「国民教育」の章には、次のように書いてある。
彼が勤めた仙台の東北帝国大学の生物実験室の隣に、大きな国民学校があった。部屋からは手に取るように校庭で遊ぶ子ども達の姿が見られたらしい。
「子ども達は、1時間に1回、校庭に出て来て、のびのび身体を動かす。そしてこの事は1日に何度も繰り返される。だから子ども達は学校嫌いにならないのだ。」
「子ども達には、落ち着きは全く見られない。日本の大人の見事な落ち着き振りは、年のせいではなくて克己心を叩き込まれたためなのだ。」と、彼は結論づけている。
26年も前の事になるが、私は1度、イギリスの小学校を見学した事がある。
その時、授業中ずっと、小学校低学年の子ども達が全く私語をしない事が不思議だった。
(その小学校は、ロンドンの低所得者が多い町にあった。1クラスに生徒十数人、教師1人、助手1人がいた。
生徒は自分の学習計画に基づいた勉強をするので、1人1人バラバラな科目を黙々と静かに勉強している。教師は全体に黒板前で説明をすることは1度も無く、子どもが小声で質問したら、答えを言わずに勉強方法を教えていた。)
私は、学校生活もそうだが、多分小さい頃から日曜日に行く教会のミサで、必要な時はじっとする教育を受けて来て、それが習慣となって身についているのだろうし、また家庭生活は大人が中心で、子どもの我侭な行動は厳しくしつけるのではと考えたのだが、本当はどうなのだろうか。
それに比べて日本の子ども達の落ち着きの無さは、彼をきっと驚かせたのだろうし、彼と出会う紳士達の振る舞いとの格差が不思議だったのだろう。
私も帰国後、子どもの父母参観で小学校に行った時、落ち着きの無い子ども達の姿が改めて強く目に写った。またそれよりももっと衝撃的だったのは、授業中教室の後ろに立っている母親達の遠慮が無い私語だった。私語をしていい時かどうかの判断ができない親に、落ち着いた子どもを育てる事は期待できないかも知れない。
「日本の大学は、ヨーロッパやアメリカの大学と十分張り合う事ができる。
現在5つの国立大学があるが、6つめの大学が朝鮮の首都ソウルに建設中である。」と当時の状況を書いている。
さらに「日本の大学の目的は、天皇が布告し、『国家にとって有益な学問の理論と実践を教え、各分野で独創的な研究を推し進める事、さらに学生の個性を発展させ、国家にとって健全な思想を育成すること』だ。」と書いている。
それに続いて、「教える側の自由はあるが、国の始まりについて紀元前660年からという事に批判的な意見を述べる事ができない奇妙な制約がある。」と言っている。
そして、「教わる側の自由は無いに等しい。」とも。
また、面白いことも見抜いている。
それは、「残念な事に眼鏡をかけている学生が多いが、中にはインテリ、学者を装うために眼鏡をかけている者がいることも確かだ。」と。
続けて、「こんなに近視が多いのは、小学校の頃から小さな込み入った文字を読み書きさせられるからだ。」と結論付けている。
確かに日本人は近視の人が多い。かって外国人は、カメラを持ち眼鏡をかけた人は日本人だ、と思ったそうである。
でも、彼が言うように文字(漢字)が原因なのだろうか。私は当時の照明や姿勢も大きいと思っているのだが、いかがだろうか。