眉村卓/著 カバー/木村光佑 (昭和58年初版)
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[カバー裏のあらすじ]
不安やいらだちを、甘い女性の声で和らげ、良い気持ちにさせてくれる魔法の白い小箱。
こんな素敵な宝物を手にして男は、さっそく、その声がささやく通りに行動しはじめた。
上司の反発にも、勇気をもって反抗せよ・・・
女の子にも大胆に振るまって・・・etc etc。
しかし、その彼を待ち受けている宿命とは・・・?
大都会に住む孤独な人間たちの姿をSF手法で見事に描ききった秀作集。
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あらすじ(ネタバレ注意
走馬灯
3日間ぶっ続けの工場での生産会議後、例年通り、出席者たちの宴会に出た企画部次長・大西
ここら辺が今夜から祭りだと分かり、次の俳句結社の月例句会のアイデアをつかむためぶらつくことにしたが
都会と大差ないと分かり、つい、同年輩の間で話題の
「近頃の若者」について思いを巡らせる
数年前まで入社してくる若者は、理解出来ないまでも、別世界なのだという態度を露骨にしていただけ良かったが
ここのところは、
みな素直で従順 社長や専務などは結構だと思っているが、大西はそれが本心からとどうも思えない
目の前では走馬灯がゆれている 夏の季語だ
「はい 450円ね」と青年が言った 考え事をしていたのが、買うものだと誤解されたのだ
華やか過ぎるが、彼は500円札を出した
「お祭りだから、お釣りはご祝儀で!」
あつかましいと思いつつ、言い争う真似は出来なかった
その後も苛立ちは収まるどころか強くなった
形だけの賽銭を放り込み、拝んで、振り返ると
「おみくじが大吉だ! バンザイって言ってよ! 酒、飲ませてよ!」
さっきと同じ年頃の青年だ
「ここには・・・そういう風習があるのか?」
「関係ないじゃん あんた、フワフワ?」
「ダメのひらひら!」と連れの女が言った
「バンザラ! バンザラ!」
酔っているに違いない
だが、若者特有の、自分たちがこうだと信じれば、みんなもそうすべきだ、という感覚でいたのはたしかだ
そこまでは理解できるが、その後のわけの分からぬ言葉の連発、妙な踊りや格好は何だ?
会社はいつも通り 年代は似ていても、ここの若い社員たちは、あんな連中とは違う
あれは例外なのだ
退勤時刻を過ぎて、エレベーターを待っていると、総務部の若い男子社員2人が
同じフロアの別の会社の社員に親しげに手をあげ、大声を出し、激しい勢いで握手した(黒人的な?w
「ミラニタラ!」と、OLが言って、飛行機のような格好をして階段を下りていく
日頃は大人しい社員だ 他社の連中とあんなに親しいのも、彼の常識からすると異様だ
会社が違えばほとんど交流がないのが、彼の年代の感覚だ
エレベーターに乗ると、4人の若者が乗ってきて、ぶつかり合いながら「ワッショ、ワッショ」と掛け声を上げ始めた
「やめろ! こんな狭い中でふざけることはないだろう?」
だしぬけに若者は笑いだし「ドナッテベエ!」「ブリテリヤッチャ!」と代わる代わるに言い
1階に着くと駆け出して行った
自分の知らないうちに、なにか異変が進行しているのだろうか?
月例会には、すでに30人近く来ていて、馴染みの岸の隣りに座った
新顔の6、7人の男女が末席あたりにいる
幹事「新会員の方々は、私たちの雑誌広告を見て、入会したそうです」
やれやれ 昔ならここくらいのレベルの結社に入るなら、何ヶ月か雑誌に投句して
評価を知った上で句会に出たものだ
岸「これは、ひょっとすると、おかしなことになるかもしれないぞ」
句会の互選の形式は、紙に無署名で作品を書き、バラバラに分けて、別の紙に清書する
これで、筆跡でどれが誰の句か分からなくなる
その後、回覧し、良い句を書き写し、集められた選句は読みあげられる これを「披講」という
あらかじめお題を出す「兼題」と、句会直前に出すお題の「席題」があり、
今回の席題は「走馬灯」だった
回覧がまわってきて読むと
「走馬灯きのぼりくのくらさきり」
・・・何度考えても意味不明で無視した
2枚目、3枚目を見るうちにうんざしはじめた
彼だけではなく、一座は妙にザワザワしはじめた
披講された作品を幹事が読みだした 「走馬灯きのぼりくのくらさきり」
幹事「作者はどなたですか?」「僕です」新会員が手をあげた
次もその次も新会員のもので、読まれるたびに騒ぎ、拍手し、叫んでいる
主宰「もういい やめたまえ!」
「おじさん、何が気に入らないの?」
「何事にも、道には作法があるんだ ろくに基礎も出来ていない君たちが・・・」
「ヒ、ガ、ミ」「ドヒンガラミイ!」「ガラミイ!」「イッカラコン!」
彼らはどやどやと部屋を出て行ってしまった
その後、大西は岸とスナックに寄った
岸:
だいぶ前から、我々には若い連中が分からなくなっているよな
同様に、向こうもこっちが分からない 前はよく衝突したが、今はもっと賢い
反抗せずに、合わせたほうが得なんだ 月給をもらえる関係の場合だけ我々の言葉を使う
プライベートでは、表に出て来るだけのことさ
もしそうなら、自分たちの言葉、習慣、文化はいずれ消えて行くことになる
岸「こっちも調子を合わせなきゃ仕方がないんだろう じゃなきゃ置いてけぼりを食うんじゃないか?」
大西「走馬灯きのぼりくのくらさきり」か
(今のネット言葉や感覚が全然分からないのと同じかも
執筆許可証
吉田は会社勤めのかたわら書いていた小説が、ある雑誌の新人賞に入選し
すぐに2作目を注文されたが、どうにも書けないため、都内のホテルで書き上げようと計画した
どうせなら、よく作家連中が泊まるというSホテルに予約した
妻は「貧乏してなんて、私は嫌だわ」と批判的だ
正直、彼自身も無難な道への志向がある
なにもかも都合よく運ぶはずないと思いながら、それを跳ね除けるため、ホテル入りを敢行したのだ
だが、原稿を広げて1時間経っても何も浮かばず焦り始めた
ようやく筆が走り、めまいがした 熱中して夜中になっていた
めまいは空腹のせいらしい ホテルの中で食事をしよう
レストランバーのある1階に行くと暗く、しんとしている
地下へは階段でしか行けない ややこしいホテルだ
トイレに入ると、反対側にもドアがあり、開けると先ほどのレストランバーで何人も客がいる
妙だなと思いつつ、カウンターに座ると、メニューがバカ高くて声を立てそうになった
周りを見るとほとんどが背広にネクタイ姿だが、おかしな服装だ あんなのが流行しはじめているのか?
別の場所にいるのは、いかにもアウトサイダー風だ どうなってるのだ?
一番安くて腹のふくれそうなものを注文して、原稿を読み直していると
3人の男女が見つめている
「失礼ですが、それ、原稿ですか? マス目に肉筆なんて久しぶりに見たものだから」
「まさか、あなたが自分で書いたんじゃないでしょうね?」
「もしよろしければ、私に読ませて頂けませんか?」
押しきられて原稿を渡すと、物書きの端くれだという男性は
「私の子どもの頃は、よくこういった文体だったものだ」
「遊びとしては、上出来ね」
怒った吉田は「あなたたちは何者だ?」と問うと
詩人や小説家だが、今は「執筆許可証」を取り上げられたため書けないという
「国家体制を誹謗し、公序良俗に反するおそれのあるものを発表した者はこの限りにあらず、さ」
男はポケットから薄い銀色の紙か金属か分からぬものを取り出した
他の2人は止めたが、その時、3人の黒い制服の男がやって来た
「職業あらためをします 全員、身分証明書、必要な許可証を置くこと!」
「結構。ぶち込まれるのには馴れてる」
許可証がないと懲役だという女
吉田は制服の男が来るのが目に入り、トイレのほうへ突っ走った
原稿さえなければ助かるかもしれない
彼は原稿を屑箱に突っ込んだ これで時間は稼げるだろう
最初入ったほうから出ると、レストランバーは暗く、誰もいない
ホテルの従業員「レストランは改装中で、営業していません」
そんな! ドアを開けると、奥のドアはない 初めて見るトイレだ
原稿を押し込んだ屑箱も消えていた
あれは別世界だったのか?
もしかして、何十年も未来かもしれない
分からないが、あの男は逮捕されてでもものを書くのを止めないと言ったのに
自分は、原稿を簡単に捨てた 所詮、作家などにはなれないのかもしれない
書く気も失っていた
自動化都市
情報整理供給会社の第一級解説員シオダは、緊急の赤色ブザーが鳴り舌打ちした
「最優先だ 顧客が求めている」
スピーカーの声が誰の声か誰も知らない
同僚の中には、
人工頭脳による合成だろうという者もいるが
シオダはそう思わない 社内の誰かだと信じたいだけかもしれないが
該当ニュースのコピーがデスクに来た
ショッピングセンターで青年がだしぬけに靴を脱ぎ、非常出口の標示灯を叩き割っていると通報があり
登録番号を国民戸籍コンピュータに照合すると、男には犯歴もなく、不穏分子でもないが
取調べの間中、たえずニヤニヤしていることから、近頃頻発している事件と関連しているとみられる
理由を聞くとみな「衝動的にそうしたくなった」と述べるという
誰かに危害を及ぼすわけでもなく、笑いたくなるようなものが多いのが特徴だが
今のように高度に組織化された社会には、ナット1つ外すことが大惨事につながる可能性がある
ひょっとすると、これは何か人間にはたらきかけるものがいるのではという不安が広がり
それを解説し、分析しろという
「即答しかねる 調査の間待ってくれ」
指紋識別で外に出て、無人運転の地下鉄、電気バスか自転車に乗れば自宅だ
妻と息子は今日から1週間、N県のセカンドハウスに行っている
シオダは忙しくて一度も行ったことがない
列車で4時間、旧式のガソリン車
で3時間かかる過疎地にあり
彼の会社は急成長期で、もっとも忙しい部門にいるため、2日の休みも取れない
たとえ取れても、大事件が起きれば出社しなければならない
家族ともろくに話さず、セカンドハウスに行ったところで入り込む余地はない
たまには地上の
自動管制車で走るのもいいだろうと、乗り場で呼び止めボタンを押すと
車道から1台の空車が誘導路を入って来る
自動管制車は最高速度の時速30キロを維持している
(自動管制車も眉村作品によく出る 近未来ものの映画やアニメにも時々出て来る
これなら衝突事故や渋滞はなくなるだろうか?
20秒以内に発車してしまうため、向かい合う4人がけのシートに入り
コースを指示し、カードを使わず、現金を入れて、走り出した時
手首にはめた交話器が鳴った 会社からまた催促だ
「例と同様の事件がさらに7件続いて起きた 顧客は即時解説を望んでいる」
「あとにしてくれ! まだデータが揃っていない
」
「では、1時間後にまた連絡する」
あの声はやはり合成なのか?
だとしたら、自分は本物の人間とほとんど口もきかずに1日送ったことになる
家庭の中でさえ、必要以上は何も喋らない
今は機械に指示し、すべて用が足せるからだ それが文化的生活だ
いや違う? 文化でも何でもありゃしない 孤独地獄へ落ちるだけじゃないか?
突然、彼は生身の人間と会って、怒鳴りあいでもいい、触れ合いがしたくなった
その瞬間、車が停止した 何百台という自動管制車が停まっている
完全自動化されている輸送機関がどうして・・・
クルマを停めたのは、1人の善良そうな青年だ
わざとクレジットカードを引き抜いて振り回している
それで大交通麻痺が起きたのだ
警官たちにののしられながら、青年はとても嬉しそうにニコニコと享受している
そうなのだ これも、解説するよう言われた事件も、人間の本能に基づくものだと理解した
都市の住人がナマの接触を抑えきれず、わざとトラブルを起こすまで追いつめられているのを
ハッキリ感じたのだ
厄介者
石原は、新聞に山田信夫という名前を見つけて、かつての部下だと確信した
去年の今ごろ、会社の海の家に海水浴に行こうとして、山田だけが遅刻した
ギリギリに着いた彼はバカっ派手な格好で、舌打ちを抑えたが、女子社員らはセンスに富んでるように見えるらしい
どうしてあの男は、いつもああなのだ
入社して、庶務課に配属されて4ヶ月ほどになる その間ずっとこの調子だ
みんなの注目を集めるために生きているとしか思えない
社員としては優秀で、社内のスポーツ大会でも際立ったプレーを見せるが
すべてスタンドプレーが目立つ 常に注目を浴びるタイミングを計算しているようだ
それでも注意しなかったのは、石原自身、初めて課長になりたてで、どう出たらいいか決めかねていたからだ
何とかしなければ 石原は決心していた
駅を降りて、バスで15分かかると聞いて「パンフレットとだいぶ話が違うな」と山田が奇声をあげる
生意気な!
主任「君がレンタカーで運んでくれてもいいんだよ 免許を持っているのは君だけだ」
山田「そんなために、ぼくは免許を取ったんじゃない」
立場上、石原は口論を止めざるを得なかった
海の家に着くと、若い連中は早速海へと突進していく
石原は久しぶりなため、平泳ぎからはじめ、じきに昔の感覚を取り戻した
山田「課長、なかなかやるじゃないですか」
主任「課長は、学生時代、水泳の選手だったんだぞ」
山田
「本当に泳ぐなら負けませんよ 競争になったら体力でしょ? 中年と青年とじゃ・・・」
石原は大人げないと思いつつ競争しようと挑戦した
2人で平泳ぎで、最初は石原が優勢だったが、次第に追い越され、負けた
山田「年のことを考えなきゃ 課長は中年男なんだから!」
石原「なにを! この野郎!」
山田の頭に手をかけ、何度も水に突っ込みわめきつづけた
部長に呼ばれ、海水浴後、
山田が3日間無断欠勤し、封書で退職願が届いたと言われた
事情を話すと、様子を見てきて欲しいとだけ言われた
まったくどこまで勝手な真似をしやがるんだ!
探しあてた家にはいなかった そこは遠縁の家でほかに身寄りがなく、
教えられたアパートに行くとスラム街のような場所だ
部屋に入ると、派手な背広やシャツ、実用書などだけで、ベッドはおろか、棚もなく
おそろしくアンバランスな部屋だった
山田:
僕は会社に戻りませんよ サラリーマンとしての格好をつけるため、給料全部はたいてきました
ひけめを感じたくない 外面のために何もかもぶちこんだんです
僕はレーサーになりたかったんだ
でも、思いきれず、サラリーマンで偉くなることでガマンしようと考えたが
課長にあんなことをされて、所詮、仲間じゃないと決心がついた
ブタにならずにイノシシになろうとしたが、ブタの社会ではそれさえ許されないんだ
新聞を読んで集まりヒソヒソ話をしている社員
「あの男、いつの間にテストドライバーなんかになっていたんだろう」
「激突して即死なんて、いい死に様じゃないな」
女子社員
「でも、壮烈でいいわ! 少なくとも、毎日同じ繰り返しをしているよりは」
石原「くだらん! あいつの住まいは酷いものだった とにかく汚くて」
しらけるのを承知で、ヒステリックに口走りはじめた
出て下さい
午後の一番忙しい時間に電話が鳴った
「前田さんですか? テレビに出てほしいんです」
何度断ってもしつこくそう言うばかり
退社後も電話が鳴り繰り返す
「あなたはもっとも平均的な人間のモデルとして選ばれたのです」
「いい加減にしろ!
」
外に出ると、背の低い男から声をかけられた 電話の声だ
「どこの局か、何にも説明してないんだぜ」
「それは一緒に来ていただいてから説明します」
振り切って、いつも行くスナックに行くと、隣りの席にまた男が来た
店の女たちは「そんなチャンス滅多にないわ 出なさいよ!」と言い、
酔った勢いもあって、男について行く
「テレビに出てもらいます」
「今からか?」
男は腕時計に似た光る円錐形の機械に、よく分からぬ言葉を早口で囁くと
見慣れぬスタイルのクルマが来て、薄気味悪くなって逃げようとするのを無理やり押し込められた
クルマは全身がバラバラになりそうな振動が30秒ほど続き
夜の人気のない球場に着いた ここへは何度も来たことがあるが、短時間で来れる距離ではない
そこに高さ20mもありそうな円錐形の構造物が立っている
「あれがスタジオです 中へ入ってください」
ひきずりこまれて、穴に入れられ、きびすを返すと、もう穴はない
周りは白っぽい光の何もない空間ばかり
急に暑くなってきて温度はどんどん上がっていく
このままでは死んでしまうと、服を脱いですっぱだかになった
すると急に冷えてきて寒い 見ると脱ぎ捨てた服がない
僕は体操を始めた 何がテレビ出演だ!
後ろから咆哮が聞こえた 虎
が迫ってくる
「助けてくれえ!」
飛びかかってきて、抵抗していると、急に何の手応えもなくなった
今度は滝のような水が落ちてきて、位置をずらしても息が出来ない
足元には、僕の大嫌いな蛇
が何百と押し寄せてきて、僕は泣いた
足元に脱ぎ捨てた衣類が落ちている
「お疲れさまでした」と男が現れた
「私たちは、いろんな惑星を訪ねて、住人を記録におさめています
出演者の心理に投影されるだけなので何の危険もないのです
今回はなかなか良かった 視聴者も喜ぶでしょう これが出演料です」
1万円札を渡された
「馬鹿にするな!」
「サービスとして、あなたがたにも見られるようにしています」
そいつらは、帽子をつかんで持ち上げると、帽子とともに頭も抜け
昆虫に似たゾッとするような貌があった
僕は悲鳴をあげて穴を走りぬけ、振り向くと、オレンジ色に光る構造物はふっと消えたのだ
ガードマンに何度話しても信じてもらえず、そんな構築物などないと言う
酔って球場に忍び込んだと決めてかかっているのだ
家に戻ると、妻がテレビを見ている 「これは何?」
見ると、僕が映っている
裸で泣き叫び、手足をバタバタさせたりしているが、他には何もいない
「何の予告もなしに始まったのよ 知り合いから電話がじゃんじゃんかかってくるから
受話器を外してるの どうなってるの!?」
僕は、わいせつ物陳列罪の疑いで警察の取り調べを受けた
説明をどう受け止めたかは分からないが、ともかく釈放された
学者やマスコミも押しかけてきた 国内のあらゆるチャンネルで観れて
どうしてそんなことが可能なのか尋ねられても、知らないとしか言えない
もうたくさんだ
あれからどこに行っても、みんなが僕を見てゲラゲラと笑いやがるのだ
おお、マイホーム
「やっぱり我々は、良くやったと言うべきだよ」萩原久男は言った
とうとう
マイホームを持ったのだ 11階建てのマンションで、最上階の2LDK
最寄りの駅は遠い バス停まで徒歩5分 バスで10分以上かかる
駅には急行も停まらないため、250戸のうち2割しか入居せず
焦った業者はダンンピングしたのだ
彼も妻も働いているが、会社から借りた金を頭金にし、住宅ローンでどうやら買えた
2人ともまだ30歳前だ
妻:
今までの町中のアパートを考えると夢のようだけど、ちょっと気味が悪いわ
うちの階はいまだ私たちだけなんだから
夜中にマンションに戻り、エレベーターを11階でおりると
1戸のドアが開き、皮ジャンを着た青年が鋭い目つきでこっちを見ている
「誰かしら」
「工事かなにかで来てるんじゃないか」
2人の会社は隔週土曜休日制で、ここ何ヶ月か、どこかで食事をしてから帰るのが習慣になっている
ゆうべの男が出勤前もいたため、うかつに戻れない感じだっただけでなく
階段あたりには
プロレスラーのような大男が立ってニヤニヤしていたのだ
「管理人に事情を話して注意してもらいましょうよ」
だが、周囲のいかにものんびりとした風景を歩いているとそんな気もなくなった
11階でおりると、異様な風体の中年男が立っている
まるで
アメリカ映画に出て来るギャングそっくりなのだ
胸から抜き出したのは黒光りするピストルだ
久男は夢中で男に飛びつき、銃声が響いた
やっとピストルを奪って、それで相手を殴りつけ、そいつはその場で倒れた
皮ジャンの青年がナイフを持って走ってくる
2人は階段を駆け下りた 青年は追ってこない
1階の管理人に言うと「そんなこと、あり得ないじゃないですか」と信じてくれない
一緒に11階に行くと、そこには誰もいなかった
妻「ここにピストルの弾の跡があるわ」
管理人:
たしかに窪んでるが・・・じゃ、弾や薬莢はどこです?
馬鹿馬鹿しい あまり人をからかわないでください
管理人が見えなくなったと同時に、数名の男たちが出現した
中には
ちょんまげをした武士の姿もいる
2人は部屋に逃げ込むと、物音は消えた
考えても結論は出ず、また何かあったら、もう一度だけ管理人に言おうと心を決め
翌日、エレベーターをおりると、武士が抜き身をさげて、恐ろしい形相で走ってくる
エレベーターに入ってきて、狭い中で刀を振り回せないのが幸いで、もみあいとなった
刀が久男の肩をかすめた時、9階で女が乗ってきて、武士は消えた
「どうなさったんですが、血が・・・」
「慣れない日曜大工をしたもので・・・大丈夫です」
薬局で手当をしてもらう間も、どうしてそんな傷ができたのか根掘り葉掘り聞かれた
妻:
私たち、拒否されてるのよ あの連中、みないわば殺し屋でしょ?
妖怪変化が私たちを追い出すつもりなのよ
だったら、人に頼らず、私たちだけで対抗するしかないじゃないの
何が出てこようと、あそこは私たちのマイホームよ
出勤前、鋼製ヘルメットのヒモを締めて2人は廊下へ飛び出す
行く手に化け物たちが現れた
久男はバットで片っ端から一撃、二撃叩きながら前進する
銃声も響くが、プロテクターと防弾チョッキを着ている
階段に一歩足をかけると、そこはもう安全地帯なのだ
踊り場で普通の出勤スタイルに着替える 11階まで来る者はいない
駅に風呂敷包みを預けて、帰りにまた戦闘準備をして部屋まで突撃するのが日常になった
そのうち11階にも誰か入居するまでの辛抱なのだ
どんなことも日常化すると何でもない
ひょっとすると、誰か入居して、奴らが出なくなったら寂しくなるのでは?と思うことがある
それだけ自分たちは自信を持って、マイホームを守り抜いているのだ
「やっぱり我々は、良くやったと言うべきだよ」
10階のエレベーターホールに佇みながら久男は言った
(なんだか想像すると笑ってしまう話がつづく
彼をたずねて・・・
僕は平凡なサラリーマンだ 妻子もいて、真面目に働いている
昔は、何か人が驚くようなことがしたかったが、徐々に世の中に順応した
こういうタイプが落ち込むのは趣味の世界だ
あれこれとマスターし、3年前、
「冒険家クラブ」に入った
一種の秘密組織で、組織の全貌を知るのは誰にも不可能
非合法なことはせず、冒険的仕事をすれば、報酬も出るので加入し、
僕の担当者のWから仕事を受けた
マイホームのローンが苦しくなるばかりで、400万円以上の仕事が欲しいと言うと
W:
ある密封した書類をL国のケイ・カズハラという人物に一刻も早く渡して欲しい
報酬ははじめに500万、遂行すれば500万 早い分だけボーナスが出る
L国L空港に着き、地図を調べ長距離バス
に乗った
横の男がうるさく話しかけてきたが、僕の無愛想な態度で居眠りを始めた
自分もついうたた寝をして、ケイの屋敷一帯を含むカズハランドに着いた
ケイ専用の飛行場や牧草地、鉄道まで走る中に屋敷があるが地図では空白になっている
敷地内を行き来するには、従業員の証明書が必要だが、いくら探しても見つからない
さきほどの隣りの男にすられたのでは?
Wから連絡は来ても、こちらから連絡を取ることはできない
Wは
「あらゆる手段を使っても」と言っていた
制服の腕章をした男が2人きて「通行証は?」と呼び止められ、走って逃げた
あの場に残したバッグは惜しかった 妻に言えば文句を言うだろうが
L国へ来たとか、仕事の話は喋るわけにはいかない 言っても信じないだろう
女なんて、マージャンや競馬
で稼いだことは信用しても
こんな奇妙な仕事があるのは受け入れないものなのだ
森の奥には高さ3mほどの塀がある その奥が屋敷だろう
どこまでも続く塀で、1mあまりの足場を作り、よじのぼると
塀の内側に、さらに金網があり、池がある その向こうに白い塔が見える
弾がかすめて、塀向こうに飛び降りると、何頭もの犬が走ってきた
金網を乗り越えた時には、顔も指も血だらけになった
侵入者を告げるサイレンが鳴り、池に飛び込んだと思わせて、塔に向かった
巡回している警備の後ろから襲いかかり、ケイの居所を聞いて、当て身を食らわせ
一番大きな建物の2階にいると分かった
建物の正面に来た時、十数人の巨漢が出て来た みな贅沢極まる服装だ
その中央の男が「わしがケイ・カズハラだ」と言った
封筒を渡すとすぐに封を切り「14番が当たりだ!」と叫んだ
巨漢たちは一斉に喜んだり、肩をすくめたりした
部屋に呼ばれると、そこにはWが待っていた
W:
あんたが一番乗りだ あんた自身が賭け札だったのさ
何人もが同じ指令を受けて、ほぼ同じ時刻にスタートし、
みな途中で通行証をすられるよう手配されていた
ここの金持ちたちはよくやるんだ 彼らの暇つぶしなんだ
誰かが死んでも金を出せば済む
この競技の費用も、彼らにはほんのはした金なんだ
君は穴だったから、数百億が動くだろうな
僕は、他人に先んじてうまくやっていると信じてきたが
にわかに馬鹿馬鹿しく、わけが分からなくなった
待っていた奴
1日1往復しかないバスが去り、僕は森の中を歩いた
「冒険家クラブ」の会員として新米の僕は、喫茶店で担当のWから仕事を引き受けたのだ
クラブは、向こうから適当な人間を探して、個人的に入会をすすめる仕組みだ
僕は、卒業後、就職し、数年後、結婚した
その頃から一種表現しがたい焦りを覚えるようになった
これからの一生がおおよそ見てとれる
マイホーム
を持ち、時々旅行に行き
、その中に閉じ込められていくような 事実そうなのだ
そんな時、クラブから電話があり、違法ではない秘密組織で、冒険のスリルを提供し
仕事が成功すれば報酬も出る 言われた仕事が嫌なら断ってもよい
入会を勧誘される人間は、仕事に必要な能力を持ち、
ちゃんと社会生活を送る者に限る
W:
来月の半ば、古井川で3日間キャンプして監視して欲しい
ここは自殺の名所で、滝つぼに投身しても、気を失うだけで流されてくる者も多い
うまく救助出来れば高額の手当も支払う
川に着き、テントを張るとだんだん薄気味悪くなり、後悔しはじめた
常に見張ることも出来ないため、昼間の疲れも出て、すぐに眠ってしまった
そんなにうまく救助など出来るのか
水泳部出身で、泳ぎは得意だが、なにか対策が必要だと今ごろ気づいた
ロープを岸辺の大岩にくくりつけ、もうひとつの端を胴に結べば、流されずに済む
ほっとひと息つくと、どうにも馬鹿馬鹿しくなってきた 本当に投身者などいるのか?
とりあえず、焚き火をしていると、いた! 何か流れて来る 人間らしい
服を脱ぐ余裕もなく、川に入り、失神している女の首をかかえて、岸にあげ
人工呼吸をし、水を吐かせ、トランシーバーで連絡すると
10分とかからずオートバイの音がして、見知らぬ男が来て、
なぜか川に入り、ずぶ濡れになって戻って来た
「あとは、わしの出番だ 君はすぐテントをたたんで引き揚げるんだ 早く!」
ワケも分からずキャンプを片付けているとWが現れ、無言で作業を手伝いはじめた
Wの車内で事情を聞くと
W:
人気取りだよ あの男はこの地方の有力者で、選挙に出馬する気なのかは知らないが
人命救助をすれば、表彰されるか、地元の人々に賞賛されるからね
彼はキャンプするような暇はないから、上にある別荘で仕事をしながら、あんたの連絡を待っていたんだ
白い小箱
パチンコに似た「アレンジボール」で大勝した広川
最近は何もかもうまくいっていなかった
会社の仕事も、マージャン、競馬
、女の子の付き合いもツイてないため
休日にどうせ負けると思って挑戦したら意外な大勝だ
景品交換所に行ったがそれほど欲しいものがあるわけでもなく
唯一、キレイに
白く塗られたラジオが目についた これにしよう
家に帰り、説明書を出すと、見たこともない文字が斜めに何十行も並んでいる
ラジオにはダイヤルもなく、どう周波数を合わせるのか分からない
イヤホンジャックの孔はあるため、イヤホンを耳に当てると
彼好みのやや低い落ち着いた女性の声がした
「
さあ、自信を取り戻してくださいね あなたには才能も、実行力もある
それに、自分で思うよりずっとハンサムなの 自分で気づいていないだけ
今は何となくすべてうまく行ってない気がしてるでしょうけど
積極的に出れば何とかなるわ 勇気がないだけ そうでしょう?」
それはまるで、彼1人のために言われているようで、ひたすら元気づけさせ、とても快かった
「明日こそ、会社で、あなたが思う通りにやってみましょうよ あなたはまだ25歳なんだもの」
ギクリとした 自分の年齢だ 偶然だろうか?
「これはあなた一人のためのお喋りだと分からない?
あなたに自信を持ってもらうために、私がいつでもお相手するわ」
これは魔法の箱なのか でなければ、別の世界から紛れ込んできたのか
それでもいいじゃないか 聴いていて楽しいのだ
翌日、出勤の電車でも聴き続けたため、出勤した時はいつになく高揚した気分で態度にも表れていたらしい
小杉ルミ「広川さん何かあったの? いつもと違うみたいだもん」
ルミはチャーミングだと思っていたが、個性が強くて、これまでは積極的に近づこうとしなかったが
向こうから関心を見せたのだ
課長「これから月例の企画会議だが、係長が出張だから、君が出てくれないか?」
会議で主に発言するのは課長連中だ
部長がワンマンなため、ここではあまり出すぎたまねはしないほうがいいという風潮があり
彼などは、課長が求める資料を渡す繰り返しで終始する
でも、今朝はそんな気になれない
平凡な社員のままでいたくないと、以前から心底で願っていた
そのチャンスを待っていてもいつ来るか分からない
小箱の女性が言うように自分でチャンスを作り出さなければ
提案は新味のない、いわゆる部分的改善で、常識的で、安全なもので、部長も頷いている
広川は、その提案に新味がなく、似たようなものが何度と出されるのは、なにか職務上の欠陥があるのではと発言した
「もういい」と部長がだしぬけに遮った
それ以後、出席者の彼を見る目が少し違って見えた
これまでの、いてもいなくても同じ存在でなくなったのはたしかなはずだった
だが、会議後、課長は「あまりよその課の悪口を言うもんじゃない」とやわらかくたしなめた
あれで良かったのだろうか
昼食時、小箱を耳に当てると「よくやったわね 私、あなたみたいなステキな人に助言出来て嬉しいわ」
「何聴いてるの?」突然、ルミが小箱を取り上げ、イヤフォンを聴くと
「DJね この男の声、悪くないわ」
男? 声が低いから間違えたのか?
それより、彼女は自分に関心を持ち始めている
「まだ時間があるから、喫茶店でお茶でも飲まないか?」
その後、ルミとは映画や芝居を観るようになって、1ヶ月あまりになる
彼が自信を持ちはじめ、行き過ぎをそれとなく注意されたりしても
小箱の女性は「それは妬みややっかみで、心ではあなたを恐れているからだ」と慰めてくれる
ルミ:
私、行動的な人好きよ 広川さん、いつ会社辞めるの? 社内でもっぱら噂よ
辞める覚悟がなきゃ、今みたいなこと出来やしないって誰でも分かるわよ
私もいつまでもいるつもりはないわ
広川:ぼくには出来ない
ルミ:
呆れた あれはみな、ポーズだったのね? 演技ならお粗末もいいとこ
あんな調子で会社勤めが続けられるなんて甘いわよ
いくじなし 成算もなしにあんなことするなんて見損なったわ
私たちの仲もこれまで そんな甘ちゃんと付き合うヒマはないわ
彼は思わず小箱を出してイヤホンを耳に押し込んだ
「あれは彼女の作り話よ 彼女はあなたを愛しているわ」
疑惑が生まれていた
*
課長:
今のような勤務態度では、他の社員にも悪影響を及ぼすと部長は言ってる
この調子じゃ、次の異動で遠隔地の出張所に行くことになるぞ
自分は、才能を信じて、思うままに仕事をしていたつもりだったのに
他人はそう受け取ってはいなかったのだ
小箱の声は助言ではなく、使う人間が嬉しくなるよう、おだてるだけの機械じゃないのか?
ただのリップサービスなのだ こんなものに乗せられて・・・
ルミはあれ以来、口をきこうともしない
彼は、ルミのデスクの引き出しに小箱とイヤホンを放り込んだ
彼女は使うだろう いい気になって破滅すればいい 彼は低く笑った
再び低姿勢の社員に戻り、ルミを観察していたが、小箱を使っているか分からないまま
彼女はどんどん魅力的になっていき、社内での人気は上昇しっぱなしだ
そして、ある日、会社を辞めた
連続テレビドラマの主役に抜擢され、彼女はマスコミの人気者になった
彼はすべてを忘れて、元の平凡で目立たない社員に戻った
以前の悪評が消えるまで何年かかるか分からないが、そうするほかないのだ
*
ルミはしばしば小箱を取り出して、うっとりと男の声に聴き入る
彼はこれでもかと賛美し、輝かしい未来を囁くのだ
広川はこのおだてに乗って、実行しようとしてダメになった
私はそんなことはしない 半分本気になれば、それでいい
女は褒められるうちに魅力が出てキレイになる
あの男には、これを使いこなす資格がなかっただけのことなんだわ
遠慮のない町
せっかくの休日の朝、高井の家に切手も差出人もない封書が届いた
中には地図とともに、手紙には
3ヶ月消息不明の山田の文字で
「助けてくれ 俺は今、
桃源市という所にいる
俺を助けたら、すぐに立ち去ったほうがいい」とある
山田とは同じ大学で、入学直後、旅行に行くといったまま音信不通になっていた
地図を調べると桃源市などという地名はない
まず1人行ってみて、様子次第で彼の両親に伝えたほうがいいと判断した
初めて乗るローカル線
で、山奥に向かう
山田は旅が好きだが、観光地はけして行かなかった
「俺はナマの人間と出会い、ナマの人間に立ちかえりたいんだよ」と言っていた
「
人間は本来、もっと生々しいはずだが、現代の複雑な社会では
ルールを守り、当たり障りないように生き、遠慮ばかりするクセがついた
俺は、きっとどこかに、何の遠慮もなく、それぞれが自分に忠実に暮らしている土地がある気がする
もしあったら、1週間でもいいから暮らして、ストレスを解放するつもりだ」
小さな駅に降りたのは自分一人で、桃源市に行くというと
駅員:
あれはあそこの連中が勝手に市だと言ってるだけで、とにかく変な奴らばかりだ
遊び半分ならやめたらどうだ
登り坂から見渡すと意外に大きな町が現れた
町の入り口には受付のような建物があり、2人の男が出て来た
「
ようこそ桃源市にいらっしゃいました お入りになるならこれをおつけ下さい
それをつけていると、よそから来られた大切にしなければならない人だとみんなにも分かるんですよ
出る際は回収するのでなくさないようにしてください」と黄色い羽根を渡された
立派なメインストリートを見て、あの駅員は偏見を持っているのだと思った
桃源ビジネスホテルに泊まることにして、フロントで山田のことを尋ねると知らないと言われた
メインストリートの誰もがすまなそうに「存じません」と礼儀正しく答える
裏通りに入ろうとすると1人の女に遮られた
「ここから先は私道なので通り抜けられないのです」
その裏通りも同様で、僕が自由に行き来出来るのは、最初の表通りだけだと気づいた
翌朝、延長したいというとフロントで拒否された
他の旅館をあたっても、黄色い羽根を見ると慇懃に断られた
外来者と分かるかぎりどこにも泊めてくれないのだろう
僕がこの町に入ったニュースが広がっているのではあるまいか
僕は羽根を道の脇に捨てて、町の奥へと歩き続けた
周囲が異様に騒がしい 商店も賑やかで、人々の往来も激しい
少年の投げたボールが頭に当たり、「返せよ、おっさん!」と言われて
バットを奪い取ると
「殴るなら殴れ! 遠慮するなよ!」と言われてやめた
「あんた、桃源市の新入りだろう? 荷物を持ってるからすぐに分かるよ
遠慮なんかしてるとここじゃのけ者にされるの さあ、早く殴って!」
僕は少年の頬を殴った
ミヤコと名乗るその女から食事に誘われ、食堂に入り、定食を一口食べると吐きそうになった
それでも無理やり食べて、山田のことを効くと
「知らないなあ でもここでは新入りに親切にすることになってるから、一緒に捜してあげる
新入りだよ! 勘定、払わないよ!」
「どうぞ、ご遠慮なく」
これは、かつて山田が言っていたナマの人間同士が何の遠慮もなく生きている場所そのものではないか?
彼はとうとう自分の求めていた土地を見つけたのだ だがなぜ助けを求めたのだろう
ミヤコは出たとこまかせに探したが見つかるはずもなく、今夜は自分の家に泊まれと言われて断ると
「じゃあ、あとは私、一人で探してあげるわ あそこの家に泊まれば? 頼んであげるから」
酔いも醒め、町のことを考えた
ここにはいろんな人が来るだろうから、いくら孤塁を守ろうとしてもムリだ
だからあの羽根を用意し、表通りでは礼儀をつくし、仮面に疲れるとここに戻るのだろう
山田が手紙を書いたわけが分かる気がした やはりこれでは辟易して耐えられなかったのだろう
自力脱出が不可能なまでに体が弱っているのかもしれない
ミヤコが来て
「見つかったわよ、あんたの友だち!」
外に飛び出し、もし山田を助けるとなれば、出来るだけ早くこの町を抜け出さなければならないと考えた
水辺に着くと、人々がふやけた水死体を取り囲んでいる 疑いなく山田だった
2日前から浮いていたという
ミヤコ:関わりのない死体を引き揚げたら、外の警察や新聞社とか来て、いろいろ聞かれてうるさいことになるでしょ
彼は僕を待ちきれず自殺したのではないか?
だが、彼が求めていた助けとはどういう行為だったのだろう 今となっては分からない
我に返ると、人々が山田の服を脱がせて、裸の死体をまた池に押し出し、遺体はゆっくり漂って行った
ミヤコ:誰も通報しないわよ 仮に外の連中が来ても、みんな知らないと言えば終わりでしょ
即刻この町を出て、警察に通報してやる 「僕は帰る」と言うと周囲はなぜかニヤニヤした
ミヤコ:
黄色い羽根を捨てたんでしょ みんな大抵そうするのよ
通行証は、この町の人間になりきった者にしか発行されない あんたにゃムリだよ
あんたが変な真似をしたら、あんたの友だちみたいになるわ
あの人はここに適応出来なくて逃げ出そうとしているのを知った誰かがそうしたのよ
抵抗すると、みんなの顔に殺すほかないという表情が浮かんだのに気づいた
ミヤコ:諦めたのね? その気になれば、ここはなかなかいい町よ
不承不承頷くと、周囲が一斉に怒鳴った
「その時計
もらうぞ わしはそれが欲しいんだ」
「俺はその上衣が欲しい」
ミヤコ:これであんた、一人前の桃源市民よ 当分、私が面倒をみてあげるから遠慮しないで
迷路の町
哲男は妻・フジコと風見半島を巡る予定だったが、もう4時半で、平浦市に着く頃は23時過ぎてしまうし
肝心の風見岬は夜で何も見えないから割愛して、平浦市に行こうと提案すると反対するフジコ
フジコ:
ここに風見町があるから一泊して、朝に半島巡りをすればいいわ
旅館が見つからなかったら車中で仮眠すればいいでしょ
フジコと議論すれば絶対に勝てないと近頃気づきはじめていた
これは結婚する前からだったのだ いつも言いくるめられ、意に沿うようにしてきた
なにか予期せぬ奇妙な事件に出くわすのではないか
これまでもそうした予感が何度も的中していたが、フジコには言わずに速度を上げた
たしかに海岸線はキレイだが、人家がほとんどない
峠の一番高いところに幾何学模様のような奇妙な建物がある 役場か?
予想外に近代的なビルが並び立ち、商店街がつらねているのに驚いた
駐車を待つクルマが200台以上並んでいる ナンバープレートは他府県が多い
こうなると旅館もとれないかもしれない
駐車場の整理をしている男が
「おたくも選手ですか? 競技に出ないなら早く通り抜けてください」
聞くとこの町を迷路に見立てた
迷路大会が開催されるという
町に入ろうとすると、
即製のバリケードがあちこちに作られていて、どうしても入れない
また駐車場に戻ってきてしまい
「大会が終わる明日の晩までは町に入っちゃいけないんだ!
旅館もどこも満員だ さっさと出て行ったほうがいいよ」
そこに役員のリボンをつけた青年が来た
「せっかくだから明日の大会に出場されては? 今夜説明会がありますし
上位入賞すれば、高い参加料や宿代を取り返して、お釣りがきますよ」
2人は大会に参加することにし、余分に金を払って交渉して町外れの宿もとれた
女将:
本当なら風見町に300人そこらは泊まれるんですけど、
町の中心部は競技が始まるまで参加者を入れてはいけないというものですから
女将が言うには、町の名家の跡取りである大和田が都会で成功し
家柄と財力をバックに、町を都会風に変えようとし、
大会のアイデアも彼の新しいもの好きなためだという
説明会にも委員長である大和田が挨拶した
来賓の挨拶もいわゆる
「地方ボス」だ
参加者には町の地図が渡された 明朝8時、神社に集合 8時半スタート 南のお寺がゴール
1チームあたり1万円が渡され、所定の買い物をする 1万円を超えると失格
売り上げは、協力してくれた町の人々に対する見返りにもなる
町の住民の手で自由にバリケードを張っているが、乗り越えたり、壊したりしても構わない
その代わり、下手をすれば、他の競技者の得にもなり得る
説明会の帰り道
フジコ:
何の予備知識もなく勝てると思う? 私たちは何も知らずに来て不利なのよ
お金を不当なほど払ってせっかく参加するなら、町がどんな具合がそっと見て調べてみましょうよ
どんなバリケードなのか見ておきたいのよ その程度の権利はあるはずだわ
反対してもだんだん説得される、いつもの通りだが、彼自身冒険したい気分になってきた
パイプ椅子や机をくぐって町に入ると、バリケードは木箱を積み上げたりして押せば崩れそうなものだと分かった
「おい」と声がして、男が手に棒を持って、怒りの表情で近づいて来る
2人は本能的に逃げた 足をとられて転んだ ロープが張られていたのだ
通りに出た途端、フジコは悲鳴をあげた 落とし穴に落ちたのだ 膝から下はドロドロになった
追っ手は10人近くになっている 前には有刺鉄線があり、死に物狂いで越えたが
服は破れ、あちこちから血が出た
その先は堀で、飛び降りると、中はコールタールで、それ以上は逃げられず
フジコは地面に座り込み、わあわあ泣き始めた
追っ手に古い家に連れてこられた
「どうして前の晩にこんな真似をしたんだ 飛び入りか?」
「我々は朝までに元通りにしなきゃならないんだ
」
「大和田は都会かぶれして、なんでもかんでも都会風にしようとしている
弁が立つし、名家で、金も持っていて反対も出来ない
だから、この機会に奴の面子を潰してやろうという計画さ
参加者がボロボロになれば、大和田に非難が集中し、恥をかかせれば一大打撃になるはずだ
どうせ迷路同好者協会なんて得体の知れない都会人の暇つぶし団体の連中だからな
とにかく、あんたらが荒らした所を朝までに修理しなければならない
このことを他の連中に知られてはまずいから、大会が始まる前に町を去ってもらいたい
言う通りにしてくれるなら、傷の手当もするし、汚れた服に代わるものもあげよう」
「カッコ悪いわ、こんな服 それに痛いわ」助手席でフジコはまだ文句を並べている
1時間ほど走ると、パトカー
がサイレンを鳴らしながらすれ違った
あのまま行けば風見町だ あの大会で大怪我をする者が出たか、騒動になったに違いない
哲男は不意に可笑しくなって声を立てて笑い続けた
【解説 小久保実 内容抜粋メモ】
眉村氏が婦人雑誌に、女性のSF読者について書いていたのを読んだ記憶がある
昔は少数派で、エキセントリックだったが、今はごく自然に読む女性が増え、男性読者を圧倒する勢いだという
試しに僕も、文学部の女子学生に眉村氏の選による
文庫本『幻覚のメロディ』を読ませて感想を聞いたら
とても面白いと一様に関心を持ち、これがSFだというと
「これもSFですか」と返ってきた
これを踏まえて、数冊を提示し、自由に選んでレポートを出してもらった
『百年の孤独』(タイトルが気になってたやつだ!)、『羊をめぐる冒険』(村上春樹)、
『四季』(中村真一郎)、『ぬばたまの・・・』(眉村卓)などなど
結果、『ぬばたまの・・・』について書かれたものが群を抜いて多く、
『羊をめぐる冒険』はたった1つだった
理由の大半は、読み出したら面白かったから、主題に共鳴したという感想で
SFに結びつけて読んだ者はごく少ない
そういえば、眉村氏も
「純文学と大衆文学に分類すること自体が文学のワクを小さくする」と批判したことがある
「我々の世界観や認識、日常の諸条件が著しく広く大きくなり、かつ変質しているのだ
その変質したものを真正面から受け止め、表現しようとする作品を、
昔からの分類基準で分け、評価出来はしない」
大事なのは、分類より、作品の質の良し悪しで、面白いか、つまらないかだ
(同感 アートは好きか嫌いかのどっちかだけでいいと思う
この『白い小箱』は、11の短篇をただ並べたのではなく、11篇により1つの世界を構築している
純文学の用語を使えば、いわゆる鮮烈な
「都市小説」だ
都市はますます巨大化し、人間の孤独、疎外、共同社会の崩壊、
物質主義は21世紀文学の主題だ
「都市小説」は、ひたすら幻滅、嫌悪に落ち込むが、眉村氏はそれを超越して書く
なんとか他人とのコミュニケーションを回復しようとする
「都市小説」が狭いワクの二次元とすれば、眉村氏はより広い四次元の文学 それを僕は宗教的という
これを味わえるのは、魅力的な書き出しの文章によるところが大きい
とくに短篇では、終わりまで書き出しの印象がつきまとう
その書き出しの真の魅力は、人間的であることだ
人間の復権への願いが、我々を強く惹きつける
そういうのだけが文学といえるのではなかろうか