メランコリア

メランコリアの国にようこそ。
ここにあるのはわたしの心象スケッチです。

2015-01-23 11:18:21 | 日記
会見が始まる前、自分ならどうするかを考えていた。
私なら、息子が子どもの頃の写真などを見せて、母性愛を示し、息子を返して欲しいと涙ながらに訴えるだろうと。

けれども、石堂順子さんが訴えたのは、原発反対、世界平和、自然保護だったことに驚いた。
日本の国営放送から、世界中に発信した生の声は、人類を代表しているかのようで、

地球の自然を守りたい、平和でありたいという気持ちは皆同じだと思う。
原子力エネルギーを使うなら、もっと良い方法がある。

皆で力をあわせればより良くできる。
そのためなら、私の命など捨てても構わない。


この母親にして、あの息子さんなんだな。
「自己愛」を超えた「他者愛」、「人間愛」。




でも、ニュースでは「どうか息子を救って欲しい」というほうに焦点を当てていた。
事前に出していた「声明文」によるもののようだが、
生放送中では、順子さんは「息子を返して欲しい」ということについては短い言葉だけだった印象が残った。
むしろ、産まれて2週間の乳飲み子を残して、友人を助けに行く決断について疑問を持つ、と言っていた。

後藤健二さんはビデオで「これは完全に自己責任でやっている」と言いつつ、
結果的に周囲に迷惑をかけたことを、母親は詫び、周囲に感謝さえしていた。


私も共に祈りたい。
後藤さんの無事帰国と同時に、
地球に住む生きとし生けるものが、すべて等しく分かち合えることを。



ああ、こんなに気持ちのよい朝。
この青い空が、世界中のどこまでも同じく続いているというのに、
ヒトはどうして、いつまでも小さくて、いがみあっているんだろう。


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「戦後70年 ニッポンの肖像」のプロローグ~私たちはどう生きてきたか@NHKスペシャル

2015-01-23 11:17:00 | テレビ・動画配信
「戦後70年 ニッポンの肖像」のプロローグ~私たちはどう生きてきたか@NHKスペシャル
【ゲスト】タモリ、堺雅人、中園ミホ、半藤一利
【キャスター】三宅民夫、有働由美子

「あさイチ」で美輪さんがゲストに出た日に、この番宣があって、
「ぜひ観るべき。一度焼け野原と化した日本が、どう復興したかという歴史を見れば、これからどう生きるべきかも見えてくる。
 私はまさにこの時代を一部始終生きてきた人間ですから、このオープニング映像を観ただけで、もう涙が止まらないですよ、
 その頃のことがまざまざと思いだされて」と言っていたのを見て、予録して今ごろ見てみた。

 

紅白明けの3人(有働さん、タモさん、中園さん)の他、以前、宮さんと対談して含蓄ある言葉の数々が印象的だった半藤一利さんが参加。

SWITCHインタビュー 達人達(たち)・選「宮崎駿×半藤一利」

堺雅人さんは、1973年生まれの41歳で、この番組のゲストとして、最初は異色だと思ったけど、
俳優さんて、あらゆる役柄を演じるから、大抵バランスのとれた人格者が多いな、というのが私が最近思う。

とにかくNHKアーカイブスなどからかき集めた貴重な映像の数々は凄い。
歴史の授業で、つまらない教科書を朗読するより、こういった映像を子どもたちにも見せて、
それぞれの年代の生の体験談を聴かせるほうが、よっぽど身に入るんじゃないだろうか?

映像集なので長くなるから、年代別にまとめてみた。

【内容抜粋メモ】


タモさんは、1945年8月22日(69歳)福岡市生まれ。まさに終戦の1週間後。
その人生は、そのまま日本の歴史と歩んできたとも言える。
当時の実際の様子と、ニュースや世間で言われるイメージのギャップ話が面白かったし、ひと言、ひと言の重みが違った。

タ「この70年間で一番良かったのは、バブル崩壊後。飲み屋やバーが本当に面白かった。人間の悲喜こもごもが見れて」


【1940年代~終戦直後】
 
玉音放送を聴く人々/百聞さんの言葉!


 
焼け野原、ヤミ市


 
“現人神”と言われた天皇が一般庶民と接するようになった


 
進駐軍、マッカーサー

タ「私は、戦後の疑問が解ければ、その後の歴史はどうでもイイんです。半藤さんにお聞きしたいのは、
  日本は“敗戦”と言わずに“終戦”“占領軍”と言わずに“進駐軍”と呼んだ。
  マッカーサーも敵国の軍人なのに、帰国する時は泣いて見送った、これはどういうことなんでしょう?」


半「昭和16年には、フツーにアメリカ映画も観られていた。
  “鬼畜米英”と言い出したのは、戦争に負けだして、政治家や上の連中がそう思い込ませたかったから」



タ「8月15日の終戦の日、友人の星新一さん(!)の話では、皇居の前を通ったら誰もいなくて、フツーにみんな過ごしてたって。
  よく泣き崩れている映像が流れるけれども、あれは偽造ですか?」

半「いや、泣いてる人もいましたよ。歌人や俳人とか。でも、庶民は感じ方が違っていたのかもしれませんね。
  昭和23年頃は、とにかく食べるものがなくて、私なんか腹が減って泣きましたよ


 
台湾からの引き揚げ者たち(広島)/新憲法公布で全国がお祭り騒ぎだった


 
お見合い大会、ベビーブーム

「ベビーブーム」1年間で260万人産まれた→後にいう「団塊の世代」

タ「急に思い出したけど“赤ちゃんコンクール”で、私、優勝したんです。何が基準だったんでしょうね? 発育?」爆



【1950年代~特需景気】



 
武器はアメリカ軍が大量に買った


 




 
ジャズブーム

「あれはジャズじゃないんですよ。外国から入ってくる音楽をなんでもジャズと総称してゆってた」


 
この群衆っぷり怖すぎる


 
当時、自立式の鉄塔として高さ世界一。東京タワーは1年半で造った

タ「あのしっかりと大地を踏みしめて頑張ってるぞ!って形がイイ!
  アメリカ軍の壊れた戦車とかも使ってるんです。まさに戦後復興の象徴。
  実はあの場所っていうのは、昔、最大の古墳だったんですよ」(だんだん『ブラタモリ』化してきたw



ご成婚


 
半「昭和27年(1952)に日本は独立したんです」



【1960年代~高度経済成長期】



 
池田内閣

半「高度経済成長と言っても、昭和30年頃から日本は少しずつ成長していたんです」


 
“金の卵”と呼ばれ、上京した若者たち


 
通勤ラッシュは今も変わらないなあ

タ「友だちが“押し屋”をやってたんですけど、“はがし屋”っていうのもあるんですよ。
  もうこれ以上乗れないし、時間に遅れを出しちゃいかんてゆって、乗客をはがす。
  押しているうちに自分も押されて、次の駅まで行っちゃった人もいる」爆



東京オリンピックに向けて突貫工事が続いた


 
新幹線によって東京⇔大阪間が7時間→4時間に短縮/目指すは世界一

「新幹線が開通したのは、オリンピック開催のわずか5日前だったんです」


 

 

 






タ「とくに印象的だったのは“閉会式”。各国がバラバラに入ってきた最初が日本だったんです。
  それで各国の選手が喜んで、それ以降、真似するようになった。
  それを観ていたじいさんがひと言“戦争なんかしちゃダメだね”と言ったのを今でも覚えてます」


 

 

タ「“モーレツ社員”ていうのが本当にあって、一般企業の研修で、ずっと歩かされたり、突然道端で歌いだすとか。
  私は、その頃から日本国や、社会に少し距離を置くようになった」爆



堺「この頃のドラマで官僚の役を演って、セリフの最後に全部(ビックリマーク)が付いているんですよ。
  戦争がまだ続いていて、アメリカに追いつき、追い越したいっていう雰囲気だったんだなって理解しました」

気づけば、アメリカに次ぐ経済大国になっていた日本。


 
労働時間が今より500時間も多かった! 今でさえギリなのに!? どんだけ働き者なんだ日本人/驚×∞


 
アメリカとの“貿易摩擦”が深刻になる/“国家総動員で”ってまた戦争と同じことじゃん

半「“経済戦争”だった。ここでまたペシャンコにされてたまるか! もう一度、日本を守ろうって気概があったんでしょうね」




【1970年代~若者の反体制運動、公害】
 
日本万国博覧会(大阪)


 

「多摩川もあんな感じだった。合成洗剤が出てきたから、そのまま川に流して。
  公害から社会が変わり始めた。その前から矛盾は感じていたんだよね」

半「企業も政府も(公害について)かなり分かっていたと思う」

「仕事を辞めると、自分の事を考えなきゃいけない恐怖があったから。
  だって、自分との対話って人間にとって一番ツライものですから。
  仕事してる奴に向かっては、誰も非難できないじゃないですか?!」


 
ベトナム戦争反対のデモが毎週、新宿で行われていた

タ「ライヴ後に警官隊とぶつかるなんて今じゃ考えられないよね!
  フォークゲリラやってた友人がゆってたけど、別に反戦でやってるワケじゃないってゆってたw
  でも、当時は“反戦”といわないとアホじゃないかって風潮があったんだよね」


 


 
時代が生んだナンセンス

 
みんなが「シェー」をした


タモさん若い! サラリーマン時代もあったんだね/驚

タ「自分の番組は一切見ない。これはもっともキライな時代w
  ボクは、あるもの、言葉を信用していませんから。コミュニケーションも解体したい。
  言葉=意味。意味の連鎖が社会の秩序や価値になってるワケだから。
  それを解体すれば、何も意味がなくなる。意味の連鎖は、人間にとっては重いもの。
  それは、たぶんjボクらの上の世代の重苦しい文化の雰囲気~暗いもの、重いもの~への反発なんでしょうね。
  赤塚さんもひたすら意味がない!



【日本人が選ぶ、戦後を象徴する人物 1位~10位~NHK世論調査】
 

 


後半はこちら。
「戦後70年 ニッポンの肖像」のプロローグ~私たちはどう生きてきたか 1980年代~


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