかった。悲しいことである。


半袖に馴れて来た

2022年05月11日 20時12分57秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 病院で朝・昼兼用の食事を11時前に済ませ、薬局経由で午後からの会議に臨んだ。会議は1時間余りで終了。
 そのまま横浜駅に戻り、いつもの通り書店と家電量販店のパソコンコーナーやプリンターのコーナー、そして百円ショップを用もないのに一回りしてからバスにて帰宅。
 読書タイム、コーヒータイムは取れなかった。
 本当は横浜駅から自宅までウォーキングをしたいのだが、それは無理。家まで歩かなくなって早くも7か月も経ってしまった。だいぶ良くなったとはいえ、そして杖を突きながらの外出は週に1~2回程度になったとはいえ、まだまだ30分も歩くことは無理である。

 本日の昼間は25℃近くになりそうだというので、半袖と作業用品店で購入したメッシュのベスト。日が陰るまではこれで十分。ただしズボンはまだ半ズボンにはしなかった。この気温では半袖がちょうどいい。長袖から半袖への移行時期というのはなかなか踏ん切りが着かない。二の腕が同じ気温でも寒く感じるときと、そうでないときと分かれてしまう。

 明日は親とともに外出なので、雨は降らないでほしいものである。


市民病院

2022年05月11日 10時59分40秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

市民病院の診察終了。いつもは11時位の診療時間だったが今回は早めの指定。診察前の採血が60人待ちでびっくり。採血コーナーの広い待合スペースもほぼ満席で密状態。かなり離れた診察待合スペースで待機。
しかし30分ほど待った程度で採血終了。
採血の受付は新病院になってからバーコードの読取り方式になった。手の震える高齢者や来院頻度の少ない方などにはなかなか困難で、ほぼ毎回手伝うことになる。受付の人からは背面になるので手助けが必要か見えていない。これは改善の余地がある。
会計も自動精算機になった。こちらは常時2人ほどの案内が立っており機械の苦手な高齢者もなんとかこなしているが、果たしてこの方式が「親切」なのか、疑問はある。
効率の点では、無駄は少なくなったかもしれないが、どこかしっくりこないこともある。親族が通ったある私立の大きな病院では、自動精算機で支払いが完了するとスピーカーから「お大事に」という声が流れてきた。妻と顔を合わせて「機械に言われたくはないね」と会話をした。それは人間に言われてありがたみの出てくる言葉である。もうこの病院には来たくない、と思った一瞬であった。
時代の流れ、と思うしかない。