花好き・旅好き80代北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり、今は外国行きは見合わせている。

北海道胆振東部の地震、3日間の私の体験(2)

2018年09月09日 | 社会・事件・ニュース

夕方に近づくと、ラジオが各地域の「緊急避難所」の場所を伝えた。家の傍の「公民館」が入っていた
大きな余震が起こる可能性があるというので、明るい内に夕食を済ませ、タオル、バスタオルを持ち、戸締りをして「公民館」へ出かけた。

既に50人ほどの人が来ていた。発電機を動かして明かりを確保していた。
受付を済ませ、毛布と寝袋が入った袋を1つずつ渡され、それを早速空いた場所に広げて、貴重品が入ったショルダーバックを枕にして寝ようとした。
しかし、小さな子どもたちが興奮してはしゃぎ、走り回り、大声を出したり泣いたりするので中々休めない。体験上、イギリスの子供なら、こんな時は静かにできるのにと思った。

食事を採っていない人には、レトルトの「チキンライス」が配られ、お湯が用意されていた
22時になって大広間の電気が消されると、子供達もようやく静まり、私もいつの間にか寝入ったらしい。
朝5時に目が覚めた。まだ多くの人が寝ていたが、そっと抜け出して家に帰った。

二日目の夜も家や戸外は真っ暗なので、夕食を済ませてから「公民館」に行った
今度は暇つぶしの「クロスワードパズル」と「アイマスク」を持って出かけた。
その日は、食事代わりに菓子パンが置いてあった。避難者は、昨日の半分位だった。電気が来た一部地域の人が来なかったらしい。

疲れたので早めに「アイマスク」をして寝ていたら、22時前に「電気が来た!」と言う声がした。43時間振りで電気が来たのだ。街灯も点いた。
私は家が心配なので帰宅した。
何とTVと2部屋の電気が点いていた。

各部屋を点検し、それ迄「圏外」で繋がらなかった携帯電話に充電して、やっと妹と娘にメールが繋がった。
電気が無ければ、文明の利器も何にもならない事を知った。
23時半過ぎに自分のベッドに横になったら、避難所とは違って凄くソフトな感触に驚いた。催眠薬を飲んでいつの間にか寝込んだ。

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