花好き・旅好き80代北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり、今は外国行きは見合わせている。

私の住まい史(9)

2008年02月21日 | 暮らしと住まい・耐久消費財

 57才になった頃から、退職後どのような生活をするのが良いか、あれこれ考える様になった。
 長い間働いて来たから、したくてもできなかったことが色々ある。それらを思い出し、定年退職後もやりたいかどうか考えた。

 一方、確かにマンションには、安全性、プライバシー、断熱性、快適性があり、交通も便利だが、何か足りないのだ。それが生き甲斐だった。一握りの自由にできる土地も無く、近所の人との交流も無かった。
 おまけに仕事をしている間は、職場で良い意味でも悪い意味でも多くの人達との人間関係があるし、なにがしかの自己実現もできる。また、適度に身体を動かすこともできるが、退職したらそれらは何も無くなってしまうのだ。
 色々考えた結果、やりたい事の一つが鮮明になって来た。それは園芸だった。自然と触れ合いながら身体を動かす事ができるし、種蒔きや苗から、毎日、植物の生長を観察して楽しむことができる生活に生き甲斐も見い出せそうに思った。

 当時住んでいたマンションの南側のベランダは、長さが5m、奥行きが1.41mあったので、プランターを40個近く並べて花やミニトマトを栽培していた。
 しかし、ベランダはどうしても風が強く乾燥しやすいので、上手く育つ花や作物は限られていた。また、1週間位家を空ける時には、枯れてしまわないかといつも心配だった。枯らさずに育てるにはやはり土地が必要だった。
 それでやっぱり土地付きの家を持とうと決心した。そしてまた、私の家探しが始まった。

 建て売り住宅を幾つも見たが、適当なものはなかったので、土地を探して建てることにした。
 庭を造るとなると、やはりある程度の広さが欲しいし、方位も問題だった。
 不動産情報を頼りにして札幌市内や近郊都市を色々と歩き回ったが、とうとう私の条件と資金に合う土地を探すことはできなかった。
 ほとんどの宅地は一区画60坪程度の広さしかなかったし、たまたま見つけた2区画続きの南面する土地の場合は、土地の価格だけで二千数百万円もしたため、それでは家の建築費がなくなる始末だった。

 ある時、新聞で、札幌の中心部に近いのに、安い土地の広告を見つけた。早速不動産屋に連絡して案内して貰った。何とそこは、藻岩山の標高200m位の場所にある土地だった。南面で眺望は悪くなかったが、私が車を運転できる間は良いとして、年を取ったら、到底そこまで毎日歩いて上り下りする事はできないと考え、断った。
 そうしたらその不動産屋さんが、まだ一般に公表していないという今の土地を紹介してくれたのだ。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする