■「ネットは親切な行為で成り立っている」ジョナサン・ジットレイン
The Web as random acts of kindness
【内容抜粋メモ】
私、今日は最近出した本とは違って楽観的にいこうと思います
ネットの未来に希望を持つ根拠を示したい
今は世知辛い世の中かもしれません 優しさや信頼が減っているような
皆さんにちょっと聞きたいのですが、ヒッチハイク経験者はどれくらいますか?
(結構な人数が手をあげる
では、この10年間にヒッチハイクした人は?
なぜ? 公共の乗り物が便利になったわけではないのに
この結果からは、世の中が後退しているように思える
でも今から3つ例を挙げます
実は世の中、前進しており、それはネットのおかげだという
その1は、ネット自体
彼らはネットを作った人たち
1960年代、ロサンゼルス郊外の同じ高校に通っていて
その頃に世界規模のネットワーク構築に取り組み始めたのです
この写真は、ネット誕生25周年の時、雑誌に載ったもの まあ変わり者ですよw
(なんだかモンティ・パイソンぽいかほりww
彼らには大きな制約が一つ それと大きな自由が一つありました
制約は、お金が全然なかったということ
設備を整えるには、普通結構な費用がかかりますが、彼らはお金がなかった
一方、利益を上げる必要がないという自由はあった ビジネスではなかった
ネットは、ある会社が単独で作ったわけではない
何か面白いことをしたい人たちが集まって作った
(これビックリで面白い!
誰かに言われてではない 金儲けのためでもない
こうして出来たネットワークは、他に類を見ない形のものとなりました
斬新すぎて成功するかわからないと言われました
1992年になってもIBMは、IPを用いた企業ネットワークの構築は無理だと
今でもネットはまだ試験段階にあるという専門家がいる
ネット技術のシンボルとしてふさわしいのはマルハナバチです
この体に、この羽では、理論上飛べないはずなのに、なぜか飛べるというハチです
なお3年ほど前に、ようやく飛ぶメカニズムが解明されました
結局、羽をめっちゃ速く動かしているという話(ww
では、摩訶不思議なネットの仕組みはいったいどうなっているのか
ネットによるデータ通信は、宅配便というよりはステージダイブ
または、スポーツを生で観戦中に、同じ列の誰かがビールを注文する
売り子は、ビールを端の人に渡して、その列の人たちは、そのビールを回さないといけない
近くに座っている人の役目だから
ネットによるデータ通信はまさにこんな感じなんです
間に入る 機器たちがパケットを回していく
そうしなきゃいけない契約や法律はないけど、そうする
ステージダイブの場合、目的地指定は難しい 行きたいところに行けるわけじゃない
ネットの場合は、行き先の指示がある ただしネット全体の地図というのは存在しない
いわば客席が霧に包まれていて、すぐ隣りの人しか見えない状態
そこで皆の位置を把握するには、隣りの人同士、何が見えるか伝え合う
これを繰り返していくと、なんとなく全体像が見えてくる
これがネットの経路制御の仕組みです
優しさと信頼で成り立っている故に、脆弱性も高い
誰かがどこかでついた、たった一つの小さな嘘が、時には大問題にもなる
たとえばこんなことがあった
パキスタン政府が国内のプロバイダーに
「YouTube をブロックさせました 有害な動画があるから」と言った
こうした政府によるネット規制は世界中でよくあること
ただ、この時はあるプロバイダーが、変わったやり方でブロックした
プロバイダーが嘘をつくという形をとったのです
そこに来るパケットに対して「YouTube です」というメッセージを出した
すると、パケットはYouTubeに着いたと勘違いして停止する
こうやってアクセスブロックした
しかし話はこれで終わらず、嘘のメッセージが広まってしまった
普通に閲覧できていたYouTubeが、嘘のメッセージが出されると
2分以内に世界中で YouTube が見られなくなった
世界有数の人気サイトで、親会社は超大企業
なのにこれが起きた時どうすることもできなかった
しかし、どういうわけか、約2時間後には問題は解決
NANOG(北米ネットワーク運用者グループ)のおかげでした
NANOG=North American Network Operators Group
これに属しているインドア派な人たちは、常にネット上で情報を交換している
ネットワークに関する話を延々としているわけです
中には海外プロバイダーの社員もいます
そして、どこかで何かが起きると連絡が回ってくる
「YouTube が乗っ取られた」「パキスタンで変な動きが・・・」とか
そして、みんなで協力して問題を解決する
例えるなら、火事になった時、消防隊はいないけど
知らない人たちがやってきて、火を消して、報酬や賞賛はいらないよ、みたいな
面識のないオタクによる親切な行い これは何かに似ている
困ってる人がいたらすぐ助けに行く これは実はよくあることです
例その2 ウィキペディア
もし、2001年、ある男に「いつでも誰でも編集できる百科事典良くない?」と言われたら、馬鹿げてると思っただろう
実際創設者も初めはそんな馬鹿げたことを考えていなかった
当初の案は、普通のオンライン百科事典で、お金を出して記事を書いてもらうというもの
ウィキは 記事へのコメント投稿用でオマケ的機能だった
けれども後に全体が投稿型へと発展した
今や Wikipedia は超有名で、中華料理の名前にまでなっている(w
Wikipediaの裏側について説明しましょう ここでもインドア派な人たちが活躍しています
彼らは管理者伝言板を常にチェックしています
このページには、いろんな人がありとあらゆる問題を報告してきます
例えば「偏向編集」「差し戻ししたら非難された」とか、「話が長い」とか(w
こうした問題を解決しようという人の数が、問題の数よりも多いので成り立っているというわけです
Wikipedia は常に崩壊45分前という状態です
記事を広告に変えようとする攻撃が止まない
Wikipedia はオタクたちが守っている
仕事としてではありません これは使命なんです
好きだからやる そういうことなんです
(ステキ こういうのが本当の「仕事」なんだ
「荒らし対策班」もあり、彼らが記事への荒らし行為に対処してくれています
この現象なんですが、交通専門家H・モンデルマンが言っていたことと同じです
ルールや標識などをなくすことによって、より安全で思いやりのある環境ができることがある
(私もこの説に賛成なんだけれども、誰も信じてくれない
「ルールがあるから守られている なければ無法地帯になって、自分に不利益になる」という
「根拠のない恐怖心」を根底からなくせば、今すぐ「天国」が出来るのに
銃社会問題と同じ 「銃があるから自分と家族を守れる」という根強い信仰が
戦争や内紛、無差別殺人が日常化する世界を作っている
それは責任感が芽生えるからでWikipedia はまさにそう
以前『スターウォーズ』ごっこを一人でしているという内容の
プライベート映像がネット上に流出してしまった少年がいました
その動画は話題になり、彼は恥ずかしい思いをして、Wikipedia の記事にもなった
しかし、その記事を作成するにあたり、散々議論がなされました
少年の実名を載せるか否かの議論です
両方の意見がありましたが、最終的には載せないことになりました
他では普通に出てたけど ここでは伏せるという優しさでした
今でも『スターウォーズキッド』の記事には「実名NG 即削除」と書いてあります
議論した際、載せたい派だった人たちも、今は取り締まりに協力します
だってコミュニティーこそが大事だから
こうして参加者たちが、だんだんと法律を作っていってるわけです
このようなことはブログでも起きています
ブログって、まあくだらないものが多いですけどね
中でもくだらなくて最高なのが「ヒトラー似の猫ブログ」
ヒトラー似の猫の画像を集めて掲載しています、4番の猫飼いたくないなあ
こういう面白いブログで人をネタにしたものもあります 例えば「残念な肖像写真」ブログ
「田園風景 後ろにあるのは動物の死骸?」こういうコメントがあり、よく見ると確かに
それで他の画像も見ていくと「本人からの依頼により削除」とある
ネタにされた人が削除依頼をしたのです
訴えるとかではなくて、単純にお願いして消してもらった
人間は良いネット社会を作れる 気軽にお願いができるそんな環境
ネット上のデータを軽々しく扱ってはいけないという共通認識
データには人の思いが詰まっているから、モラルある扱い方をしようという意識
これ是非、現実世界でも必要では?
いずれ世の中、ネットと連動した監視カメラだらけになる
そこで画像を公開されたくないという意思表示を、
撮影者に対して行える仕組みを確立したらどうか
そして最終的な判断は撮影者がすればいい
(え、勝手に映された側じゃなくて?
世の中、パキスタンの例のような規制もあるけど、
今は規制を目にしたら報告するシステムだってあるし
とにかく関心が高まってきた
みんながネット上の規制について関心を持つ時代になってきた
次の話もテーマはテクノロジーと現実の絡み合い
ニューヨーク大学のある研究者が、前にしか進めない小型ロボットに、
目的地と「手伝って」というメッセージを書いた旗をつけて、道に置いてきました
これに研究費が出たんです!
結果は、43人が軌道修正してくれて、ちゃんと目的地に着きました
例その3 ヒッチハイク
ヒッチハイクって、実は廃れていない 今は「相乗り掲示板」がある
(私も見たことがある パニ障で新幹線に乗れないため、
長野まで送ってくれる人がいないかいろいろ探していたら、こういうサイトがあることを知った
ネットでの相乗り募集は、実質ヒッチハイクと同じなんです
メリットは、掲示板を使う殺人者なんていないという安心感?w
本当の答えはこうだと思う
このようにやり方を変え、廃れたやり方への固執を捨てることで
優しさや、分かち合いの心が蘇るということだと思う
こうして「泊まり歩きのためのサイト」も生まれました!
知らない人の家にタダで泊まりたいという旅人と、
知らない人をタダで自宅に泊めたい、という人がこれを使って出会えるのです
素晴らしいアイデア 多くの人が利用し大好評
今のところ死亡者とか出ていませんよ
もっともレビューは、泊まった後に書くものなので、生存者しか書けないけどw
私が言いたいのは、ネットはただの情報の山じゃないってこと
名詞というより動詞
ネットにアクセスし、注意深く見たり聞いたりすれば、
情報が我々に対し何か言っていると気づくはず
それってデモステネスの演説と同じことです
「さあ行進しよう!」というメッセージです
【JOI's superview 「ボランティアの支えるインターネット」 内容抜粋メモ】
インターネットがボランティアで支えられているということは、あまり信じられないかもしれませんが
ボランティア活動と言ってもいろんな活動があります
インターネットのサーバーやブラウザ、ファイヤーボックスなど
インターネットを支えているソフトのほとんどが「フリーソフト」で
それを書いている人たちもボランティアです
そのボランティアがもしいなくなってしまったら、インターネットは絶対動かなくなってしまう
インターネットは世界の共有財産です
国の職員だったり、企業の職員だったりすると、どうしても利害関係が出てきてしまう
中立なボランティアがいるからこそ、世界に平等に配布される共有財産です
なので、これから皆さん インターネットを使う時に、こうしたボランティアの皆さんのことを
少し意識して使っていただきたいと思います
The Web as random acts of kindness
【内容抜粋メモ】
私、今日は最近出した本とは違って楽観的にいこうと思います
ネットの未来に希望を持つ根拠を示したい
今は世知辛い世の中かもしれません 優しさや信頼が減っているような
皆さんにちょっと聞きたいのですが、ヒッチハイク経験者はどれくらいますか?
(結構な人数が手をあげる
では、この10年間にヒッチハイクした人は?
なぜ? 公共の乗り物が便利になったわけではないのに
この結果からは、世の中が後退しているように思える
でも今から3つ例を挙げます
実は世の中、前進しており、それはネットのおかげだという
その1は、ネット自体
彼らはネットを作った人たち
1960年代、ロサンゼルス郊外の同じ高校に通っていて
その頃に世界規模のネットワーク構築に取り組み始めたのです
この写真は、ネット誕生25周年の時、雑誌に載ったもの まあ変わり者ですよw
(なんだかモンティ・パイソンぽいかほりww
彼らには大きな制約が一つ それと大きな自由が一つありました
制約は、お金が全然なかったということ
設備を整えるには、普通結構な費用がかかりますが、彼らはお金がなかった
一方、利益を上げる必要がないという自由はあった ビジネスではなかった
ネットは、ある会社が単独で作ったわけではない
何か面白いことをしたい人たちが集まって作った
(これビックリで面白い!
誰かに言われてではない 金儲けのためでもない
こうして出来たネットワークは、他に類を見ない形のものとなりました
斬新すぎて成功するかわからないと言われました
1992年になってもIBMは、IPを用いた企業ネットワークの構築は無理だと
今でもネットはまだ試験段階にあるという専門家がいる
ネット技術のシンボルとしてふさわしいのはマルハナバチです
この体に、この羽では、理論上飛べないはずなのに、なぜか飛べるというハチです
なお3年ほど前に、ようやく飛ぶメカニズムが解明されました
結局、羽をめっちゃ速く動かしているという話(ww
では、摩訶不思議なネットの仕組みはいったいどうなっているのか
ネットによるデータ通信は、宅配便というよりはステージダイブ
または、スポーツを生で観戦中に、同じ列の誰かがビールを注文する
売り子は、ビールを端の人に渡して、その列の人たちは、そのビールを回さないといけない
近くに座っている人の役目だから
ネットによるデータ通信はまさにこんな感じなんです
間に入る 機器たちがパケットを回していく
そうしなきゃいけない契約や法律はないけど、そうする
ステージダイブの場合、目的地指定は難しい 行きたいところに行けるわけじゃない
ネットの場合は、行き先の指示がある ただしネット全体の地図というのは存在しない
いわば客席が霧に包まれていて、すぐ隣りの人しか見えない状態
そこで皆の位置を把握するには、隣りの人同士、何が見えるか伝え合う
これを繰り返していくと、なんとなく全体像が見えてくる
これがネットの経路制御の仕組みです
優しさと信頼で成り立っている故に、脆弱性も高い
誰かがどこかでついた、たった一つの小さな嘘が、時には大問題にもなる
たとえばこんなことがあった
パキスタン政府が国内のプロバイダーに
「YouTube をブロックさせました 有害な動画があるから」と言った
こうした政府によるネット規制は世界中でよくあること
ただ、この時はあるプロバイダーが、変わったやり方でブロックした
プロバイダーが嘘をつくという形をとったのです
そこに来るパケットに対して「YouTube です」というメッセージを出した
すると、パケットはYouTubeに着いたと勘違いして停止する
こうやってアクセスブロックした
しかし話はこれで終わらず、嘘のメッセージが広まってしまった
普通に閲覧できていたYouTubeが、嘘のメッセージが出されると
2分以内に世界中で YouTube が見られなくなった
世界有数の人気サイトで、親会社は超大企業
なのにこれが起きた時どうすることもできなかった
しかし、どういうわけか、約2時間後には問題は解決
NANOG(北米ネットワーク運用者グループ)のおかげでした
NANOG=North American Network Operators Group
これに属しているインドア派な人たちは、常にネット上で情報を交換している
ネットワークに関する話を延々としているわけです
中には海外プロバイダーの社員もいます
そして、どこかで何かが起きると連絡が回ってくる
「YouTube が乗っ取られた」「パキスタンで変な動きが・・・」とか
そして、みんなで協力して問題を解決する
例えるなら、火事になった時、消防隊はいないけど
知らない人たちがやってきて、火を消して、報酬や賞賛はいらないよ、みたいな
面識のないオタクによる親切な行い これは何かに似ている
困ってる人がいたらすぐ助けに行く これは実はよくあることです
例その2 ウィキペディア
もし、2001年、ある男に「いつでも誰でも編集できる百科事典良くない?」と言われたら、馬鹿げてると思っただろう
実際創設者も初めはそんな馬鹿げたことを考えていなかった
当初の案は、普通のオンライン百科事典で、お金を出して記事を書いてもらうというもの
ウィキは 記事へのコメント投稿用でオマケ的機能だった
けれども後に全体が投稿型へと発展した
今や Wikipedia は超有名で、中華料理の名前にまでなっている(w
Wikipediaの裏側について説明しましょう ここでもインドア派な人たちが活躍しています
彼らは管理者伝言板を常にチェックしています
このページには、いろんな人がありとあらゆる問題を報告してきます
例えば「偏向編集」「差し戻ししたら非難された」とか、「話が長い」とか(w
こうした問題を解決しようという人の数が、問題の数よりも多いので成り立っているというわけです
Wikipedia は常に崩壊45分前という状態です
記事を広告に変えようとする攻撃が止まない
Wikipedia はオタクたちが守っている
仕事としてではありません これは使命なんです
好きだからやる そういうことなんです
(ステキ こういうのが本当の「仕事」なんだ
「荒らし対策班」もあり、彼らが記事への荒らし行為に対処してくれています
この現象なんですが、交通専門家H・モンデルマンが言っていたことと同じです
ルールや標識などをなくすことによって、より安全で思いやりのある環境ができることがある
(私もこの説に賛成なんだけれども、誰も信じてくれない
「ルールがあるから守られている なければ無法地帯になって、自分に不利益になる」という
「根拠のない恐怖心」を根底からなくせば、今すぐ「天国」が出来るのに
銃社会問題と同じ 「銃があるから自分と家族を守れる」という根強い信仰が
戦争や内紛、無差別殺人が日常化する世界を作っている
それは責任感が芽生えるからでWikipedia はまさにそう
以前『スターウォーズ』ごっこを一人でしているという内容の
プライベート映像がネット上に流出してしまった少年がいました
その動画は話題になり、彼は恥ずかしい思いをして、Wikipedia の記事にもなった
しかし、その記事を作成するにあたり、散々議論がなされました
少年の実名を載せるか否かの議論です
両方の意見がありましたが、最終的には載せないことになりました
他では普通に出てたけど ここでは伏せるという優しさでした
今でも『スターウォーズキッド』の記事には「実名NG 即削除」と書いてあります
議論した際、載せたい派だった人たちも、今は取り締まりに協力します
だってコミュニティーこそが大事だから
こうして参加者たちが、だんだんと法律を作っていってるわけです
このようなことはブログでも起きています
ブログって、まあくだらないものが多いですけどね
中でもくだらなくて最高なのが「ヒトラー似の猫ブログ」
ヒトラー似の猫の画像を集めて掲載しています、4番の猫飼いたくないなあ
こういう面白いブログで人をネタにしたものもあります 例えば「残念な肖像写真」ブログ
「田園風景 後ろにあるのは動物の死骸?」こういうコメントがあり、よく見ると確かに
それで他の画像も見ていくと「本人からの依頼により削除」とある
ネタにされた人が削除依頼をしたのです
訴えるとかではなくて、単純にお願いして消してもらった
人間は良いネット社会を作れる 気軽にお願いができるそんな環境
ネット上のデータを軽々しく扱ってはいけないという共通認識
データには人の思いが詰まっているから、モラルある扱い方をしようという意識
これ是非、現実世界でも必要では?
いずれ世の中、ネットと連動した監視カメラだらけになる
そこで画像を公開されたくないという意思表示を、
撮影者に対して行える仕組みを確立したらどうか
そして最終的な判断は撮影者がすればいい
(え、勝手に映された側じゃなくて?
世の中、パキスタンの例のような規制もあるけど、
今は規制を目にしたら報告するシステムだってあるし
とにかく関心が高まってきた
みんながネット上の規制について関心を持つ時代になってきた
次の話もテーマはテクノロジーと現実の絡み合い
ニューヨーク大学のある研究者が、前にしか進めない小型ロボットに、
目的地と「手伝って」というメッセージを書いた旗をつけて、道に置いてきました
これに研究費が出たんです!
結果は、43人が軌道修正してくれて、ちゃんと目的地に着きました
例その3 ヒッチハイク
ヒッチハイクって、実は廃れていない 今は「相乗り掲示板」がある
(私も見たことがある パニ障で新幹線に乗れないため、
長野まで送ってくれる人がいないかいろいろ探していたら、こういうサイトがあることを知った
ネットでの相乗り募集は、実質ヒッチハイクと同じなんです
メリットは、掲示板を使う殺人者なんていないという安心感?w
本当の答えはこうだと思う
このようにやり方を変え、廃れたやり方への固執を捨てることで
優しさや、分かち合いの心が蘇るということだと思う
こうして「泊まり歩きのためのサイト」も生まれました!
知らない人の家にタダで泊まりたいという旅人と、
知らない人をタダで自宅に泊めたい、という人がこれを使って出会えるのです
素晴らしいアイデア 多くの人が利用し大好評
今のところ死亡者とか出ていませんよ
もっともレビューは、泊まった後に書くものなので、生存者しか書けないけどw
私が言いたいのは、ネットはただの情報の山じゃないってこと
名詞というより動詞
ネットにアクセスし、注意深く見たり聞いたりすれば、
情報が我々に対し何か言っていると気づくはず
それってデモステネスの演説と同じことです
「さあ行進しよう!」というメッセージです
【JOI's superview 「ボランティアの支えるインターネット」 内容抜粋メモ】
インターネットがボランティアで支えられているということは、あまり信じられないかもしれませんが
ボランティア活動と言ってもいろんな活動があります
インターネットのサーバーやブラウザ、ファイヤーボックスなど
インターネットを支えているソフトのほとんどが「フリーソフト」で
それを書いている人たちもボランティアです
そのボランティアがもしいなくなってしまったら、インターネットは絶対動かなくなってしまう
インターネットは世界の共有財産です
国の職員だったり、企業の職員だったりすると、どうしても利害関係が出てきてしまう
中立なボランティアがいるからこそ、世界に平等に配布される共有財産です
なので、これから皆さん インターネットを使う時に、こうしたボランティアの皆さんのことを
少し意識して使っていただきたいと思います