花好き・旅好き80代北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり、今は外国行きは見合わせている。

中国「武陵源」の旅(5) 『普光禅寺』『土家風情園』

2012年06月02日 | 海外旅行「中国Ⅲ」西安、シルクロード、七彩山・武陵源

《観光3日目の午前中ー『普光禅寺』『土家風情園』》
旅行4日目(観光3日目)の朝、1人で早めに食堂に行くと、昨日テーブルで会話した韓国の方達がいつの間にか右の隣席に来ていた。すっかり旅友気分で食事した。
すると見知らぬ韓国人の若夫婦が左側に来た。夫君は日本語を少し勉強しているらしく私に話しかけて来た。
「このホテルには韓国人が沢山いますが、日本人は少ないです。ここは韓国では有名ですが、日本では知られていないのですか。」というのだ。私は「まだ余り知られていない事もありますが、何より去年の津波災害で、まだ立ち直っていない人が沢山います。」と答えると、「日本の放射能は、まだ危険なのでしょう?」と聞いて来たので、「危険箇所は今ではもう福島県の一部だけです。他は大丈夫ですから、是非美しい日本にも来て下さい。私は北海道ですが、大勢の中国人が来ていますよ。」と言った。
短時間だったが、隣国の旅行者と触れ合えて良かったと思った。

食後、またホテル近辺を散策した。漢方薬局、日用品店を覗いて見た。交通量が多い道路の両側には、街路樹としてタイサンボクの木が植えられ、大きい白い花が沢山咲いていて北国の私には珍しかった。

8時半に観光3日目の出発をした。午前中は張家界の市内観光だった。
最初に向かったのは張家界市の中心部にある『普光禅寺』だった。
ここは300年前の1413年に清朝時代の皇帝が建てた寺だ。ガイドの説明では、いつかは滅ぼされるという夢を見た皇帝が、自分の敵になる土地を探し当てた所、ここに寺を建て、自分よりも強い者が出ないように祈ったのだそうだ。張家界の寺の始まりはそんなものだったと言っていた。
隆盛時には寺80箇所、僧侶200人が居たらしい。良く見ると300年の年月を経た威厳が感じられる寺だった。

   

   

次は『土家(トゥチャ)風情園』だった。
そこは土家族の王が建てた木造の城『土司城』で、土家族の祭祀、行政、祈祷、祝賀行事を行って来た民族の聖地らしい。
私たちが入り口に向かうと門の横の高床式の建物からラッパと太鼓が鳴らされ、民族衣装を着た娘たちの歓迎の歌と酒で迎えられた。
『土司(ツシ)城』内に入ると城には白龍が配してあった。屋根から落ちる雨水を金色の亀と蛙の造形物が受け止めていた。水を大切にすると金持ちになるという言い伝えを表すそうだ。
内部には当時の手の込んだ木彫細工の額や生活用品などが展示されていた。
また、土家族の娘が結婚する時に、寝室で家族との別れを悲しんで3日間泣き暮らす習慣を劇風に見せてくれた。それには泣き屋も雇われたそうだ。
女性が身につける銀製品が有名だが、最上階には銀製品店もあった。
 
   

  

            

現在、中国の最大の民族は漢族である。しかし、かっては多数の少数民族が全土に住んでいた。彼らは戦いを好まず、軍事的にも弱小だったため、次第に国の南部や西部の険しい山岳地帯に追いやられて行ったのだ。今統計上は国内に55の少数民族がいて、それぞれ伝統を受け継ぎ、ある民族は今でも自給自足に近い生活をして暮らしているのである。
こうした事実に触れると、電気、ガソリン、多くの機械や近代産業の恩恵を受けて暮らしている私は、いつも驚きと疑問を抱く。しかし、そこに人間の原点を見る思いがして尊敬してしまうのである。彼らの民族的な生活は、いつまで守り続けて行けるのだろうか。 

※枠で囲まれている写真をクリックすると拡大します。

もう1回分の最後の報告は、イギリスから帰国後に掲載します。sonata

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中国「武陵源」の旅(4)

2012年06月02日 | 海外旅行「中国Ⅲ」西安、シルクロード、七彩山・武陵源

今日夕方の飛行機で成田に行き、一泊後明朝、イギリス10日間の旅行に出かける。
今回は友人と一緒にツアーに参加するが、もう少しで薔薇が開花し出すので、その毎日の手入れのためにこの日程より遅くすることができなかったのだ。
それで中国から帰国後は、毎日庭仕事に励んだ。草取りをし、薔薇の油虫をつぶし、インゲン豆に竹の支えを立て、育てて来たレタスの苗を植え、小松菜やホーレンソウの間引きなどをした。
帰国は12日の予定である。

《観光2日目ー張家界から武陵源の③『黄龍洞』の鍾乳洞観光》
早く目が覚めたので6時半に朝食会場に行った。韓国人のツアーグループが100人以上、すでに食事をしていた。私が大きい円卓で1人で食べ始めたら、数人の韓国人が私のテーブルに座り、タッパーから韓国のりを出して食べ始めた。「韓国のりは美味しいですね。」と話しかけると「どうぞ。」と勧められたのでもらった。中に日本語が分かるガイドがいたので「日本で毎日、韓国ドラマを見ていますよ。」などと少し話しをした。(ちなみに日本人は私たちのグループだけだった)

食後、ホテル近くの商店街に行って2~3の店を覗いた。キウイフルーツの原産地が張家界なので、お茶屋でそのジュースを2缶買った。
2日目の観光は8時半にバスでホテルを出て、武陵源の東の端にある『黄龍洞』に向かった。
この鍾乳洞は広さが10万㎡あり、アジアで2番目の規模の鍾乳洞だという。(私が「1番目はどこにあるのか。」と聞くと、ガイドは「中国にあるまだ公開されていない鍾乳洞だ。」と言った)
入り口から中に入り、暫く歩いて見た後、遊覧船に乗って鍾乳洞内を流れる川を往復した。空間が大きな広間になっているところが複数あったし、4階建ての鍾乳洞の上に行き、全体を眺めるには500段の階段を上ると聞いて、私は遠慮した。

  

             

次に総合民芸品店に連れて行かれた。竹繊維のタオルや頭巾、練り歯磨きなどの商品のデモンストレーションがあった。
竹繊維がいかに綿よりも吸湿性が優れているかを水に浮かべて見せた。竹繊維は直ぐに水に沈んだが、綿は浮いた。私は脱脂していない真綿を使ったのだと思った。何とも怪しげな実験だった。また、竹繊維の布を醤油と植物油で汚し、水で洗い落とすという実験もあったが、植物油はともかく、醤油は水溶性なのでどんな繊維に付着しても水で落ちるのが普通なのに変だなと思った。

昼食後は武陵源の西端にある『黄石サイ』の観光だった。
標高1200mの展望台まではロープウエイで登るのだ。
ロープウエイの乗り場に向かう途中、みやげ物屋が並んでいた。店の入り口で遊んでいる子どもがいた。
店を抜けると田園風景が見え、水田に農薬を散布しているらしい農民がいた。私が農薬を扱う時には、眼鏡、マスク、帽子、手袋、長袖、長ズボンで完全防備をするが、彼はそうは見えなかった。少し行くと大きくて立派な水車が回っていた。ここには中国の変わらぬ農村風景があった。

   

上の建物の最上階からは、張家界の全景を眺めることができた。しかしここでも1つの狭い展望台の上が写真撮影をする商売人に独占されていて不快だった。
警察の派出所の前で、民族衣装を借りて写真を写している女性たちがいた。

  

         

ロープウエイで下に下りた後、深い渓谷が続く『金鞭渓』を1時間半散策したが、下から見上げる石峰も迫力満点だった。
石峰の表面は、もろく崩れやすい状態なので、この景観もやがて少しずつ風化して変わっていくに違いないと思った。

  

 ※枠で囲まれている写真をクリックすると拡大します。

コメント (3)
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