《我が家からフランスへ》
30日、フランスから無事に帰国したが、今回はパソコンが不調で、旅の記録が思うようにできないかも知れない事をお断りしておきたい。
出発日の22日早朝、外を見たら、道路に7~8cmの積雪があった。
その状態ではスーツケースが雪に埋まり、引っ張れないので、歩いて数分で行ける距離をタクシーを呼んでJR駅迄行き、新千歳空港で友人と合流。
旅行会社の担当者から成田までのチケットを受け取り、8時10分発のJAL成田行きの飛行機に乗った。
成田では11時20分に南ウイングの○カウンターで添乗員さんに会い、ルフトハンザ航空のミュンヘン行きと、さらにスイスのニースまでの乗り継ぎチケットを受け取った。
ルフトハンザはANAと共同運航しているらしく、ANAカードを出してポイントを入れてもらった。
その後、搭乗の安全検査を受け、13時20分発の機上の人となった。
今回は昼の飛行だったので、離陸後12時間25分、広大なロシア上空を通って地球の回転と逆方向に飛ぶので、何処まで行っても日が暮れず、はるか下の景色をたっぷりと楽しむ事ができた。
ロシアの大地は、まだ雪で閉ざされ、幻想的な雰囲気を漂わせていた。(写真①②)
(かって東西冷戦時代には、日本からヨーロッパに行くには、アラスカのアンカレッジ経由か、南回り経由で行くしかなかった。今ではロシア上空を飛行できるようになり、しかも昼間の明るい時間に飛ぶ事ができるのはとても感慨深いものがある)
① ②
ミュンヘン時間17時45分に着陸。ようやく夕闇が降りて来たところだった。
そこから中型の飛行機に乗り換え、20時50分発でフランスのニースに向った。
1時間25分飛んで地中海に面したニースの町の空港に到着した。
スーツケースを受け取ってバスに乗り、ホテルのある隣町カンヌに着いた時には既に23時になっていた。
(カンヌは、毎年カンヌ国際映画祭が開催される町である。若い頃の私はアランドロンが好きだったが、彼はかってこの町でスカウトされたという。彼の人間関係を知る内に、私は次第に嫌いになったのだが)
フランスは日本との時差がマイナス8時間なので、この日は1日が24+8=32時間という長さとなり、やはり疲れた。
家を出てからカンヌのホテルまで20時間弱かかったが、その内、3つの航空機に乗っていた時間は、合わせて16時間を越えた。
ホテルで汗を流し、明日着る衣類と手荷物を整えてからベッドに入った時には、翌日の1時を過ぎていた。
30日、フランスから無事に帰国したが、今回はパソコンが不調で、旅の記録が思うようにできないかも知れない事をお断りしておきたい。
出発日の22日早朝、外を見たら、道路に7~8cmの積雪があった。
その状態ではスーツケースが雪に埋まり、引っ張れないので、歩いて数分で行ける距離をタクシーを呼んでJR駅迄行き、新千歳空港で友人と合流。
旅行会社の担当者から成田までのチケットを受け取り、8時10分発のJAL成田行きの飛行機に乗った。
成田では11時20分に南ウイングの○カウンターで添乗員さんに会い、ルフトハンザ航空のミュンヘン行きと、さらにスイスのニースまでの乗り継ぎチケットを受け取った。
ルフトハンザはANAと共同運航しているらしく、ANAカードを出してポイントを入れてもらった。
その後、搭乗の安全検査を受け、13時20分発の機上の人となった。
今回は昼の飛行だったので、離陸後12時間25分、広大なロシア上空を通って地球の回転と逆方向に飛ぶので、何処まで行っても日が暮れず、はるか下の景色をたっぷりと楽しむ事ができた。
ロシアの大地は、まだ雪で閉ざされ、幻想的な雰囲気を漂わせていた。(写真①②)
(かって東西冷戦時代には、日本からヨーロッパに行くには、アラスカのアンカレッジ経由か、南回り経由で行くしかなかった。今ではロシア上空を飛行できるようになり、しかも昼間の明るい時間に飛ぶ事ができるのはとても感慨深いものがある)
① ②
ミュンヘン時間17時45分に着陸。ようやく夕闇が降りて来たところだった。
そこから中型の飛行機に乗り換え、20時50分発でフランスのニースに向った。
1時間25分飛んで地中海に面したニースの町の空港に到着した。
スーツケースを受け取ってバスに乗り、ホテルのある隣町カンヌに着いた時には既に23時になっていた。
(カンヌは、毎年カンヌ国際映画祭が開催される町である。若い頃の私はアランドロンが好きだったが、彼はかってこの町でスカウトされたという。彼の人間関係を知る内に、私は次第に嫌いになったのだが)
フランスは日本との時差がマイナス8時間なので、この日は1日が24+8=32時間という長さとなり、やはり疲れた。
家を出てからカンヌのホテルまで20時間弱かかったが、その内、3つの航空機に乗っていた時間は、合わせて16時間を越えた。
ホテルで汗を流し、明日着る衣類と手荷物を整えてからベッドに入った時には、翌日の1時を過ぎていた。