花好き・旅好き80代北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり、今は外国行きは見合わせている。

私の住まい史(4)

2008年02月13日 | 暮らしと住まい・耐久消費財

 当時は、幹線道路は舗装されていたが、小さな田舎の一般道路はまだ砂利道が多かった。
 夏のある日、自転車で保育所に子どもを迎えに行き、やっと町外れの家に着いて後ろを振り返ると子どもがいない。
 驚いて引き返すと、途中の坂道の端で子どもがしゃがんで泣いていた。自転車が砂利にタイヤを取られてガタガタし、バランスを崩した時に、後ろの荷台にいた子どもを落としてしまったのだ。

 この事があってから、私も運転免許を取ることを決心した。
 夫や舅達には「危ないから駄目だ」と猛反対されたが、子どもを守り、共働きを続けるためには、私も車を持つ必要があると思ったのだった。
 自動車学校へは毎日仕事が終わってから通い、1ヶ月余りで無事に免許を取って中古の軽自動車を買った。
 それからの私は、夫に頼らずに通勤し、保育所に子どもの送り迎えをし、自分の好きな時に好きな所へ買い物などをしに行くことができるようになったし、もう子どもを落としてくる心配も無くなった。
 しかしその反面で、生活の大半の責任を、次第に私一人でしょいこむ事になって行った様に思う。

 当時、私が働いていた職場には公宅があった。転勤者が出て行くことになって空いた公宅の入居を何度か申し込んだが、いつも私は除外された。大抵、私よりも幾つも若い男性職員の家族が、入居することになるのだ。
 不審に思って上司に理由を聞いてみた。
 「家は世帯主に貸すことになっているから。」という答えが返ってきた。それならどうして初めに言ってくれないのかと憤慨した。
 確かに我が家も慣習的に夫が世帯主になっていた。しかし、小さい子どもを抱えているので、夫が働く隣の町に居住するより、私が働くこの町に居住する方が、保育所の事も含めて生活しやすい。上司にその事を説明しても埒があかなかった。

 私は町役場に飛んで行った。住民課の係に、世帯主を変えられるか聞いたのだ。
 すると「一般的には家族の中で、主に生計を担っている者が世帯主となるので、変更もできる。」とその職員は説明した。私と夫の所得はほぼ同じだったので、直ぐにその場で変えて貰い、その写しを証明として貰った。

 所が次の公宅の入居選考にも、私はまた漏れたのだ。改めて上司に理由を問い正したが、「特に理由はない。」とはぐらかされてしまった。
 明らかな男女差別だと私は大いに憤慨したが、当時は公宅の数が限られていたし、今よりずっと借家の住宅事情も悪かった中での出来事だった。


コメント
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