花好き・旅好き80代北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり、今は外国行きは見合わせている。

北海道胆振東部の地震、3日間の私の体験(1)

2018年09月08日 | 社会・事件・ニュース

私は2階のベッドで寝ていた。突然強烈な揺れに襲われて飛び起きた。枕元の携帯から「緊急地震速報」が伝えられたのは数秒後だったと思う。
今までの人生で経験した事が無い強さの地震だったので、直ぐに電気を点け、時刻を見た。夜中の3時8分過ぎだった
それから階下の状況を点検しようと階段を手すりに掴りながらゆっくり下りて、居間から状況を点検した。
薄型のTVは倒れていなかったが、食器戸棚のマグネット式開き戸が1箇所開いて、頭が重い「ワイングラス」が2個と砂糖壷が飛び出し、砂糖や破片が散乱していた。TVを点けたら震源は胆振地方だと告げていた。震源に近い町は震度7、我が町は震度5強だと分かった。

スリッパを履いて、割れたグラスのカケラを片付けようとしていたら、突然電気が消えた。これが長い停電の始まりだとは予想もしなかった。
真っ暗な中で、慌ててマッチを探して点けようとしたら、マッチ箱を台所の洗い桶に落としてしまった。濡れたのでもう駄目かなと思ったら、何とか点いた。
それから仏壇の引き出しから蝋燭を探して点け、消えないように注意しながらベッドに戻った。
この時点では、懐中電灯をしまっている場所を直ぐには思い出せなかった。

翌朝、TVも冷蔵庫もガス湯沸かし器もトイレのリモコンも電気が無いので使えなくなっていた。勿論、固定電話もパソコンなども使えない
しかし、私の町は水は出た。ラッキーだった
また、幸いに我が家は、調理台はガスにしてあったので、停電になっても調理はできた
何とかある食材で朝食を済ませて、庭仕事をした。

隣家の奥さんと出会ったので、「酷い地震だったけど、大丈夫でしたか。」などと話した。
すると「さっき、コンビニに行って来たけれど、大勢の人が詰め掛けていて、もう何にも無かった。」「ガスのカセットコンロがあるけど、カセットが無いので買いに回ったけれど、全て売り切れていた。」と言う。
我が家でストックしてあったカセットガスを2本届けた。こんな時は、近所のつながり、助け合いが大切だと思った。

そうしていたら、市の広報車が「今日は停電で信号機が作動しないため、ゴミの収集を止めます。」と知らせていた。
近所の人が来て、「午後から水が出なくなるかも知れないらしいよ。」と言うので、浴槽とバケツ、空のペットボトル、鍋に水を入れた。トイレを流すのにも水が必要だからだ。(しかしこの直後に携帯ラジオで知ったのだが、これは誤報だった)

8時に塗装工事に来た職人が、「古い家の壁が剥がれ落ちていたし、街路樹が倒れていて、道路が通れなくなっている所があった。また交差点の信号機が点かないので恐ろしかった。」と話してくれた。

大きな余震が来るかも知れないと言うので、使うものだけ出して、食器戸棚の取っ手を紐で縛りつけた。TVもぐるりと紐を渡して縛り付けた。安心できる様になるまで、2週間程度見た方が良いらしい。

 

「ソーラー発電」と「手巻き式自家発電装置」が付いている「携帯ラジオ」があったので、それで情報を集めた。
震源に近い所で大規模な土砂崩れが発生して、家が倒壊し、死者、行方不明者が出ていると伝えていた。(既に死者は20人を越えたらしい)
水道が止まっている地域も多く、停電も全道に広がり、長引きそうだ
JR,千歳空港、バスは全部運休だそうだ。学校も大半が休校、ガソリンスタンドで開いている店は〇〇だとか、救急患者を受け付けているのは〇〇病院だとか知らせていた。
懐中電灯を見つけたが、大型のは壊れていて使えなかった。旅行時に携帯する小型の懐中電灯は正常に使えた。
また知人が小型ライトを貸してくれた。これで電灯は確保できた。

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