この本のタイトルは「植物学者モーリッシュの大正日本観察記」だが、私は前から比較文化論に関心があったので、図書館で見つけたのを借りて来た。
ハンス・モーリッシュは1856年、当時のオーストリア帝国(現在のチェコ共和国)に生まれ、ウイーン大学を卒業後、1909年、ウイーン大学の植物生理学主任教授となった。
1922(大正11)年9月から1925(大正14)年3月までの2年半、東北帝国大学に招かれて日本の学生達を指導した。
その間、日本のあちこちを旅行し、自然や気候風土を体験し、植生を調べ、当時の人々と交流しているが、その中で西洋と違う日本の独自な文化に大いなる関心を抱いたのだった。
そして帰国の1年半後にこの本を出版している。
帰国後はウイーン大学総長も務め、1937年81歳で死去している。
この本は、日本語に翻訳されて2003年に草思社から出版された。421ページの分厚い本である。
まだ半分しか読んでいないが、仕事の傍ら、当時の日本の社会、風俗、芸術などを細かく鋭く観察し、日本人の生活観、思想を理解しようとした大作である。
確か前に朝日新聞でこどもの日の特集記事が載っていた中に、「日本の国ほど子どもを大切に見守り、育てている国は無い。」というような事を、昔、言った外国人がいると書かれていたが、その人がこのモーリッシュだったのだ。
先ず、「逆さまの国」に書いてある事を紹介したい。
カンナの刃のつけ方、使い方が西洋と逆。のこぎりの刃先が後ろに向いているので、自分の身に引き寄せて仕事をするのが日本人だ。鉛筆の芯を研ぐ時、刃先を向こうに向けて持って削るのも逆だ。濡れた傘を閉じたら握りを下にしておくのが逆。売り子はつりの計算を引き算するが、西洋では足し算で出す。
手招きの仕方も逆だ、と続くが、日本の大工は先に屋根を仕上げてから壁や中を作るが、西洋では土台を作ったらその上に壁を積み上げて、最後に屋根をのせる、という下りについては、私は日本の材木と西洋の石材やレンガとの違いに触れていないのが不思議だった。建材の違い、降雨量の違いを見れば、なぜ逆なのかが判るはずなのにと思った。
日本の酒飲みを「左利き」と言うように、日本人は酒盃は左手で持つし、靴を履く時は左足から履く、と彼が言うのに至っては、私は彼の思い込みだと思うがどうだろうか。
また、日記を書く時、日本人は年→月→日と書くが、西洋では反対である。
手紙の宛名書きも、日本では町名→通り名→番地→受取人名だが、西洋は逆だ。
客をもてなす時、日本では1番上等な床の間の近くに主賓が座り、その家の主人は反対側の目立たない場所に座る。西洋では最も良い席に主人か主婦が座り、その隣に客を座らせるというように、実に細かく観察して彼なりの結論を出している。
今で言えば、彼は社会学者の目を持っていたのだと思う。
ハンス・モーリッシュは1856年、当時のオーストリア帝国(現在のチェコ共和国)に生まれ、ウイーン大学を卒業後、1909年、ウイーン大学の植物生理学主任教授となった。
1922(大正11)年9月から1925(大正14)年3月までの2年半、東北帝国大学に招かれて日本の学生達を指導した。
その間、日本のあちこちを旅行し、自然や気候風土を体験し、植生を調べ、当時の人々と交流しているが、その中で西洋と違う日本の独自な文化に大いなる関心を抱いたのだった。
そして帰国の1年半後にこの本を出版している。
帰国後はウイーン大学総長も務め、1937年81歳で死去している。
この本は、日本語に翻訳されて2003年に草思社から出版された。421ページの分厚い本である。
まだ半分しか読んでいないが、仕事の傍ら、当時の日本の社会、風俗、芸術などを細かく鋭く観察し、日本人の生活観、思想を理解しようとした大作である。
確か前に朝日新聞でこどもの日の特集記事が載っていた中に、「日本の国ほど子どもを大切に見守り、育てている国は無い。」というような事を、昔、言った外国人がいると書かれていたが、その人がこのモーリッシュだったのだ。
先ず、「逆さまの国」に書いてある事を紹介したい。
カンナの刃のつけ方、使い方が西洋と逆。のこぎりの刃先が後ろに向いているので、自分の身に引き寄せて仕事をするのが日本人だ。鉛筆の芯を研ぐ時、刃先を向こうに向けて持って削るのも逆だ。濡れた傘を閉じたら握りを下にしておくのが逆。売り子はつりの計算を引き算するが、西洋では足し算で出す。
手招きの仕方も逆だ、と続くが、日本の大工は先に屋根を仕上げてから壁や中を作るが、西洋では土台を作ったらその上に壁を積み上げて、最後に屋根をのせる、という下りについては、私は日本の材木と西洋の石材やレンガとの違いに触れていないのが不思議だった。建材の違い、降雨量の違いを見れば、なぜ逆なのかが判るはずなのにと思った。
日本の酒飲みを「左利き」と言うように、日本人は酒盃は左手で持つし、靴を履く時は左足から履く、と彼が言うのに至っては、私は彼の思い込みだと思うがどうだろうか。
また、日記を書く時、日本人は年→月→日と書くが、西洋では反対である。
手紙の宛名書きも、日本では町名→通り名→番地→受取人名だが、西洋は逆だ。
客をもてなす時、日本では1番上等な床の間の近くに主賓が座り、その家の主人は反対側の目立たない場所に座る。西洋では最も良い席に主人か主婦が座り、その隣に客を座らせるというように、実に細かく観察して彼なりの結論を出している。
今で言えば、彼は社会学者の目を持っていたのだと思う。