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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

ベートーヴェンビアノソナタ第30~32番

2023年04月25日 18時10分14秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 ベートーヴェンのビアノソナタ第30から32番を聴いている。2021年の4月にこの曲の感想を3回に分けて記載していた。
 素人の感想なので時間がたってから読むと赤面するが、図々しくもう一度アップしてみる。この時は楽譜を手にじっくりと聴いていた。
 この時と変わらず、なぜか32番には馴染めない。しかし30番、31番は実に心地よく聞こえる。

★ベートーヴェン「ピアノソナタ第30番」
 ルドルフ・ゼルキンの演奏のベートーヴェンのビアノソナタ第30番を聴いている。
 第1楽章全体と第3楽章の主題が私にはとても印象的で、頭から離れない。どのように記譜されているのか、気になっていた。
 弦楽器の楽譜とは違い、ピアノの譜面は右手と左手、両方にまたがって旋律が記されるので、ピアノの譜面を見てもなかなか旋律が頭の中に浮かんでこない。しかし曲を聴きながら旋律を追う楽しみがある。管弦楽曲のスコアよりも私に追いにくい。
 しかし美しいと思った旋律がこのように記されているのか、という発見はうれしいものである。例えば第1楽章のA部分、右手の旋律だけが耳には聴こえてくる。しかし楽譜を見ると左でが16分音符を鳴らしている。これに気が付くと旋律に厚みを持たしていることがわかる。
 同時にB部分の装飾音が印象に残る部分である。ベートーヴェンの装飾音というと第4番のシンフォニーを思い出してしまい、その執拗な繰り返しに私は閉口してしまうのだが、この曲では実に効果的で心地よい。
 さらに第3楽章は主題と変奏であるが、主題と第1変奏、第4変奏が私好みの曲である。
 主題の5小節目と6小節目にあらわれる装飾音の転がるような響きがこの曲全体を軽やかなものにしている。
 その気分が第1変奏では、3小節目の転がるような5連部やそれぞれの小節に頻繁に表れる短い装飾音に引き継がれる。
 こういう譜面を見ると、曲全体の美しさが譜面にあらわれていると感じる。

★ベートーヴェン「ピアノソナタ第31番」
 この曲のもっとも気に入っているのは、第3楽章のフーガの前段に置かれた、アダージオ・マ・ノン・トロッポの部分。耳に心地よいのだが、楽譜を見ると、転調や複雑な速度表示などに惑わされるほど自在な変化が見られる。楽曲の形式にとらわれようとしないベートーヴェンの意志を強く感じる。
 後半の8小節から26小節までは「嘆きの歌(Klagender Gesang)」と譜面に記されている。とても印象的である。バッハのヨハネ受難曲との関連があるというが、私はヨハネ受難曲を知らないのでなんとも言えない。この部分を聴くだけでも、満足しそうな気分になる。

★ベートーヴェン「ピアノソナタ第32番」
 ベートーヴェンのビアノソナタ第32番を、楽譜を追いながら聴いている。しかしなかなか私にはなじめない曲である。
 ゼルキンのCDを購入して、聴くのは何回目だろうか。動機や主題の執拗な繰り返しに耳が拒否反応を起こしてしまう。もう少し素直に聴けないのか、と自分にイライラしつつもどこか生理的に受け付けてくれない。
 この曲になじむためにはもう少し時間がかかりそうである。無理をしてもたのしくないので、本日は2回だけにして、あきらめた。


疲労困憊

2023年04月24日 22時30分57秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 葬儀は滞りなく終了。精進落としと称して、要員としてかかわった退職者会の仲間と長時間にわたって2次会まで。酔っただけでなく、かなり疲れた。先ほどようやく帰宅。

 本日は読書も書き写しも、何もしていない。家庭内の仕事もできていない。特に我が家のリフォームに向けて、溢れるような私の書棚の本と書類の山を早めに処理をしなくてはいけないのだが、奨めることができていない。
 明日も退職者会ニュースの原稿づくりをこなさないと印刷会社の担当に迷惑がかかってしまう。
 ということで、酔ってはいるが、今晩も編集作業を継続せざるを得ない。


「方丈記」書き写し、佳境へ

2023年04月23日 22時37分06秒 | 読書

 夕方から頼まれた買い物を購入するために横浜駅まで出かけてみた。バスも珍しく混雑しており、地下道を歩く人も多かった。しかしどういうわけかスーパーや喫茶店はすいていた。短時間のコーヒータイムで帰宅。
 帰宅後は午後に続いてファイルにしまいこんでいた書類の廃棄作業を継続。

 夜には久しぶりに「方丈記」の第二段の書き写し。この第二段の最後では、元暦二(1185)年の大地震の様を描く。「恐れの中に恐るべかりけるは、只地震なりけりとこそ覚え侍りしか」と文中にあるように、大地震の恐ろしさを表現している。そして何よりも現地で確かに見たことと思われる記載の仕方に驚く。第二段の始めの大風の被害からここまで、実際の現場に鴨長明が実際に見たとしか思えない記事と、簡潔な文章に驚く。この地震の記載でも「巌割れて谷にまろび入る」あるいは武者の子が築地の下敷きになった様など、実際の駆けつけて見て回っとしか思えない。悪くいえば物見高い群衆の一人のように振舞いつつも冷徹な観察力と記憶力の持ち主と思える。
 第二段の残りは約320字ほど。

 高校時代から、40歳代まで数回読んだが、初段以降の書き写しは初めて。書き写しながらの鑑賞は、細部も良く見えてくる。鴨長明の冷徹な観察力と思考を辿っていくのはなかなかスリリングで興味深い。


本日の作業

2023年04月23日 15時04分14秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 午前から午後にかけては、リフォームのための室内の整理。貯まった薬類は妻主導の整理を手伝い、廃棄すべきものは廃棄。残しておくものは小分けにして整理。薬はどこかにしまいこんで忘れてしまうことが多い。10年も前の薬が出てきてびっくり。
 薬の整理・廃棄ののちは、美術館・博物館を訪れたときのチラシや展示目録、打ち出した感想書き、ならびに退職時以降の旅行の資料や旅行記を打ち出したものなど、分厚いファイル4冊分を処分した。
 美術展の感想、対馬・壱岐・吉野ケ里の紀行や諸外国への紀行、山行記録なども廃棄には躊躇したが、このブログの過去を見れば出てくるので、思い切って廃棄することにした。

 ファイルからひとつひとつ資料を抜き出すのが面倒な手作業である。そしてチラシ類は上質の厚紙なのでとても重い。新聞紙をまとめたものよりは数倍も重い。廃棄物としてゴミのステーションまでの運搬はきつい。運搬をだれかに頼むわけにはいかないので、妻と腰の悪い私で分担して運ぶしかない。
 この作業、本日は2回目であるが、まだ半分は残っている。連休前にはこの作業は完了したい。


すべて歳の所為にして‥

2023年04月22日 22時50分38秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 明後日に現会長の葬儀がある。要員の一人として参加する。その準備を少々。新調した喪服をこんなに早くに2回目のしようとするとは思いもしなかった。喪服はたいがいは1度きたらすぐにクリーニングに出すことを当然のように繰り返してきた。今回もクリーニングから戻って来たばかりである。こんなに頻繁に着たくはないものである。
 明後日は、気温は平年並みで、雨が降る予報にはなっていない。

 昨晩の深酒して帰宅したので、朝にシャワーを浴びたが、浴槽に浸かりたかった。これよりゆっくりと入浴。
 浴槽に浸からないと、何となく体がシャキッとせず、本調子に戻っていない。回復が遅いのは果たして歳の所為であろうか。
 昨晩、本日と書き写しは中止。明日こそは再開したい。

 


ドヴォルザーク「ピアノ三重奏曲第4番《ドゥムキー》

2023年04月22日 20時40分05秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 午前中にいつものかかりつけ医に降圧剤の処方をしてもらうために病院へ行くと、混雑。ようやく本日が土曜日あることに気がついた。1時間以上待って診察を受け、処方箋を書いてもらった。
 今度は薬局で一部の薬の在庫がない、とのことで、月曜日の午後以降に撮りに行くことになった。月曜は朝から葬儀なので、妻に行ってもらうことになった。

 本日の午後からは退職者会ニュースの原稿の一部が届いた。また食中毒に関する囲み記事をひとつ仕上げた。

   

 この作業のお伴は、ドヴォルザークの「ピアノ三重奏曲 第4番《ドゥムキー》」。解説によれば、「ドゥムカの複数で、スラブ哀歌。悲しげな緩やかな旋律と休息で熱狂的な旋律とを対立させている」としるしてある。また「この三重奏曲では各楽章をそれぞれひとつのドゥムカとみたて全体としてドゥムキー」となったらしい。
 6楽章の構成であるが、ソナタ形式や変奏曲形式の楽章はない、とも記されている。

 私としてはあまりに劇的な要素の強い曲というのはそれほど好みではないが、しかしこの哀歌の集合体は好んでよく聴く。

 すっかり聴きなれた曲であるが、第1楽章、第3楽章、そして第4楽章のチェロの出だしが印象深い。


「小津安二郎展」(神奈川近代文学館)

2023年04月22日 17時50分48秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 昨日友人と3人で港の見える丘公園を訪れたとき、神奈川県立近代文学館に立ち寄り、「小津安二郎展」を観てきた。3人で1時間余り、ゆっくりと見学できた。
 展示されている諸作品に出ている俳優を見ると、ほとんどがもう既に故人となっているのは寂しい限りであった。
 チラシにもある通り、小津安二郎が亡くなって60年も立つのかと驚いた。学生時代に映画館で「東京物語」「麦秋」を観ただけであるが、今でも印象に残っている。
 残念ながら、4月29、30日の「晩春」と5月6日、7日の「秋日和」の上映会には参加できそうもない。


深酒の後は寝るに限る

2023年04月21日 23時58分07秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日の診察で、精密検査の日程が確定。来週にCT検査を行うことになった。

 午後からは友人と港の見える丘公園からみなとみらい地区の散策、ランドマークタワー地下で生ビール、横浜駅近くで沖縄料理の店で泡盛、というコースで楽しい時間を過ごした。少々深酒気味。

 19時に帰宅後は風呂にも入らずに布団にもぐりこんで寝てしまった。1時半過ぎに目が覚めた。水分補給・洗面・着替え・服薬と必要最小限のことをようやく終了。

 本日はこれより再度就寝。いい身分である。明日は休養日&休肝日。ニュースの原稿づくりを少しばかり。

 


がん検診の再検査

2023年04月20日 22時28分04秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 退職者会ニュースは面積で約66%が出来上がった。本日の目標は70%であったので、それには少し届かなかった。残りはまだ記事が送られてこないので致し方ない。

 明日は市民病院でがん検診の再検査についての診察と診断。検査が実際に行われるかどうかはまだわからない。
 そして昼からは学生時代の友人と港の見える丘公園での散策と赤レンガ倉庫でのビールのお楽しみを予定している。
 市民病院で時間がかかると、集合時間に間に合わない可能性がある。再検査のための受信と診断と言われても、これまでの経緯もあり、本人は楽観している。深刻に考えていない。検査そのものが再度行われない踏んで、集合時間までに十分間に合うと思っている。我ながらのんきなものである。
 病院からは朝の9時15分までに来院するようにと言われている。8時45分には家を出なくてはいけない。いつも2時近くになって布団に入り、8時過ぎに起床する私にはつらい。

 ということでこれより就寝準備。

 


美術鑑賞講座と原稿づくりと読書と

2023年04月20日 19時39分50秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 午前中はZoomで美術鑑賞講座の第1回「どう観る?《花の絵》」(講師:中村宏美氏)。この講座は連続4回で1シーズン。第2回以降は月1回のペースで「鳥」「山」「海」の予定。全体ではシーズン3までの1年間の予定である。
 神話画、寓意画、宗教画、静物画、風景画、植物画、デザイン画、障壁画、現代美術で「花」がどのように描かれ、どのような意味を持たされているかについて、解説があり、楽しく拝聴させてもらった。
 資料はA4で32頁もあり、図版も解説も充実している。

 午後からは退職者会ニュースの作成。15時までに面積で全体の45%程度を終えた。今晩中に70%程度にはしたいものである。
 15時から17時までは息抜きのために家の近くの美味しいドリップコーヒーを淹れてくれる喫茶店まで歩いて往復。喫茶店では「時を越える美術」を20頁ほど読んだ。

 久しぶりに帰りのダラダラ坂を登ったら息切れがしてしまった。このコロナ禍の3年間と膝を痛めた1年半でずいぶんと体力が落ちたものである。少しずつは回復をはかっているが、どこまで回復できるか、心もとない。


「方丈記」の書き写し

2023年04月20日 15時23分01秒 | 読書

 昨晩、いつもの「方丈記」の書き写しを行った。第2段の全体の8割を終了。あと1回では無理かもしれないが、いづれにしろもう少しで第2段は終わる。
 昨晩書き写したところは、仁和寺の隆暁法印による、飢餓で亡くなった都人の額に梵字の「阿」字を書いて縁を結ぼうとした行為を記した部分。
 私などには法印の行為の必然が理解できないとしても、その行為への執念には驚く。当時の京のあり様の異様さは理解できないわけではない。つい80年前の戦争中、そして戦後直後の首都東京の空襲後のありようとも酷似していると感じた。戦争末期は飢えと空襲という火による惨禍との違いはあるものの身近にいた私の先行世代の体験領域であり、戦後の飢えの時代はさらにごく身近な先輩の体験談として幾度も耳にしたのが私の世代である。
 そしてこの隆暁法印の時代の惨禍の原因も、80年前の惨禍もともに人災、失政のツケによるものであるという共通点がある。
 人間の社会は、世界は、日本はこの850年、本当に進化したのだろうか。


ドヴォルザーク「ピアノ三重奏曲」第3番

2023年04月19日 22時12分45秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 今晩から退職者会ニュースの原稿づくりを開始。まずは亡くなった現会長の追悼記事から仕上げた。この記事については葬儀の写真を加えれば完了。その他の原稿は明日以降に急いで作成する予定。

   

 先ほどまでの作業中に聴いていたのは、ドヴォルザークのピアノ三重奏曲の第3番。
 第3番は解説では、ボヘミア色が強いとともにブラームスの影響が強いとしるされている。確かに冒頭の出だしではブラームス的な和声を感じる。同時にヴァイオリンとピアノ、チェロのそれぞれが単独で美しい旋律を響かせている。掛け合いながらの楽器の移り行きが効果的であると思う。美しい織物の模様を見ているような印象を受ける第1楽章である。和声や音の響き気合、重なり合いを楽しむのとは違う楽しみがある。
 第2楽章は一度聴くと忘れられない曲である。第3楽章の冒頭のチェロも忘れられない。チェロからヴァイオリンへの旋律の移行がとても自然である。これは演奏者の力量が問われそうである。
 この曲は、ドヴォルザークならではの旋律の美しさを堪能できる曲である。ヨセフ・スークのヴァイオリンの透明な美しさが引き立つ曲でもあると思っている。


半袖・夏掛け

2023年04月19日 10時35分51秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 一昨日の夜から掛け布団を夏掛けにしてもらった。もっと早くにしても良かったくらいであった。布団というのは不思議なもので、慣れてしまえば、冬でも薄い掛け布団でも割となんとかなる。しかし夏に分厚い冬用の掛け布団は我慢できない。

 そして本日は最高気温が26℃になると聞いて、半袖のシャツを出してもらった。今年初めての半袖である。下着は通年でランニングシャツであるが、上に着るものは季節を先取りする傾向にある。年々その先取りの時間が短くなりつつある。
 半袖になったばかりは上腕部で寒さを感じる。慣れるまで時間はかかる。この時間も年々長くなっている。こういう時に歳を感じる。

 先ほどベランダに出てみた。屋内よりも屋外のほうが暑さを感じる。太陽光線が腕の皮膚をおおいに刺激する。

 昨晩に続いて朝からドヴォルザークのピアノ三重奏曲の第2番を聴いている。ドヴォルザークを聴くのは久しぶり。


ドヴォルザーク「ピアノ三重奏曲」

2023年04月18日 22時32分21秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 いつものように「方丈記」の書き写し。長い第2段の7割程度が終了。

 書き写しをしながら聴き始めたのは、ドヴォルザークの「ピアノ三重奏曲」の第1番と第2番。スークトリオの演奏で1977年の演奏。1987年の発売となっている。

   

 書き写しをしている方丈記の凄惨な飢えの蔓延する京の描写と、曲想はまったくそぐわないかもしれない。スークトリオの透明な音を聴きながら、鉛筆がノートを走る音も同時に聴いていた。
 ドヴォルザークのこのピアノ三重奏曲全4曲では第4番の「ドゥムキー」が有名だが、他の3曲も含めて、全曲とても気に入っている。
 ピアノ、ヴァイオリン、チェロ3つの楽器のバランスもよく、聴きやすい。私の耳には好きなチェロの響きが特に心地よく聞こえる。


葬儀の段取り

2023年04月18日 20時30分00秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 午後から亡くなった会長の訃報を作成し、葬儀の段取りや要員配置、連絡先の確認などで時間があっという間に過ぎた。17時を過ぎてようやく本日の打合せは終了。

 葬儀というものは慣れてしまいたくはないイベントである。そして毎回さまざまなことが発生して右往左往する。なかなかスムーズに手際よく終わるということはない。
 30年も前では、葬儀というのは参列者もたくさん集まり、盛大であった。会社や職場全体、地域の住民も含めてお手伝いなどもたくさん来てもらったものである。現在は家族葬中心で参加者も少数に限られている。
 地域や職場を巻き込んで大きなイベントのような葬儀については評価は別れる。しかし地域との接点などが無くなってしまったような葬儀はどこか寂しいものである。近親者だけの葬儀ばかりでは、葬儀社もなかなか厳しい状況が続くのであろうか。

 本日は疲れてしまったので、退職者会ニュースの原稿づくりは明日からに先延ばしすることにした。仕事の先延ばしはいいことではないが、無理は禁物。