花好き・旅好き80代北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり、今は外国行きは見合わせている。

「オーストリア・ハンガリー・スロバキア3か国の旅」(3)

2018年06月08日 | 海外旅行「中央ヨーロッパⅠ」オーストリア、ハンガリー、スロバキア
≪「ハルシュタット」の観光≫

「ザルツブルグ」を観光後、次の町「ハルシュタット」を目指した。
「ハル」とはケルト語で「塩」の意味、「シュタット」はドイツ語で「場所」の意味。
ここも紀元前800年頃から「ケルト民族」が岩塩を求めて入り、町として栄えた歴史がある。「ハルシュタット塩抗」は世界最古の岩塩坑で、美しい山とハルシュタット湖の景観を含めて世界遺産に指定されている。
途中、懐かしい景色に出会った。また、「ウオルフガング湖」の傍で、バスから降りて写真を撮った。



     

1時間半後の16;10に「ハルシュタット」に着いた。
町の家々は、湖にせり出す山裾に沿った道の両側に細長く続く。駐車場でバスから降りて、その狭い道を奥に向って進んだ。遊覧船の停泊場所や坂になった広場、教会も見えた。



     



        

観光客が沢山いたが公共トイレが2箇所しかなく、入るには何と「1€コイン」が必要だった。
私はコインが無かったので、スーパーで5€紙幣を出して3.9€の「ウエハース」を買い、その釣り銭で1€(日本円で135円)のトイレに入った。「ウエハース」はツアーの方々に試食してもらった。
今回の旅行では、「オーストリア」と「ハンガリー」のトイレの大半が有料で、平均は0.5€だった。ここが一番高かった。

観光後17;25に再びバスで出発した。バスは3時間走り続けたが、途中の景色は北海道に似て広大な農地と牧草地が広がっていた。牧草を刈ってロール状にしたのが、牧草地に沢山置かれていた。
バスから山々が見え出した。初めの内は豊かな森林に覆われていたが、「グラーツ」が近づき見えた大きな山脈は、石灰岩に覆われて灰色をしていた。
「グラーツ」のホテルに着いたのは20;25だった。



       

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「オーストリア・ハンガリー・スロバキア3か国の旅」(2)

2018年06月07日 | 海外旅行「中央ヨーロッパⅠ」オーストリア、ハンガリー、スロバキア

≪「ザルツブルグ旧市街」観光≫

「ザルツブルグ」の名は「塩の町」の意で、古くから山で採掘される岩塩を主な産業にして発展して来た。
私がこの町を訪れるのは2度目だが、今回はバスの駐車場から徒歩で旧市街に入ったので、前回とは印象が違った。
旧市街は、岩山を掘って造った長いトンネルが出入り口になっていて、反対側は「ザルツアッハ川」に囲まれている天然の要塞といえる場所に造られていた。

 
 (トンネル入り口)
              
              (出口)

また、南西部は「イタリア」の北と国境を接していて、1806年まで「大司教座」が置かれ、ローマ」に告ぐ教会国家を統治していた。
そのためにバロック様式の建築物が多く、歴史地区の1000の対象物と236haの旧市街が1997年にユネスコ世界文化遺産に指定された。


 (「レジデンツ」新館と広場の「バロック噴水」)

          
            (「大聖堂」と広場の「マリア像」) 


 (「ゲトライデ通り」の奥は「ザンクトクラジウス教会」)

アルプスより北の町でオペラが上演されたのは、この町が初めてだという。それ以来、「ザルツブルグ大学」や「大聖堂」などで上演され続け、現在の「ザルツブルグ音楽祭」に引きつがれている。
1756年1月27日に「ヴォルフガング・アマデウス・モーツアルト」が生まれた生家も旧市街にあり、私は前回、彼が使用した楽器や家族の写真、自筆の楽譜などが展示されているその内部を見学している。家の前には相変わらず観光客が多かった。

   

ミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」の撮影舞台になった「ミラベル庭園」に行くのも2回目なので、映画がどこで撮影されたかなど知人を案内した。この映画は「ナチス」の追っ手から逃げる家族が画かれているため、政治的過ぎるという理由でヨーロッパでの上映が差し止められたと添乗員から聞いたが、第二次大戦後、ドイツを初めとしてヨーロッパ各国が「ナチス」の政治に多いに反省した筈なのにと不思議に思えた。
また、立派な「ミラベル宮殿」は、1606年大司教「ヴォルフ・ディートリッヒ」が愛人「ザロメ・アルト」のために造営したものだという。現在は市長の住居になっている。



      
       (ギリシャ神話「ペガサスの噴水」)



庭園に行く途中から見た「ザルツアッハ川」とその向こうの丘に建つ「王宮」が、この町の存在感を示していた。



「ザルツアッハ川」に掛かる「マカルト橋」の欄干には、愛の鍵が止められていた。



橋を渡ったところに世界的な指揮者「カラヤン」の家があった。また、庭園傍の公園に「コペルニクス」の大きな像があったが、「オーストリア」との関係は分からなかった。(「コペルニクス」(1473~1543年)はポーランド生まれの天文学者であり、聖職者、医学者、法学者だった。「天球の回転について」という書を著し、「天動説」が信じられていた時代に、太陽を中心として地球が回転しているという「地動説」を発表した)

 

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「オーストリア・ハンガリー・スロバキア3か国の旅」(1)

2018年06月05日 | 海外旅行「中央ヨーロッパⅠ」オーストリア、ハンガリー、スロバキア

≪日本から「オーストリア」の東の町「ザルツブルグ」へ≫

旅行は5月20日~29日までの予定だった。しかし、出発の2日前に伯母が「脳梗塞」を起こした。
出発の直前だったので、どうしたら良いか、直ぐに医師に相談したら「今日このまま入院してもらうので、旅行には行って来てください。」と言われた。

そこで大急ぎで自宅に戻り、入院に必要な持ち物一切をまとめて夜、入院室に持参した。
翌日から行く事になっていた介護施設の「ショートステイ」はキャンセルしたが、行くために、伯母がソフトスーツケースに衣類などをまとめて用意して置いてあったから、それに下着や食事道具、ティッシュペーパーを付け足すだけで事が足りた。
伯母には、「ショートステイの代わりに入院になってしまったけれど、しっかりと治療を受けるように頑張ってね。」と話した。私の旅行は2日後だった。

私の旅行荷物づくりの時間が伯母の入院準備で少なくなって焦ったが、何とかスーツケースに衣類などを投げ込み、20日12時の飛行機で「新千歳空港」から「羽田空港」に飛んで、10日間の旅行に向った。今回の行きのチケットは溜まった「マイル」で買った「特典航空券」だったので、便数が少ない成田空港行きは満席だと言われたのだ。

旅行中、何度も伯母の夢を見たが、私が留守中の緊急連絡先を札幌の妹が引き受けてくれているので、今回も助かった
(妹に施設や病院から連絡が行った事は、まだ無いが…)
帰国は28日夜。成田から北海道に飛ぶ飛行機が無く、翌朝10時発のANAで帰宅した。

所で行きの「羽田空港」からは「京急線」の「成田航空直行便」に乗りたくて切符販売所に相談したら、男性職員が「日曜日なので直行便はありません。途中で乗換えが必要です。」と言う。しかも路線名を知らなければ切符が買えない。焦った。
しかし、その後来た女性職員に話して、無事に直通便の発車時刻を聞き、切符を買って乗り込んだ。
あの男性職員は、間違った説明をした訳で、腹が立った。

成田では18;55に指定されたカウンターに集合。今回乗る「トルコ航空」のカウンターに30分以上も並んでスーツケースを預け、希望した通路側の座席のチケットを受け取った。
21;25飛行機は「イスタンブール」目指して離陸した。機内は満席に近かった。ロシアの上空を飛行し、12時間掛けて「イスタンブール」に着いた。途中何度も気流の関係で飛行機が左右に強く揺れたが無事だった。

「イスタンブール」では日本との時差が6時間あるので、時計を-6時間に合わせた。
「オーストリア」の「ザルツブルグ」行きに乗り継ぐ時間が5時間半もあったが、同じツアーの知人と混む待ち合い室で話をしていたら、あっという間だった。

「イスタンブール」を9時に離陸し、2時間半後の10時半には「ザルツブルグ」に着いた。(「ザルツブルグ」は「ハンガリー」よりも-1時間の時差があるので、こんな時刻になる)

そして午後から早速「オーストリア」の東の町「ザルツブルグ」の観光が始った

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ボタンとジャーマンアイリスが開花

2018年06月05日 | ガーデニング・家庭菜園

昨日は札幌の最高気温が30.7度、内陸部の帯広では日本最高気温の34度まで上がったらしく、私の所でも初めて暑さを感じた。
気温が上がれば作物や花木だけでなく雑草も待っていたとばかりに繁茂し出して、この数日間は草取りに追われていた。
その他、伯母が突然入院してしまったので、気持ちが落ち着かず、庭の記事は5月の半ばに載せて以来になる。

昨日は暑くなる前にと朝の内に草取りをしてから、種を蒔いた「隠元豆」「金時豆」「タマフクラ大豆」に鳥除けのネットを掛けた。
また、菜園の隅に5月8日に5本植えた「薩摩芋」がどうやら根付いたらしい。掛けてある黒いゴミ袋の穴から中に水をやった。
また大分伸びて来た「ホウレン草」「春菊」などの葉菜類と「アスパラガス」「薔薇」などにも水をやった。
それから枝が伸びた「薔薇」2本に竹を立て、蕾が膨らんで来た「芍薬」にも支えをした。

声を掛けられたので見ると、昨年来散歩しながら庭に立ち寄ってくれた高齢の男性だった。今年も元気そうだ。「ジャーマンアイリス」の一種が気に入ったというので、花が終ったら球根を分けて差し上げる約束をした。(毎年球根が増えるが、場所が限られているので、実は毎年増えた分を捨てている)

今朝は起きると早々に庭に出て、蕾が膨らみ出した「薔薇」、野菜類、毎日少しずつ収穫している「アスパラガス」などに水を掛けた。
それから「小松菜」を間引き、半分を花友さんに届けた。
「クレマチス」の背丈がグンと伸びて来たので、竹に絡まり付いているつるを何箇所もそっと外して、らせん状に仕立て直した。
「クレマチス」は偉い!自分で自立しようと努力する。それに比べると「薔薇」は駄目だ。棘を出して草食動物に食べられないようにはするが、細い枝が強い風に吹かれると倒れたり折れたりしてしまうなどと思いながら…。
また、北側の日が当たらない場所の雑草を取った。

まだ6月初めだが、今年は例年よりも植物の生育が10日ほど早いように思う。
「ツツジ」も今咲いているのは、「ドウダンツツジ」と「琉球ツツジ」「エクスバリューツツジ」だけになった。
「薔薇」の開花は、例年だと今月末だ。最近、アブラムシが沢山付き出したので、ゴム手袋をはいた手で潰している。

今朝の庭の花々だ。

 

          
 
 

「ボタン」は実に花が素晴らしいので、この所毎年1種類づつ増やしている。
昨秋新たに植えた小さな木につぼみが1つ付いた。「オレンジ色」の筈なのに「ピンク色」の花が咲いたのでガッカリしていたら、今朝「オレンジ色」っぽく変って来ていた。(写真下左)

 

         

  

     

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伯母の脳梗塞、その後(3)

2018年06月03日 | 高齢期の生活全般

昨日した洗濯物、それに新たに買い揃えた木綿100%の靴下4足と五部丈のズボン下2枚(これからの季節に良いので)を持って、伯母を見舞った。
伯母は「脳神経外科」の入院病室から、階が違う「地域包括センター」の病室に移っていた。ここは「リハビリ」を目的にした病室らしい。

丁度「リハビリ」の担当者が伯母を迎えに来た。歩行訓練をするのだという。
そこで私も了解を得て、一緒に「リハビリ室」に行った。

伯母は車椅子から降りると、彼に手を引いてもらいながら歩いた。
伯母を休ませながら、私はその担当者に伯母の普段の生活ぶりを話した。
担当者も「98歳とは思えない位しゃんとして、リハビリを受けています。」と言っていた。
最後に部屋まで少し距離がある廊下を、いつもの様に私の片腕を伯母に掴ませてゆっくりと歩いて戻った。

伯母には、私が昨日、今まで利用していた施設に行って「ショートステイ」と「特別養護老人ホーム」の両方を申し込んだ事を伝えたら「良く分かっている施設なのでいいね。」と言ってくれた。嫌がる様子は無かった。

また、出される食事も、手伝ってもらいながら頑張って食べている様だった。「何か不安はないか」と聞くと、「全然ない。」と答えた。
「慣れたら、辛うじて少し見える右目で生活できる様になる筈だから、「リハビリ」を頑張ろうね。」と言って別れた。
本当に伯母は愚痴一つこぼさず、気持ちがしっかりしていて、実に努力家だと思いながら帰宅した。

                            

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伯母の脳梗塞、その後(2)

2018年06月02日 | 高齢期の生活全般

昨日は、昨年から度々「ショートステイ」を利用している近くの施設に出向き、「特別養護老人ホーム」の空室ができ次第、入所させてもらえるように申請した。そこは小規模の施設だが、家からの距離も近く、伯母にとっては慣れている場所でもある。私も職員とのコミュニケーションを取りやすいので、入所できたら幸いだと思うのだ。
もし、空室ができなくても、6月末に退院した後は「ショートステイ」させて貰いながら、空きを待ちたいと思っている。(この場合は、数日間の家庭介護が必要になるが)

伯母には、「お医者さんから、当面は家庭での生活は難しいので、施設の方が良いのではないだろうかと言われたよ。」と伝えた。具体的に「夜間のトイレなど一人では難しいでしょう。」と話したら「そうだね。」と言っていた。
まず伯母自身が、脳梗塞を起こしてからの自分の身体と生活状態を、認識する事が大事だと思っている。
あと1ヶ月のリハビリで、どれだけ視力がほとんど無くなった生活を受け入れて納得し、適応できるかが課題の様に思う。

                                   

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