《ノルマンデイ地方-モン・サン・ミッシェル》
ロワールの城を見学した後、その日はトゥールで宿泊をした。
翌朝、トゥールから291km北北西のモン・サン・ミッシェルに向ってバスは走った。
休憩を入れて4時間半かかって到着した。
先ず近郊のレストランで昼食を食べてから、世界遺産、モン・サン・ミッシェルに向った。
モン・サン・ミッシェルは、708年にノルマンディの大司教が「この島の頂上に礼拝堂を作れ」という大天使ミカエルのお告げを受け、イギリス海峡に面した小島の岩山の上に作った修道院だと言われている。
巨大な建造物なので、数百メートル手前で全員バスを降り、全景をカメラに収めてから傍の駐車場に行った。①
駐車場でバスを降り、入り口から中へ入った。
入り口の門は、砦のように堅固にできていた。②
門に続く通りの両側には、みやげ物店やレストランが並んでいた。③
①
②
③
やがて上へ上る狭く急な階段を260段ほど上り詰めると、④ 高さ80mの岩の上に教会が建てられていた。
その尖塔を見上げると、大天使ミカエル(フランス語ではミッシェル)の像が点のように小さく見えた。⑤
その姿は、教会の中の実物大のレプリカで見る事ができた。その3mの高さの像は、貴公子のような雰囲気の天使が悪魔の化身、龍を退治する姿だった。⑥
④
⑤
⑥
私たちは教会の中に入り、上層から中間層、そして下層と見学した。
上層には列柱に囲まれた中庭があり、その回廊は修道僧の祈りと瞑想の場所だった。⑦
60人も入れる大きな食堂があったが、近年は修道僧が十数人と激減し、別の小部屋を使っているという話だった。
世界的に有名なこの教会にも、今や後継者不足という現代的な問題が起きているらしかった。
門を出てから、モン・サン・ミッシェルを振り返って見た。⑧
こんなところに堅固な修道院を建てた当時の建築技術の素晴らしさと、教会の権力に私は改めて思いを馳せた。
ただ、「神のお告げ」にはどう考えても疑問が残る。
多分、大司教自身がこの地を見て礼拝堂の建設を思いつき、その記憶が基で夢を見たが、膨大な建築費、労力がかかる事でもあり、周りを納得させる方法として「神のお告げがあった」と言ったのではと、私は勝手に想像するのである。
⑦
⑧
見学後、360kmの距離を5時間かけて首都パリに行った。
ホテルに着いた時は20時半で夕食も遅かったが、その夜は遠いモン・サン・ミッシェル迄行って来たという満足感に浸ったのだった。
ロワールの城を見学した後、その日はトゥールで宿泊をした。
翌朝、トゥールから291km北北西のモン・サン・ミッシェルに向ってバスは走った。
休憩を入れて4時間半かかって到着した。
先ず近郊のレストランで昼食を食べてから、世界遺産、モン・サン・ミッシェルに向った。
モン・サン・ミッシェルは、708年にノルマンディの大司教が「この島の頂上に礼拝堂を作れ」という大天使ミカエルのお告げを受け、イギリス海峡に面した小島の岩山の上に作った修道院だと言われている。
巨大な建造物なので、数百メートル手前で全員バスを降り、全景をカメラに収めてから傍の駐車場に行った。①
駐車場でバスを降り、入り口から中へ入った。
入り口の門は、砦のように堅固にできていた。②
門に続く通りの両側には、みやげ物店やレストランが並んでいた。③
①



やがて上へ上る狭く急な階段を260段ほど上り詰めると、④ 高さ80mの岩の上に教会が建てられていた。
その尖塔を見上げると、大天使ミカエル(フランス語ではミッシェル)の像が点のように小さく見えた。⑤
その姿は、教会の中の実物大のレプリカで見る事ができた。その3mの高さの像は、貴公子のような雰囲気の天使が悪魔の化身、龍を退治する姿だった。⑥
④



私たちは教会の中に入り、上層から中間層、そして下層と見学した。
上層には列柱に囲まれた中庭があり、その回廊は修道僧の祈りと瞑想の場所だった。⑦
60人も入れる大きな食堂があったが、近年は修道僧が十数人と激減し、別の小部屋を使っているという話だった。
世界的に有名なこの教会にも、今や後継者不足という現代的な問題が起きているらしかった。
門を出てから、モン・サン・ミッシェルを振り返って見た。⑧
こんなところに堅固な修道院を建てた当時の建築技術の素晴らしさと、教会の権力に私は改めて思いを馳せた。
ただ、「神のお告げ」にはどう考えても疑問が残る。
多分、大司教自身がこの地を見て礼拝堂の建設を思いつき、その記憶が基で夢を見たが、膨大な建築費、労力がかかる事でもあり、周りを納得させる方法として「神のお告げがあった」と言ったのではと、私は勝手に想像するのである。
⑦


見学後、360kmの距離を5時間かけて首都パリに行った。
ホテルに着いた時は20時半で夕食も遅かったが、その夜は遠いモン・サン・ミッシェル迄行って来たという満足感に浸ったのだった。