存在する音楽

ジャンルに関係なく良いと感じた曲は聴く
誰かの心に存在する音楽は
実際に音が鳴っていない時にも聴こえてくることがある

サマー・ロックトークセッション/浜田省吾

2008-08-26 21:38:35 | 浜田省吾
DJ: 渋谷陽一(以下S)
ゲスト:浜田省吾(以下H)

S:毎日豪華なゲストをお迎えしておりますが、今夜は浜田省吾さんです。本来的にはオフの時期なのに、  すいません、貴重なラジオのお話が聞けると思って楽しみにしています。
H:マブだちが来いって言ったら来ざるを得ないでしょう。
S:そういう人間関係で呼んじゃったところがあるんですが…かなり浜田省吾については我々語りつくしてきましたが、今回は基本的には最近のツアーのMY FIRST LOVEがらみの話をメインにいきたいと思います。
H:わかりました。
S:全てライブテイクで行きたいと思います。いつも言ってるんですが、浜田省吾の曲の中でも かなり好きなナンバーなんで「終わりなき疾走」♪

S:今回のツアーから「終わりなき疾走」でした。いやーこの曲をやってくれて有難う。
H:埼玉の最初のほうのテイクですよね。
S:home boundってアルバム好きなんだけど、ロックだよね。
H:ちょうど6作目かな。80年 ちょうどポップな浜田からロックな方に戻っていって、ファーストアルバムはもともとロックなアルバムで、70年代は試行錯誤があって、それはそれなりに楽しい試行錯誤ではあったんだけど、80年になってロックに戻って行った最初のアルバムが「終わりなき疾走」が入っているhome boundでしたね。
S:MY FIRST LOVEは本当に長いツアーだったよね。
H:2005年秋から2007年の冬にしたツアーなので3年くらいですかね。
S:長いですよね
H:長いですね。その前のツアーが4年やってましたからね。
S:凄いよね。
H:やっている間にそれくらい時間が経っていく感じなんですけどね。
S:だからと言って、月に一本という訳じゃなく、けっこうぎっしりと詰まってるじゃないですか。
H:そうですね。沢山やりましたね。
S:体力管理大変だよね
H:体力よりも気持ちですよね。気持ちが いつもがっちりあるかどうか。
S:お客のパワーに負けちゃうよね。
H:そうですね。今回バンドが凄くよくて、ミュージシャンとしても人間としても素晴らしいし、周りのスタッフも技術も心も素晴らしくて、そういう意味では疲れなかったですね。楽しかったです。
前回のON THE ROAD2001の時はけっこう病気したりとか風邪引いたりとか、脹脛の筋肉を切ったりとかしたので、そのときの学習があったので、今回は準備もちゃんとやったし、自分の思うこととやれることのギャップを気をつけながら、今回の方が飛んだり走ったりしていた。
S:今回けっこう動いてたので、心配しちゃった。
H:全然そんなことないですよ。全く無理をしてない。無理をしないようにしてましたね。前回の方が無理してましたよね。
S:浜田省吾はツアーをやって、そこでコミュニケーションをとってキャリアを積み上げてきたのはすごく素晴らしい。でももう何十年もじゃないですか。そろそろCDが売れなくなったとか、コンサート動員が落ちたとかいう話がある中で、毎回毎回動員が増え続けているって凄いよね。
H:そうですね。それはもう、恵まれていると感謝しています。
S:お客さんの信頼感も強くなってるし、数も増えているし。
H:今回のツアーが一番熱かったですね。俺たちの方が煽られました。

S:「路地裏の少年」はナレーション付きでちょっと芝居がかった感じでやるじゃないですか。
H:今回ホールツアーで
S:鞄持ってやってきて、浜田省吾がまだギター一つでスナックとか居酒屋とか浜田省吾目当てではないお客さんの前でこういう歌を歌ってきたんですよっていう、ちょっとお芝居をする訳なんですけど、あれは、浜田省吾自身のアイデアだったの?
H:そうですね。2006年にホールツアーが秋に始まって、丁度デビュー30周年だったので、「路地裏の少年」を当時やってたみたいにやろう、どうせやるなら当時のようなステージの上で酒場の70年代の雰囲気にして
S:みんな年齢的にも70年代だし
H:ステージの上で酒や煙草を呑んだりした。それだけじゃなくて飲んでるだけじゃ面白くないだろうってカードゲームもやってて、ポーカーやってたりしてた。ツアーが終わって初めて知ったんだけど、カードをしながら後ろで煽って盛り上げてくれてんだと思っていたら、あれはゲームの罰ゲームだったようで、何だよ!っていう裏話もあるんですけど。長いキャリアの中でステージの上で飲んだのは初めてだったけど、あんな服来て、あんな感じでギターを持ってやってたんですよね。

S:「路地裏の少年」♪

S:こういう風に歌っていると浜田省吾も当時のことを走馬灯のように駆け巡っているって感じで、でも実際は 何だあのPAどうなってんだっ! ていうのかリアルですか?
H:意外と今回は振り返ったりしましたよ。例えば神戸行った時は、神戸初めて行ったのはどこだったけっけな?とか商船大学だった、そうだ、あん時は中島みゆきと一緒だったな。そう言えば、あん時 彼女は「時代」がヒットしていたなーとか、あん時、俺は無名だったなー、その差は今も埋まってないなあか考えながら・・・って感じで、それはMCの中にも出てくるんですけどね。30周年っていうのがあったんで振り返ってしまいましたけどね、まあそれは悪いことではなかったですけどね。

S:ライブに行った人しかわからないんだけど、I AM FATHERがお客さんに盛り上がる。お客さんもちゃんと耳持ってるなあ。浜田省吾としてはとても幸せな状況だね。
H:アルバムを光のサイドと影のサイドと分けて作ったんですが、周りがFATHERばかりなので、この曲は絶対良いからシングルにしようと。俺は他に良い曲があるんだけどなあと思っていましたが、実際にライブやると、とても盛り上がってくれるので。嬉しいなって感じですよね。
S:浜田省吾はお父さんじゃないのに歌っているのが良いんですよね。
H:そうかもしれないですよね。
S:僕は父親だけど、自分が父親で父親の歌を歌うともっと暗くなる。もっと色んなことを言いたくなる。それがなくて ある意味ドライ、それでもって愛情を持って父親という事実が歌われる。
H:口下手なお父さんの為に書いたんですよ。家族でドライブしている時にさり気なくお父さんがかけて、家族にこういう気持ちなんだよって、こうなってないけどって。家族にアルバムを聞かせながら車でドライブするイメージを持って作ったんですけどね。
S:ちょっと関係ないんだけどなあ(笑)
H:あ、そうですか(笑)「花火」の方にいっちゃって、家族がみんな心配になっちゃったりして
S:でもあれ本当に良い歌だよね。みんなお父さんになってきているし、母親をテーマにした歌は多いけど、父親をテーマにした歌は少ない。浜田省吾には父親というのは大きなテーマにですよね。
H:そうですね、男であるから父親っていうのは自ずからそうなってきますよね。父親である男と男である父親とこの二つのバランスをなかなかとれない男達がテーマでもあるんですよね。
S:周りから盛り上がったナンバーだけど、支持されているということで。
「I AM FATHER」♪

S:ライブでいると親父が涙ぐみながら盛り上がっている姿を見るの好きです。ステージの上からもわかるでしょう。
H:そうですね。愛されているなって感じがしますよね。歌がね。それはソングライターとしては最高に幸せな瞬間です。
S:GREENDAYのサウンドで父親の歌を歌おうという
H:そうですね、サウンドのコンセプトは親父の歌を、若者のサウンドで、GREENDAYのエンジニアで、そのまんまのサウンドで

S:ライブが長いんですよ。曲を選ぶの大変でしょう。
H:そうですね。コンサートは構成によって勝敗が決まるみたいのがあって。最初の構成の部分がすごく大切なんですよ。
S:それは大変な作業なんですか、楽しい作業なんですか?
H:楽しい作業ですね。落とし穴を作って綺麗に隠して皆が落ちるのを待っている、そんな感じ。料理をコツコツ作って、綺麗に持ってテーブルに出して、うまそうな顔で食うかな?落とし穴っていうのはビックリする何かしかけがあるっていうことですね。それが楽しみです。
S:やってみて驚かなかったことってある?
H:しょっちゅうです。何だよ。落ちなかった。しかけが悪かったのかな?って治しにいったら自分が落ちちゃったなっていうのがありますけどね。
S:今回のツアーでやっぱりセンターステージが印象的だった。よく浜田君がやるようなアリーナクラスのステージをやる人はよくセンターステージを使うことが多いんですけど、でもあんなに長くいたのは初めて見ました。今回はセンターステージにいた時間が長かったよね。
H:そうですね1時間4、50分はしてたんじゃないですか。それもアンコールですから、あれはアンコールとは言わないですよね、第三部ですね。前回のツアーの時には30分程度だったんだけど、今回は楽しかったんでもっと長くやろうってことでやったわけです。
S:まだやるんだー。最近の若いバンドはだいたい1時間程度なんだよね。知ってます?
H:知らないです。
S:浜田さんはアンコールのセンターステージだけで1時間もあるという。
H:アリーナでやるときはスケール感とかあるけれども、逆に客席が遠い、ホールだと身近だけどスケール感がない。その二つをアリーナで再現するにはメインステージでアリーナのスケール感の映像を使ったり照明を使ったり。真ん中のステージでシンプルにホールの臨場感を出すという目的でやってる。そのルーツはビートルズが初めてアメリカに行った時にワシントンD.C.でセンターステージでやってるんですよね。あれがやっぱりルーツだったのかな。最近はストーンズもやりますが、2、3曲ですよね。
S:そうですよね。何で2,3曲かというと、ミュージシャンに言うのも何ですが、大変だからだと思うんです。
H:そうですね。
S:2、3曲がいっぱいいっぱいだと思うんですが。何ていう曲やってるんですか?
H:覚えてないです。
S:あれは普通あり得ないんですが、だってあれは裸の状態じゃないですか。360度見られていて、すごくやりにくくないんですか?
H:全く違う頭の切り替わるメインステージに行ったら、ライブハウスでやっている感覚で
S:だってお客さん2万人近くいるじゃないですか。
H:でも客が近いと自然にそういう風になるんですね。
S:やっぱり、キャリアとスキルですね。
H:自分ではわからない。自然に切り替わる。センターステージに立ったらそうなるわけではなく、きちんとショーアップされたものがあって、第三部でやるからこそ、そうした風になると思うんですけどね。
S:センターステージで歌う曲ではなかったんだけど「J・BOY」、代表曲じゃないですかみんなが聴きたい楽曲で、こういう楽曲への思い、こういう楽曲をどこに置くのか。というのはかなり重要なんじゃないですか?
H:非常にいい質問ですね。これも感覚的なものなんですよね、この辺でやろうとか。イーグルスが「ホテルカリフォルニア」を一曲目にやるというのはかなり意識的なものなんですよね。でも普通で考えたら、一曲目に「ホテルカリフォルニア」をすべきじゃないですよね。お客さんからの気持ちで考えると。 俺はオーディエンスであることも凄く好きだし、そっちの方からの立場で考える事前の場所に置くんだと思うんですよね。一曲目から「ホテルカリフォルニア」というのはある種のバンドエゴだと思います。それはそれでありだとは思います。
S:でも、やっぱりこれは流れると当たり前のように盛り上がるんですけど
H:やってる方も何故か何度やっていても盛り上がるんです、コードは四つしかなくて、ずーと繰り返しなんですけど、たぶん音楽の何かがあるんですよね。同じ四つのコードを延々同じリズムで繰り返していた時のカタルシスっていうか。メロディーでは変わっているけれど、コードは全く変わってないです、ほとんど 
S:演奏している本人としても けっこう
H:だんだん熱くなっていくような作りになっているんですよね。このテンポとコードの流れとかが
S:それはミュージシャンとしても曲にとっても幸福なことですよね。キースリチャードも言ってましたけどね「ストリート・ファイティング」あれをやって興奮しないわけがないだろうミュージシャンがって という楽曲を持てることは幸せだと重います。

「J・BOY」♪
S:幸福な形でミュージシャンとしてのキャリアを積んでいるんだと僕なんか思うわけですよ。こういう風にきっちりお客さんと向き合ったライブ活動をやって、それが4年のツアーだったり、3年のツアーだったりというのをちゃんと自分の中できっちり完結させて、そしてツアーの度に動員が上がっていくという、それ凄いと思うけれども、最新の楽曲はお客さんの間で一番受けている。自分の中で凄く手ごたえがあるでしょう。
H:他にやり方を知らないからやってきた結果がこうなってきたというだけなんですけどね。それが一緒にやってきたバンドやミュージシャンやスタッフがやってきた結果がこうだったという。最初からメディア戦略がなくて、とかじゃなくて最初からタイアップもなくて、冠の企業でお金があって保障されてやるわけじゃなくて、俺たちみたいな小さな事務所があるお金を出して失敗したら皆がはぐれるしかないという状況の中でコンサートをやる訳ですよね。だからやっぱりライブに対する気合も切迫感というか、ツアーの間も病気にもなれないぞ、風邪も引けないぞという緊張感をみんな高く持ってやったというのがありますね。
S:健康管理法は?
H:みんなボーカリストはそうだと思いますが、ハチャメチャなロックンローラーのイメージとは違って、非常にアスリートみたいな生活ですよね。規則正しく寝る、食べること、オフの日の運動も大切ですし、一日だけのライブでは何とかなりますが、二年三年続くものはきちんとしてないと無理ですよね。30代は無茶苦茶してましたけど、
S:かなり無理が効いた?
H:30代の頃は無理が効きましたし、ステージのクオリティも今ほど高くなかったですね(笑)
S:そんなこと言っていいんですか?
H:そう思いますね。だんだんクオリティを高くするためには、自分の体力落ちてくる訳ですから、それなりのことをやんないといけないなって感じですよね。
S:自分にけっこう厳しいですよね。
H:自分が一番好きなのは歌を書くことなんですよね。職業欄とかに書かなきゃいけない時はソングライターって書くんですね。ミュージシャンとか歌手とかではなく、ソングライターと書きます。自分のネックはソングライターだと思っているので、新しい歌があるからライブもやれる、それがいつまで続くかわからないですけれども、今もそういう風に思っていますし、アルバムはというか歌は作っていきたいです。好きで書いています。
S:もう曲が書けなくなるんじゃないのかって思ったりしないんですか?
H:思います。いつもそう思っています。これが最後だって。誰でも最後の作品があるわけで、それがいつなのか誰もわからないですよね。自分でやめたって言わない限りは。
S:滅多にラジオにも出ないので、ファンのために聞かないといけないんですが、今後どうなるんですか?
H:まだ、休みが来たって感じなんで、体力じゃないんですよね。気持ちが大切で、溜めて溜めて溜めて、自分がやりたいという瞬間を大切だと思う。自分がやりたいという強い気持ちがないとダメですよね。そういうのを溜めないとダメですよね。
S:ファンは許してくれると思います。
H:サボっているとは言わないだろうね。まあ55歳なんですけれども、父が最初の警察官の仕事を退職したのが55歳なんですよ。それまで34、5年働いてきて、俺もそれくらいはやってきているので、ちょっとここらで、しばらくノンビリしても良いんじゃないじゃないかなって、まだリタイヤしたいとは思っていません。
S:最後に、「MY FIRST LOVE」という曲はイメージ的に「路地裏の少年」とワンセットになっている感じがする。これに初恋って良いタイトルつけたよね。
H:凄く単純な理由で、俺の初恋って誰だろう?って女の子の顔を色々と思い浮かべても
S:沢山いたよね(笑)
H:ロック聴いてた時ほどドキドキした女の子っていなかったよなー、俺の初恋ってロックミュージックだったんだというすごくシンプルなところから出てきタイトルなんです。
S:具体的なバンドやミュージシャンが沢山でてきているんですが、こういうのを選ぶのって大変じゃなかったですか?
H:いやあもう楽しくて楽しくて、色んなミュージシャンの名前には仕掛けが沢山あって、フレーズに対する音も被っているし、全部言える人は、もう渋谷さんくらいにしか判らないんじゃないかな?どれくらい判るんだろう?やっててみんな大笑いしながら、ここまで判るかな?って
S:凄く楽しかった。じゃあこのアルバム、ツアーの一つの原点。落とし穴の原点ですよね。
H:そうですね。サウンドもアルバム全体で遊んでいるんですよね。「J BOY」「FATHER’S SON」の頃って、どんな頑張って働いて物を作っても文化勲章なんて貰えないジャンルじゃないじゃないですかロックって根がないもんだから。アイデンティティとか色々と言ってたんだけど、好きになった子がこの子だったから仕方が無いって言い放った方が勝ちだ、俺はロックンロールが初恋だったって しょうがないじゃないかって
S:55になり、ツアータイトルになり、アルバムタイトルになり幸せじゃないですか
H:はい。ゼロにして、これからまた山があれば、登ってみたいって感じですね。
S:聞きましたか?みなさん、登るって言いましたよ浜田省吾は。
H:はい。まだまだ登りたいと思っています。
S:そのためには、暫く休んで頂いてですね、また活動やってくれるのを待っていたいと思います。

「初恋」♪
2008,8,25(月)NHK FM


コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする