花好き・旅好き80代北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり、今は外国行きは見合わせている。

モーリッシュが見た大正の日本(5)

2009年10月12日 | 読書

彼は日本の文字については、
「西洋の文字はやさしいけれど、日本の子どもは四十八種のかなを習い、その後五百の漢字を墨と筆で書いて頭に叩き込む。アルファベットを日本でも取り入れたら、どんなに国語の授業が楽になることか」と。
また「逆さまの国」のところでは、「日本では水平に行を連ねて書くのではなく、垂直方向に書かれ、印刷されたものを、右から左に向って読む。」と、書いている。

その後、ローマ字を日本の文字にすることを考えた人もいたらしい。
私は、漢字というのは象形文字から発展してきて、1字の中に物の存在や様子、人間の感情まであらわす事ができる凄い力を持った文字だと思う。
だから今、人口13億人になろうとしている中国で、漢字の簡略化を進めていることを、私は一面では理解できても、せめて常用漢字は簡略化して欲しくないと思う。
3月に行った台湾でも、漢字を守ろうとしている事を知り、嬉しかった。
先月行った東ヨーロッパでは、どの国も幾多の戦争を乗り越えて来た歴史があるが、言語や文字は、民族の文化であり、存在そのものだと思った。
その意味でも私は、今後も日本語と漢字が大切に受け継がれて行く事を願いたいと思う。

また、植物学者の彼は、実に細かく日本の植物分布や農業、果樹栽培を観察して記録に残している。
次は「庭について」の中の一文である。
「日本の庭は、いかなるヨーロッパの庭とも本質的に趣を異にする。」
「ヒノキは日本の庭で大変重きをなす木であるが、庭では自然とは全く別の習性が与えられ、側枝がクッションのような形になるよう剪定されている。」
「松の木などは、今年出た新しい葉だけを残して後は全て切り落としてしまう。凝り性にも程があるというもので、こんな木はまるで散髪屋にでも行ったような顔をしている。」
「植物生理学の立場からすると、こんなお化粧ごっこは止めにするべきである。」
とまあ、日本人が樹木に施す自然とはかけ離れた剪定に驚き、ユーモアを交えながら苦言を呈している。

果樹の剪定は明治期に欧米から伝わった技術らしいが、庭木を剪定したり、盆栽にして楽しむのは日本人特有だと聞く。
私は、西洋やインドの公園で動物の姿に刈り込んでトピアリー仕立てにした木を見た事があるが、モーリッシュは見てなかったのだろうか。
私も生垣の剪定ならまだ判るが、余りにも極端に散髪された木には、違和感を感じる。

さらに彼の観察は続く。
「日本人は自然を愛するのに大変熱心である。彼らの熱狂振りは世界中に知れ渡っている。
彼らは例え一握の砂ほどの土地しかなくても、猫の額ほどの土地すら持たない場合でも、小さくてかわいらしい盆栽の樹木や岩や池や橋、石灯籠を陶器の盆に詰め込んで、庭のミニチュアを作る。」
その結果彼は、こうした日本人に特有な庭作りの原因を、小さくて狭い家、狭い庭がなせる事だと理解したようだ。
また、全ての植物には命が宿っているとして敬う日本人の自然観にも、その原因を見ていたようだ。

まだまだこの本には、研究熱心で、ジャーナリズムの精神に溢れた彼の異国日本に対する観察が続く。
私はこの本を読んで、関東大震災、伊勢神宮、宮中行事、サハリン紀行、富士登山などの記述から、当時の状況を細かく知る事ができたし、異国の彼の目を通して当時の生き生きとした日本人の生き様を知った。
また後書きを読んで、彼の偉大さも改めて知らされた。
今は、大変興味が持てる良い本に出会った事を亡きモーリッシュに感謝している。








コメント (2)
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