≪インスブルックという街≫①
標高2000mを越える山々で囲まれているこの街の名は、1964年と1976年と2度、冬季オリンピックが開催された場所として世界中に知られている筈だ。面積は新潟県ほどしかないが、12世紀に「イン川」河畔にできた集落が発展してできた街で、特に13世紀に始まった「ハプスブルグ王朝」の15世紀の「マクシミリアン一世」の統治下で発展した。(1493年、マクシミリアン一世は神聖ローマ皇帝に即位している)
ドイツ、スイス、イタリアの国境に近く、古くから交通の要所としても発展して来た。
先ず、街を南北に貫く「マリアテレジア通り」をバスで北に向った。途中に「マリアテレジア」時代に造られた小さな「凱旋門」があったが、工事中で覆われていた。
間も無く旧市街に入ってバスから降り、「ヘルッオーク・フリードリヒ通り」に到着すると、目の前に大理石でできた高さ13mの「聖アンナ記念柱」が建っていた。1704~1706年にバイエルン軍を撃墜した日が「聖アンナ」の日だったので、その記念に建てられたという。
写真を写してから、今度は市庁舎横に火のみやぐらとして建てられたという地上33mの「市の塔」を見た。16世紀の物としては立派な物だった。
次いで小路を抜けた所に「宮廷教会」(写真左端の建物)と山を背景にした「王宮」があった。
「宮廷教会」はフェルナンド一世の命で16世紀に建てられたもので、国内最大規模の王室の霊廟らしかった。
また、1460年に建設された「王宮」は18世紀の「マリア・テレジア」の時代に豪華な「ロココ調」に改築されたという。
絢爛豪華な「王宮」の内部も見学したが、撮影は禁じられていた。
「王宮」を出ると直ぐ裏に有名な「黄金の小屋根」、今は「マクシミリアン博物館」となって公開されている建物の前に出た。
元は1420年にフリードリヒ4世がチロルの住居として建てたものだったが、1500年にマクシミリアン一世が目の前の広場で行われる舞踏会などを見学するために「桟敷席」を設けたのだという。
小屋根の2657枚の銅板には全て金箔が貼られて光り輝き、500年経ってなお、当時の王室の権威と財力を誇示いていた。(2、3枚目の写真の奥に「黄金の小屋根」が見える)
現在は市民が結婚届をする場所になっていて、その後、結婚式を行う会場としても使われているという。
結婚届けにも結婚式にもほとんどお金がかからないので、外国から来るカップルも多いそうだ。現地ガイドに「日本人もどうぞ。」と言われたが、参加者はほとんどが熟年者なので、孫世代なら新婚旅行を兼ねてそれも良いかもと思った。
現地ガイドの説明を聞いていたら、丁度結婚届を出し終えたカップルと親族らしき人達数人が出て来た。カップルが注がれたワインを飲み、待っていた特別仕立ての車で去って行った。
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絵かきが欧州に行きたがるのが、よ~く分かります。
教会の尖塔と険しい山並み……!
石造りの秩序のある街並み……!
自然に取り囲まれた牧歌的な村の光景……!
日本にもかっては沢山あったのですが……?
今回も紀行レポートありがとうございました。
早速のコメントを有難うございます。
良い街でしょう!欧州には中世どころか紀元前の遺跡も多いですね。木材よりも石材が多く取れるので、凄く長い年月、形を維持できるんですね。
対する日本の木造家屋は火や雨に弱いから、直ぐに壊して新築したがる。街の景観がしょっちゅう変わりますね。
それに長持ちする石造りは原価償却費が物凄く安いから、古いものを維持した方が有益だという社会的な合意があるみたいですね。
欧州には、ノスタルジアを求めに世界中から観光客が押し寄せる理由がありますね。
その内、山の隠居さんも機会を見てスケッチに出かけては如何でしょうか。