午前中に家を出る直前、韓国での飛行機事故の第一報に接した。今年の正月二日の羽田空港での事故を思い出した。一報では死傷者数は少なかったが、帰宅してみると死者が179名、助かったのは2人だけのような報道になっていた。アゼルバイジャン航空機の撃墜の報道も含め、飛行機事故の恐ろしさを見せつけられた。
戦争が露出し、軍人だけでなく市民の死傷が当たり前のように報道され、事故や災害による死傷に対しても「またか」という感情が頭をまたげてきそうな時代になってしまった。
戦争が常態化することで国土や都市基盤・機能の維持が困難になれば、災害も事故も甚大化する。人災の度合いが高まる。