【内容抜粋メモ】
社会学者、小説家 岸政彦
ご飯を食べる時も、食べた後もよく鳴くおはぎ 18歳
1年ほど前から耳が聞こえなくなりました
岸:
自分の行動パターンで毎日暮らしてて
こっちもそれに合わせて、ご飯をあげたり、寝床を作ったりして
そんな感じで18年たった感じですね
捨てられていた子猫のおはぎを連れて帰ってきたのは
パートナーで同じく社会学者の齊藤直子さん
岸さん、直子さん そしておはぎは、長い間家族として暮らしてきました
岸さんは、主に沖縄をテーマにした研究を続ける社会学者
<主な著書>
「ビニール傘」
「断片的なものの社会学」
「マンゴーと手榴弾」
市井の個人一人一人の人生を言葉として記録します
岸:
僕が今まで書いてきた本は、全部、大きな構造とか
歴史の中で翻弄されている個人の話しか書いていないんですね
特定の社会問題とか社会的な歴史的な出来事なりが経験される時には
必ず個人によって経験される
そういう意味で言うと、僕らはバラバラなんです
個として生きているというか そっちを描きたいなと思います
どっちかというと、僕は社会学者として失格な所があって
社会学者って個人より社会なので
みんな繋がって、ネットワークの中で生きているっていうのが
ほぼ100%社会学者の人は思っているんだけれども
多分僕だけだと思うんですけど、
みんなバラバラで、一人きりで
閉じた中で孤独に生きてるんだよって思ってるんです
●出版記念のトークイベント
岸:
こないだブログで、僕のオブセッション(強迫観念)があると書いてあるんです
岸の強迫観念がある それは他者やって
ひょんなきっかけでフィールドに入っていって
沖縄に入っていって、そこが違うところだと思うんですが
オブセッションというか、学問じゃないところで
自分のアイデンティティを作って
アイデンティティというか、研究、スタイルを作っていったんですね
手探りでやってるって感じですかね
学術論文を書くときも一人称なんです
三人称で書いている時でも基本的に一人称
最初の博士論文を出版した時に、編集部からすぐ連絡が来て「小説を書いてくれ」
「何を読んでそう思ったの?」って言ったら、沖縄の労働力移動の博士論文
(話してる横でちょっとだけ見えてるにゃんこの耳がかわいすぎる
僕は普通に書いたつもりでやったんですけど「小説になってる」って言われて
「書き手が過剰に出ている」
岸さんは、これまでに三つの短編小説を発表しました
「ビニール傘」 芥川賞候補
「背中の月」
「図書室」
抱っこして階下へ行く時もずっと鳴いてるおはぎ
地下室みたいな所に狭い机とパソコン 窓もあるけれども真っ暗
どれも舞台は大阪で、孤独な主人公が登場します
岸:
自分の話を書いてと言われて、「ビニール傘」は半分自伝なんです
実際に若い時に日雇い労働者だったんで、その時の感じを書いた
(やっぱりパソコンの前に陣取るにゃんこw
岸:見えへんw
「こっちおいで」と言っても来ない また鳴きながらパソコンの画面の前へ
入力している手が面白いのかな?
岸:必ず画面の前に来たがる 僕の視界に入りたい
(ちゃんと画面の前にブランケットおいてもらって優しいね
岸:
俺、英語全然できないけど、英会話はすごい得意で
友だちにメキシコ人がいて そいつが日本語一切できなくて
僕はスペイン語が一切出来ないんだけど なんか親友なんですよ
肩組んで「イエーイ」って言ってると分かってるんねんけど
基本、犬や猫とのやり取りと同じなんですよ
生物学的にまったく種が別なんだけど
例えば撫でてやると喜ぶとか
こっちも、布団の中に入ってきてもらうと嬉しいとかいうところで
ものすごく繋がるわけです
自分の人生とか生い立ちとかをこいつに分かってほしいとは思わないし
こいつが何を考えているかを言葉で伝えて欲しいとも全然思わへんし
お互いの習性があって、撫でるところを言うとか
というところでやり取りするだけで十分ですよね
●「猫は人生であり 世界である」 岸政彦 朗読:向井理
2000年の夏 連れ合いが勤める研究所に3匹の子猫が捨てられていた
鳴き声だけが響いていて、どこにいるか分からなかったが
そのうちの一匹、後に「おはぎ」と名付けられる人懐こいやつが出てきて
「お腹が減りました」と盛大に鳴いた
そのおかげで彼女たちは生き残ることができた
しかし、3匹のうちの1匹は黒猫だったのだが
その子は夏の暑さですぐに死んだ
見かねた連れ合いが、残った子猫を連れて帰ってきた
人懐こくて、穏やかで、優しく、よく喋る長毛の子は「おはぎ」
神経質で、怒りっぽく、甘えん坊な短毛の子は「きなこ」
生き残った双子の姉妹はそう名付けられた
(私の大好きな食べ物系の名前
(子猫の可愛さは最強だね
私は今でも連れ合いが持って帰ってきた段ボール箱を開けた時のことを覚えている
おはぎは、すぐにこちらを見上げて「お腹が空きました」と鳴いたのだが(いつもお腹すいてるんだw
きなこは私たちを怖がって「シャーシャー」と精一杯の威嚇をした
私たちは特にきなこの美しさに心を打たれた
(成長しても美人さん
私たちは家族4人で、それから20年近く一緒に暮らしてきた
(動画もある いつも思うのは、スマホ世代っていいよね
犬や猫の動画や写真をいくらでも撮って、みんなに見せたりすることができる
きなこも結構鳴く子 2人ですごい鳴いてる
子どもが出来なかった私たち夫婦にとって
おはぎときなこは子どもであり、家族であり、親友だった
世界で最も可愛いらしい存在が2つもここにある そう思った
もちろん全ての猫が、それぞれ世界で最も可愛いのだが
(ブラッシングはやめろーって鳴いてるw
岸:
きなこは絶対ブラッシングさせてくれなかった 彼女は短毛だったから
こいつはさせてくれるんです ちゃんと
はい終わり きれいになった ご苦労
俺が毛だらけや
●2017年11月 きなこが逝く
ある朝、目が覚めた時、おはぎは私の布団の中で
きなこは、定位置である押入れの羽根布団の上で寝ていたのだが
きなこを撫でた時すぐに気づいた
彼女は動かなくなっていた
(なぜそんな突然カッコいい亡くなり方をするの
その前の晩まで普通に元気で、ご飯もよく食べて
「ここに来て撫でろ」だの、「もっと柔らかい寝床を作れ」だの
「寒くなってきたから電気ストーブをつけろ」だのうるさく要求していた
きなこが、ある朝起きた時、何の前触れもなく 突然動かなくなっていたのである
数秒たって事態に気づいた私は、まだ体温を残していたきなこにすがり 大声で泣き叫んだ
先に起きていた連れ合いも駆けつけて
私たちは二人で、おそらくこれまでの人生で最も大きな声を出して泣いた
おはぎはただ 私たちの間をうろうろとしていた
17年以上 一緒に暮らしてきた妹が逝ってしまったことに全く気づいていないようだった
(動物って人間よりもずっと感覚が優れているから
もっとずっと前からきなこの病気のことをおはぎは知っていたのかもしれないよ
岸:
本当に30何歳~50まで一緒に暮らした家族がいなくなると
50歳でポンと取り残された感じになります
なんやろな これまでは夢だった
元々一人だったんだぞ、お前はって言われた感じ
たまたまちょっと忘れてただけで、20年間 元々お前は一人だったんだぞ
というのを思い知らされた感じがするかな
(2年前か これを撮影したのはいつか分からないけれども
まだつい最近のことだから、ペットロスから出られていないのでは?
●散歩
岸さんは、パートナーの直子さんを誘って大阪市内をよく歩きます
岸:
大学出て、友達と8mm映画を作ろうとか言ってて
当時8mmも絶滅しかかっていたけれども、この辺(埠頭)でロケしました
あのフィルムどっかにあるはずだけど
Q:どんな映画ですか?
それがこないだ 脚本が発掘されたんですよ 偶然なんですけど
僕が24、5で書いたんですけど、脚本がそのまま「ビニール傘」で 会話とかが
一人で書いたとかどうかは記憶がないんだけど そのまんま
(二人で船に乗る
岸:
ええなあ 学生の時から なんか一人で散歩したりするのはこの辺が多くて
何かに惹かれるんですよ こういう風景
よく訪れるのは、川や海の近くの工業地帯や人気の少ない住宅地
岸:あーたまらんなあ
公園の写真を撮る 写真も上手いな
岸:
時代から取り残されたように感じた風景を記録します
人の痕跡とか 記憶みたいなものが残っているところが好き 無人の所じゃなくて
Twitter でひと言だけ書いて忘れられてるアカウントとか
なんかそういうのがすごい好きですね
こういうところも普通に人が住んでるし
生活があるんだなと思いながら歩くのが好き
だからめっちゃ寂しがり屋 一人は嫌いw
廃墟のような暗い中に入っていく二人
岸:
風景とか、目の前にあるようにリアルに書けてるってよく言われるんですけれども
出てくる人の顔が浮かばないって言われる
「顔の描写は一切しないんですよね」
確かに! 言われて気がついたんですけど
「図書室」でも、「男の子の顔とか容貌をもう少し描写してください」
って編集部から言われたんやけど、断って
人間関係が書けないので、基本的にずっと一人なんですよね
(大阪って意外と川や海の街なんだな
●「猫は人生であり 世界である」
猫は人生であり、また世界そのものでもある
おはぎときなこを拾った時 私は30そこそこで まだ無名の大学院生だった
連れ合いも二十代半ばで、これから研究を始めるところだった
きなこがいなくなった時 私は50歳になっていた
大学で職を得て、本も何冊か書くようになっていた
つまり私は、30歳から50歳までという人生のど真ん中の20年を
家族4人で暮らしてきたのである
だから猫を拾うということは、妙な言い方になるが、人生を拾うということだ
(ウッドベースも弾くの!?驚 地下室だと思っていたら、二つの窓から太陽光が入っている
そして、猫が世界そのものだと思うのは それが必ず先に死ぬからだ
つまり 猫というものが永遠に生きる
あるいは、例えば平均して50年くらい生きる存在なら
私たちは猫を飼うことができないだろう
それが可愛いということと、
その寿命がとても短いということは、同じ一つのことなのである
何度か引っ越しを経験しながら20年近く一緒に暮らしてきた
4人の家族は、今3人になってしまった
やがて2人になり 、そして一人になる
私の人生の中で最も幸せだったのは、
間違いなく4人で暮らしてきた20年間であり
そして、それは 終わってしまった
きなこにはもう二度と会うことはできない
やがておはぎもいなくなるだろう
そして だからこそ 彼女たちは美しく 愛おしいのである
(これは猫に限らないね どんな命も同じだ
社会学者、小説家 岸政彦
ご飯を食べる時も、食べた後もよく鳴くおはぎ 18歳
1年ほど前から耳が聞こえなくなりました
岸:
自分の行動パターンで毎日暮らしてて
こっちもそれに合わせて、ご飯をあげたり、寝床を作ったりして
そんな感じで18年たった感じですね
捨てられていた子猫のおはぎを連れて帰ってきたのは
パートナーで同じく社会学者の齊藤直子さん
岸さん、直子さん そしておはぎは、長い間家族として暮らしてきました
岸さんは、主に沖縄をテーマにした研究を続ける社会学者
<主な著書>
「ビニール傘」
「断片的なものの社会学」
「マンゴーと手榴弾」
市井の個人一人一人の人生を言葉として記録します
岸:
僕が今まで書いてきた本は、全部、大きな構造とか
歴史の中で翻弄されている個人の話しか書いていないんですね
特定の社会問題とか社会的な歴史的な出来事なりが経験される時には
必ず個人によって経験される
そういう意味で言うと、僕らはバラバラなんです
個として生きているというか そっちを描きたいなと思います
どっちかというと、僕は社会学者として失格な所があって
社会学者って個人より社会なので
みんな繋がって、ネットワークの中で生きているっていうのが
ほぼ100%社会学者の人は思っているんだけれども
多分僕だけだと思うんですけど、
みんなバラバラで、一人きりで
閉じた中で孤独に生きてるんだよって思ってるんです
●出版記念のトークイベント
岸:
こないだブログで、僕のオブセッション(強迫観念)があると書いてあるんです
岸の強迫観念がある それは他者やって
ひょんなきっかけでフィールドに入っていって
沖縄に入っていって、そこが違うところだと思うんですが
オブセッションというか、学問じゃないところで
自分のアイデンティティを作って
アイデンティティというか、研究、スタイルを作っていったんですね
手探りでやってるって感じですかね
学術論文を書くときも一人称なんです
三人称で書いている時でも基本的に一人称
最初の博士論文を出版した時に、編集部からすぐ連絡が来て「小説を書いてくれ」
「何を読んでそう思ったの?」って言ったら、沖縄の労働力移動の博士論文
(話してる横でちょっとだけ見えてるにゃんこの耳がかわいすぎる
僕は普通に書いたつもりでやったんですけど「小説になってる」って言われて
「書き手が過剰に出ている」
岸さんは、これまでに三つの短編小説を発表しました
「ビニール傘」 芥川賞候補
「背中の月」
「図書室」
抱っこして階下へ行く時もずっと鳴いてるおはぎ
地下室みたいな所に狭い机とパソコン 窓もあるけれども真っ暗
どれも舞台は大阪で、孤独な主人公が登場します
岸:
自分の話を書いてと言われて、「ビニール傘」は半分自伝なんです
実際に若い時に日雇い労働者だったんで、その時の感じを書いた
(やっぱりパソコンの前に陣取るにゃんこw
岸:見えへんw
「こっちおいで」と言っても来ない また鳴きながらパソコンの画面の前へ
入力している手が面白いのかな?
岸:必ず画面の前に来たがる 僕の視界に入りたい
(ちゃんと画面の前にブランケットおいてもらって優しいね
岸:
俺、英語全然できないけど、英会話はすごい得意で
友だちにメキシコ人がいて そいつが日本語一切できなくて
僕はスペイン語が一切出来ないんだけど なんか親友なんですよ
肩組んで「イエーイ」って言ってると分かってるんねんけど
基本、犬や猫とのやり取りと同じなんですよ
生物学的にまったく種が別なんだけど
例えば撫でてやると喜ぶとか
こっちも、布団の中に入ってきてもらうと嬉しいとかいうところで
ものすごく繋がるわけです
自分の人生とか生い立ちとかをこいつに分かってほしいとは思わないし
こいつが何を考えているかを言葉で伝えて欲しいとも全然思わへんし
お互いの習性があって、撫でるところを言うとか
というところでやり取りするだけで十分ですよね
●「猫は人生であり 世界である」 岸政彦 朗読:向井理
2000年の夏 連れ合いが勤める研究所に3匹の子猫が捨てられていた
鳴き声だけが響いていて、どこにいるか分からなかったが
そのうちの一匹、後に「おはぎ」と名付けられる人懐こいやつが出てきて
「お腹が減りました」と盛大に鳴いた
そのおかげで彼女たちは生き残ることができた
しかし、3匹のうちの1匹は黒猫だったのだが
その子は夏の暑さですぐに死んだ
見かねた連れ合いが、残った子猫を連れて帰ってきた
人懐こくて、穏やかで、優しく、よく喋る長毛の子は「おはぎ」
神経質で、怒りっぽく、甘えん坊な短毛の子は「きなこ」
生き残った双子の姉妹はそう名付けられた
(私の大好きな食べ物系の名前
(子猫の可愛さは最強だね
私は今でも連れ合いが持って帰ってきた段ボール箱を開けた時のことを覚えている
おはぎは、すぐにこちらを見上げて「お腹が空きました」と鳴いたのだが(いつもお腹すいてるんだw
きなこは私たちを怖がって「シャーシャー」と精一杯の威嚇をした
私たちは特にきなこの美しさに心を打たれた
(成長しても美人さん
私たちは家族4人で、それから20年近く一緒に暮らしてきた
(動画もある いつも思うのは、スマホ世代っていいよね
犬や猫の動画や写真をいくらでも撮って、みんなに見せたりすることができる
きなこも結構鳴く子 2人ですごい鳴いてる
子どもが出来なかった私たち夫婦にとって
おはぎときなこは子どもであり、家族であり、親友だった
世界で最も可愛いらしい存在が2つもここにある そう思った
もちろん全ての猫が、それぞれ世界で最も可愛いのだが
(ブラッシングはやめろーって鳴いてるw
岸:
きなこは絶対ブラッシングさせてくれなかった 彼女は短毛だったから
こいつはさせてくれるんです ちゃんと
はい終わり きれいになった ご苦労
俺が毛だらけや
●2017年11月 きなこが逝く
ある朝、目が覚めた時、おはぎは私の布団の中で
きなこは、定位置である押入れの羽根布団の上で寝ていたのだが
きなこを撫でた時すぐに気づいた
彼女は動かなくなっていた
(なぜそんな突然カッコいい亡くなり方をするの
その前の晩まで普通に元気で、ご飯もよく食べて
「ここに来て撫でろ」だの、「もっと柔らかい寝床を作れ」だの
「寒くなってきたから電気ストーブをつけろ」だのうるさく要求していた
きなこが、ある朝起きた時、何の前触れもなく 突然動かなくなっていたのである
数秒たって事態に気づいた私は、まだ体温を残していたきなこにすがり 大声で泣き叫んだ
先に起きていた連れ合いも駆けつけて
私たちは二人で、おそらくこれまでの人生で最も大きな声を出して泣いた
おはぎはただ 私たちの間をうろうろとしていた
17年以上 一緒に暮らしてきた妹が逝ってしまったことに全く気づいていないようだった
(動物って人間よりもずっと感覚が優れているから
もっとずっと前からきなこの病気のことをおはぎは知っていたのかもしれないよ
岸:
本当に30何歳~50まで一緒に暮らした家族がいなくなると
50歳でポンと取り残された感じになります
なんやろな これまでは夢だった
元々一人だったんだぞ、お前はって言われた感じ
たまたまちょっと忘れてただけで、20年間 元々お前は一人だったんだぞ
というのを思い知らされた感じがするかな
(2年前か これを撮影したのはいつか分からないけれども
まだつい最近のことだから、ペットロスから出られていないのでは?
●散歩
岸さんは、パートナーの直子さんを誘って大阪市内をよく歩きます
岸:
大学出て、友達と8mm映画を作ろうとか言ってて
当時8mmも絶滅しかかっていたけれども、この辺(埠頭)でロケしました
あのフィルムどっかにあるはずだけど
Q:どんな映画ですか?
それがこないだ 脚本が発掘されたんですよ 偶然なんですけど
僕が24、5で書いたんですけど、脚本がそのまま「ビニール傘」で 会話とかが
一人で書いたとかどうかは記憶がないんだけど そのまんま
(二人で船に乗る
岸:
ええなあ 学生の時から なんか一人で散歩したりするのはこの辺が多くて
何かに惹かれるんですよ こういう風景
よく訪れるのは、川や海の近くの工業地帯や人気の少ない住宅地
岸:あーたまらんなあ
公園の写真を撮る 写真も上手いな
岸:
時代から取り残されたように感じた風景を記録します
人の痕跡とか 記憶みたいなものが残っているところが好き 無人の所じゃなくて
Twitter でひと言だけ書いて忘れられてるアカウントとか
なんかそういうのがすごい好きですね
こういうところも普通に人が住んでるし
生活があるんだなと思いながら歩くのが好き
だからめっちゃ寂しがり屋 一人は嫌いw
廃墟のような暗い中に入っていく二人
岸:
風景とか、目の前にあるようにリアルに書けてるってよく言われるんですけれども
出てくる人の顔が浮かばないって言われる
「顔の描写は一切しないんですよね」
確かに! 言われて気がついたんですけど
「図書室」でも、「男の子の顔とか容貌をもう少し描写してください」
って編集部から言われたんやけど、断って
人間関係が書けないので、基本的にずっと一人なんですよね
(大阪って意外と川や海の街なんだな
●「猫は人生であり 世界である」
猫は人生であり、また世界そのものでもある
おはぎときなこを拾った時 私は30そこそこで まだ無名の大学院生だった
連れ合いも二十代半ばで、これから研究を始めるところだった
きなこがいなくなった時 私は50歳になっていた
大学で職を得て、本も何冊か書くようになっていた
つまり私は、30歳から50歳までという人生のど真ん中の20年を
家族4人で暮らしてきたのである
だから猫を拾うということは、妙な言い方になるが、人生を拾うということだ
(ウッドベースも弾くの!?驚 地下室だと思っていたら、二つの窓から太陽光が入っている
そして、猫が世界そのものだと思うのは それが必ず先に死ぬからだ
つまり 猫というものが永遠に生きる
あるいは、例えば平均して50年くらい生きる存在なら
私たちは猫を飼うことができないだろう
それが可愛いということと、
その寿命がとても短いということは、同じ一つのことなのである
何度か引っ越しを経験しながら20年近く一緒に暮らしてきた
4人の家族は、今3人になってしまった
やがて2人になり 、そして一人になる
私の人生の中で最も幸せだったのは、
間違いなく4人で暮らしてきた20年間であり
そして、それは 終わってしまった
きなこにはもう二度と会うことはできない
やがておはぎもいなくなるだろう
そして だからこそ 彼女たちは美しく 愛おしいのである
(これは猫に限らないね どんな命も同じだ