「贈り物」
彼は繰り返し日本で体験したプレゼントについて、次のように述べている。
「日本人の贈り物の渡し方は洗練されている。人を訪ねても直ぐに贈り物の事を言わない。最後の最後になってから、どうでも良いことのように言う。
立派で高価な品物でも、つまらないものをお渡しする無礼をお許し下さいと言って詫びる。小奇麗な包装の右側にはのしと呼ばれる紙片がつけられ、大したものではないという事を伝えるのに粗品と書き入れる。」
「日本では色々な機会に贈り物を貰う。学生が研究室に来て帰る時に、さもホンのついでであるかのように贈り物を渡される。それは故郷の絵葉書、漆の箱、日本人形、風呂敷、もぎたての柿が入った小箱、有名な魚の燻製などである」と書いている。
観察の仕方が細かい事に驚くが、日本人が一寸した機会にするこのような贈り物の習慣を、彼は「感謝の気持ちを表す行為」と結論づけている。私も彼の見方に同感する。
また、私が思うには日本人の贈り物の仕方も、戦後、日本にアメリカ文化が入って来てから大分変わったと思う。
訪ねた人は、贈り物を早めに渡す。貰った側もその場で直ぐ開き、一緒に喜んだり食べたりするようになった。
そして最近は、送り手が「粗末なものですが‥」等と言ういい方をする事は、少ないのではないだろうか。
日本では、『粗末なもの』だと言って差し上げるのは、贈り物に対して相手に負担感を持って欲しくないと言う思いやりの心なのだが、西洋人の考え方に立つと、粗末だと判っているものを差し上げる事は、相手に大変失礼な事だ、となるのだ。
それにしても、日本人には贈り物癖があると言ってもいい位、現代は一層贈り物の機会が増えた。
古くからの歳暮、中元などの他、、各種の祝い事、果ては外国の習慣に同調した誕生日、クリスマス、バレンタインデー、結婚記念日などだ。
数え上げたら年中、何がしかの贈り物をしたり貰ったりしているが、それは今では人間関係を良くする潤滑油なのかも知れないと私は思う。
(実際にはバレンタインデーのように、商業者の販売戦略から始まり、あっという間に日本の文化となった不思議な事も多いのだが)