《コッツウオルズの小さな村》
アフターヌーンティーの後は、バスでコッツウオルズ地方に向かった。
雨が降り、風もあったが、先ず廃墟と化した『スードリー城』の庭園に行った。
ここはイングランド王室史上最高のインテリだったというヘンリー8世王の6人の妻たちが暮らした古城だが、市民革命時に破壊されてしまったという。
残っていた建物部分が博物館になっていて、6人の妻を表した人形などが展示されていた。
1人目 キャサリン・オブ・アルゴン
スペイン出身、最初はヘンリー8世の兄と結婚したが、兄の死去後、持参金を持ち去られたくないためという理由もあって1509年王が結婚。生まれた2人の男児は直ぐに死亡した。最後にメアリー一世を生んだが、男児を望む王は1533年離婚した。
やがてメアリーはエドワード6世の死後、イングランド初の女王に即位した。在位1553年7月~1558年11月。
2人目 アン・ブーリン
1人目の侍女でスペイン出身。王は結婚を認めなかったローマカトリック教会から離脱し、イギリス国教会を設立して1533年結婚した。後のエリザベス1世を生むが、男児でなかったのを理由に王は離婚したかった。しかし応じないので1536年にロンドン塔で処刑された。
3人目 ジェイン・シーモア
1536年、王はアン・ブーリンの侍女だった彼女と結婚。後のエドワード6世を生むが、1537年病死した。
4人目 アン・オブ・クレーヴズ
オランダ人。1540年結婚したが、結婚前に見た美しい肖像画と大違いだったので、6ヵ月後に離婚された。
5人目 キャサリン・ハワード
1540年結婚したが、恋人がいたため1542年処刑された。
6人目 キャサリン・パー
1543年結婚。学識が豊かだった彼女は自身も4回目の再婚となる王との結婚をしぶしぶした。1547年王が死去すると、恋人と結婚した。
写真左は、「ヘンリー8世王」と「エリザベス」 右は、6人の妻の人形。
右端は1人目の「キャサリン・オブ・アルゴン」。2人目の「アン・ブーリン」は確か後ろに居て手前と重なり、写真に撮れなかった筈だ。
広大な庭には城の残骸部分が残っていて、「華麗な王女たちの夢の跡」を感じた。同時に絶対権力を持つ王は、どんな屁理屈もつけられるし、堂々と妻の殺害もできたのだと再確認した。
私は子どもの頃、もし生まれ変わることがあったら、高貴な身分の家柄に生まれたいと思ったことがあったが、その後、高貴な家柄だった故に不幸になった女性も多かったのだと知ることになる。王にとってこの数人の妻たちは、人間ではなく、単に跡継ぎを生むための道具に過ぎなかったのだろう。
庭の奥に、刈り込まれた樹木で囲われた「秘密の花園」と名づけた庭園があった。つる薔薇が植えてありベンチもあった。恐らく彼女たちにとってこの庭を散策する時間は、唯一、心が癒される時間だったに違いない。
次にコッツウオルズの小さな村2つに行き、散策しながら静かな田園風景を味わった。