存在する音楽

ジャンルに関係なく良いと感じた曲は聴く
誰かの心に存在する音楽は
実際に音が鳴っていない時にも聴こえてくることがある

坂本龍一 ニュー・イヤー・スペシャル 2016

2016-01-05 21:43:35 | 坂本龍一
みなさん明けましておめでとうございます。坂本龍一です。
今夜はこれから二時間 坂本龍一 ニュー・イヤー・スペシャルをお送りします。
この番組は毎年お正月に放送しまして、もう12回目だそうです。
僕は病気の療養で休みを頂いていた昨年はですね、ピンチヒッターでユザーンがやってくれましたけれども。すっかりね人気者になっちゃってね、有名人ですよね。この前、一緒にインド料理屋へ。まあだいたい一緒に行くところがインド料理屋なんですけれども、ユザーンはきまって(笑)他に行くことはないですね、インド料理屋でユザーンだけサインが下さいって言われてサインしてましたけどね。昨年の9月に仕事に復帰してから沢山新譜も書いていましてね。これは僕が監修していたものなんですけれども、今月の17日、僕の64歳の誕生日に発売される。 もう64歳ですよもう。すっかりお爺さんですね。64のジジイっつったら結構なジジイなって響きがしますけれどもね。最近は皆もう若い気で、もう全然お爺さんぽくないんですけれども。
1月17日にですね「YEAR BOOK 1971-1979」こういうものが発売されます。僕の1971年から1979年までの主に未発表の音源をかき集めてきた、3枚のCDにした。新録もしてるんですよ。NYでねやったんですけれど、1971年からってことですけれど、僕が大学に入学したのは1970年。で71年、まだ大学1年の終り、1970年の終りに作ったものが年を明けて発表したのが1971年で、まあ要するに切りの良い大学1年の時から79年という約10年間。僕の20代の10年間の変化の激しいことね。「千のナイフ」からずっと伸ばしていたロンゲね。長髪を切って、高橋幸宏君がディレクションして、スタイリストもして、ソロアルバムのジャケット撮りみたいなことをした訳ですけど、そこでもうスタイル変わりましたね。チャラくなっちゃててね。これ写真で見てるとハッキリしててね。それまでは意外と真面目でしかめ面したような真面目な写真が多いんですけどね、
この10年の変化は激しいんですよ。たかだか40年45年ぐらい前のことなんですが、随分、自分でも記憶があやふやで定かではなくてですね、記憶していたことと現実が違ったりですね。またネットは発達しているとは言え、そのころの資料というのはあまり無いんですね。写真なんかの資料も少なくてですね。だいたいこの頃、70年代の頃には資料としてちゃんと残そうっていう意識もなくてね。色々な僕がかかわったお芝居のチラシとかポスターとかましてや音源などね、残ってないんですよね。残念ですけれど。実に僕は小劇団の音楽番組にも書いたんですけれど、残念ながら無いですね。それが出てきたら本当に貴重なんですけど。でもこの番組をやってると実は持っていると申し出てくれるかもしれないし。ちょっと期待したいんですけれど。という感じです。まあこれが出るんです。
それから、映画の音楽をこの間二つやりました。一つは勿論、公開中の山田洋次監督の「母と暮せば」ですね。この後、山田監督と吉永小百合さんがお目見えになりますけれどもお話を伺うことができますけれども。
それともう一つは日本では4月に公開予定のメキシコ人の(アレハンドロ・ゴンサレス・)イニャリトゥ監督なんですけれど「Revenant蘇えりし者」の音楽を担当しました。ということで、まずは1曲聴いてみて下さい。
去年のいつだったかな。夏ぐらいかな、に出した。

うないぐみ+坂本龍一「弥勒世果報(みるくゆがふ) - undercooled 」

9月じゃないですね、10月7日に発売されたそうです。数か月の記憶もあやふやになって、ましてや45年も経てば滅茶苦茶ですよ。歴史っていうのはこうやって曲がっていくんだなっていうのがよく解りますよ。当事者ですらこんななんですから、ましてや人伝に伝わっていったものなんてものは無茶苦茶ですよ。信じちゃだめよ。歴史なんて。
えー(笑)。今聴いて頂いたのは、そのみるくゆがふ なんですけれど、復帰後最初に発表した曲ですよね。これ。えーとですね、一昨年、去年とね病気の療養をしていたので、まあその、本当にそのYEAR BOOKの発売もありましたけれども、10代で仕事を始めてから1年近くも休んでいたんだということは本当に初めてですよ。40年間で病気を治すために一生懸命やっていた訳なんですけれども、その間、勿論、音楽のことも考えてなかった日はなかったし。当然、音楽も聴いていたし、えー色々と心境の変化も当然あったんですけれど、このへんからね、音楽と健康という話をしましょうかね。ちょっといきなりな感じもありますけれども、
本当に何も仕事をしないで、ポーンと一年近く時間が与えられた中で、たくさん音楽を聴いてやろう、DVDも見てやろうっなんて風にね思いましたけども、どうせだったら、普段あんまり聴かない、馴染みのない音楽を聴いてやろうと思ってですね、色々と聴きはじめまして、で、今思うと印象深かったのはね。フォーレと言う作曲家、フランスの。
ドビュッシーよりも前、先輩ですね。先輩格。ラヴェルの先生ですね、音楽院(フランス国立音楽・演劇学校)の。ガブリエル・フォール)<ガブリエル・ユルバン・フォーレ(Gabriel Urbain Fauré)1845年5月12日 - 1924年11月4日>
という人が居ます。
19世紀のロマン派から20世紀の近代音楽にかけての橋渡のような存在でしょうかね。長生きもされて、パリ音楽院の大学長もされて、ある意味フランス音楽のスタイル、流儀を確立した人と言っても過言ではないですね。あんまりね、僕は若い時はガブリエル・フォーレって言う人は人気が無くてね、学生の間には。そんなに僕自身もは聴いてなかったんですよね。まあ有名な曲でみなさんも良く知っているかも知れませんがフォーレの「レクイエム」という曲があって。これは有名ですね。僕もそれくらいしか知らなくて、ほとんど深く聴いてなかったので、この際全部聴いてやろう。まあ殆ど聴いてみましたね。で、その中で気に入った曲はいくつかありましたけれども、よく聴いていたのが、フォーレの若い時の作品で、バイオリンソナタの一番というのがあるんですけれど、これは色んな人の印象をね、ネットで探してきて買ったりして聴き比べたりしましたけれども。なかなか良い曲ですよね。フォーレを聴いているとですね、ふと思ったのは、ほぼ同時代の小説家でプルーストという人がいますね。「失われた時を求めて」という長い小説を書いた人です。でもプルーストも世界が似てるな、というか世界が近いなって、凄く感じたんですね。調べてみたら、実際そのプルーストもそのフォーレの音楽、特にこのバイオリンソナタ一番というのがプルーストが好きだったみたいですよ、プルーストがフォーレのファンで手紙を書いたりして自宅に呼んだりしてね、けっこうも交流があったということが分かりまして、あながちふと思った僕のカンも間違ってなかったかなーって思ったりしたんですけど

聴いてみますかね。

フォーレのバイオリンソナタの第1楽章

音楽と健康ということですが
そりゃあ色々としますよね。留意してみたり。一番大きなのは食べ物かな、病気が発覚してからビーガンといって、ベジタリアン、菜食ですよね。普通の菜食主義よりも厳しい菜食主義というんですかね。乳製品とかも食べない、魚介類も食べないという。もうフルーツと野菜だけというのに切り換えましてね、ただ治療を始めるすと、ガーって体力が落ちて行って、体重も十何キロも減っちゃって、落として行ったんで、病院としてはね、肉食えとか卵を食えとか色々いうんですよ。牛乳の飲めとかね。なんだけど僕は抵抗感があって、肉は食べなかったですけれど、魚介類などは食べ始めて、今でもそうですね。今は厳しいビーガンではなくて、主に菜食だけれども、魚介類もたまには食べるよという感じになっていますけれども。まあ食事が一番大事なんじゃないかと思いますね健康には。後勿論、体を動かすこと、運動とか。ヨガとか。後はその心の健康と言いますか、心の平安と言いますかこれも非常に大事ですよね。やっぱり心と体は本当に密接なんで。分けられるものではないんで両方大事。ということで、ヨガなども始めました。瞑想もやってます。ヨガなんかをやる時にはですね、あんまり激しい音楽ではなくて、ヨガに適した深い呼吸ができる、呼吸が大事ですよ呼吸が。健康には。僕が言える立場にはないんですけれど(笑)。えー呼吸ね、深い呼吸をしないといけないということでヨガや瞑想の時は特にそうなるわけで深い呼吸をするには、やはりテンポのゆっくりとした、あまり速い曲ではないあまり激しい音楽ではない方が良いですよね。色々とですね、そういう音楽サービスとかでね。ラジオとかでね。そういうプレイリストもありますけれども。色々と試すんですけれども。
本当に自分にピッタリというものが無いんですよ。自分なりにヨガなんかの曲もプレイリスト自分で作ってみたんですが、意外とね難しいんですよ。まあ本当に自分にピッタリというのが中々無いんですよね。
どうしても聴き飽きてるんですが、どうしてもブライアン・イーノとかになっちゃうんですよ。なっちゃんですよ。これで満足しているという訳でもないんですが、結局なっちゃうんですよ。一応聴いてみますか?ブライアン・イーノ
「Music for Airports」ブライアン・イーノ

本当にね、けっこうビックリするのがね、音楽サービスなんかで検索してみると、
このイーノのこれにそっくりに真似している奴がいて、驚くほど似た音色でやってる奴がいるですよねー。別に誰がやってるとか誰が作っているかどうか意識して聴いてたりはしてない人には良いんだろうけど、オリジナルのイーノを昔から知ってる何十年もイーノを知っている僕らなんかからすると、これはないだろうって思うので、こういうのを聴くと逆にストレスになっちゃいますよ。よく歯医者とかでも歯の痛みを軽減するためにだとは思うんですけれども、ヒーリングミュージック的なものがかかってますよね?ああいうのは凄いストレスですよ僕にとっては。もうやめてくれみたいな。本当は言いたいんですけれども、他の患者さんもいるから。なかなか難しいですよこの社会。現代社会。ね。人間性が変わらないと良くならないんだよね。本当に。
音楽と健康についてよくわからない話をしてますが、最初にも言ったように随分と長い時間を与えられてね普段聴いてない音楽を聴いてみようということでね、フォーレだったんですけれども他にも色々ありますよ。この間、若い頃に聴いてなかった作曲家のものはけっこうあるものですよ。僕はあんまりロマン派とは聴いてこなかったので、シューベルトとかねワーグナーとかブルックナーとかマーラーいますよね。ロマン派の中で僕が比較的好きだったし割と聴いたのはブラームスですね。ブラームスは自分でも弾いたり、よく聴いたし、しましたね。他の人たち、特にブルックナーやマーラーはあんまり聴かなかったですね。なんで最近は結構、お勉強ですよね。どんなものか。譜面も取り寄せたりとかして、こう今更ながら勉強したりする訳ですよマーラーもね。凄く曲が長いものが多いじゃないですか。ブルックナーもマーラーも、もちろんワーグナーもそうですけど。長いの好きですよね皆さん。皆さんってその人たちね。聴くのも大変。色んな指揮者のオーケストラのものを並べて聴いたりして、本当一日があっという間に過ぎたりして。大変よ。マーラーも交響曲を9個書いてね。9番まで書いて、10番は未完成で第1楽章だけで書いて、あとはもうスケッチだけ残ってますね。1楽章だけでだって30分くらいあったりするんですよ。でも数か月ほどで作曲してたってことですから本当に努力家というか大変ですね。みんなね。
マーラーというとマーラーの作曲小屋というのがあるんですよ有名な。湖のほとりのそうだなー4畳半くらいの掘っ立て小屋みたいののが建っていて、窓があってですね、本当に簡素な小屋の中で作曲していたそうです。篭るっていうのって良いじゃないですか、掘っ立て小屋じゃなくても家の中でも、よくトイレとかでも篭ってる人って多いそうですね、特に男性はね。自分の好きな本とか並べちゃったりとかね。漫画とか。よく気持ちはわかりますよ。
僕は子供の頃は勉強机にシーツをかけて入って、穴にしてその中に潜り込んでね。本とか読んでましたね。洞穴に入るみたいに。そういう衝動ってありますよね。みんな笑ってますけど(笑)、あると思うんですよ。何の話だったか?マーラーか。そうですね。随分と聴きましたマーラーも。マーラーか有名なのが5番ですけども9番も良いですね。僕が一番好きだったのは実はその未完成の10番の一楽章。実はこれが一番好きなんですね。未完成で、マーラーが遺言として弟子筋だったシュンベルクに完成を頼んだんだらしいんですよ。望んでいた。遺言で言った。シュンベルク君がやってくれたら良いなーって。マーラーの未亡人のアルマンさんに、シュンベルクに直接 これをやってねって、あなたは弟子なんだからって。スケッチが残ってるから完成させなさいよって言ったけれど。逃げまくってとうとう完成しなかったみたいでやっぱり荷が重かったんでしょうね。もう自分のことは始めちゃってたし。俺は師匠とは違うんだって、まあ尊敬はしてたんですけれども。やっぱちょっとこれは荷が重いですよ。マーラーの交響曲を完成しろってのは。僕も言われたら逃げると思いますよ。誰も言ってはくれないとは思うけれども(笑)。じゃ、マーラーの交響曲の9番聴いてみましょうか。
32:00

僕が担当した映画音楽ですけれど、「Revenant」というのは死から帰ってきた奴だ、人間だ。だから黄泉がえりし者っていう、そういう意味だそうです。世界公開は実は1月なんですよね。すぐ。ほぼ世界中は1月公開なのに、何故か日本だけ4月公開なんですよね。1月にしようよ。無理か今からは。
アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督、メキシコ出身の監督。2014年1年前ののアカデミー賞で「バードマン」で優秀作品賞をとった(作品賞・監督賞・脚本賞・撮影賞の4冠)。
で、レオナルド・デカプリオ(Leonardo DiCaprio)主演です。トム・ハーディ(Tom Hardy)イギリス人の俳優のトム・ハーディが注目ですよね。
その話が来たんですけれど、もともと山田監督の「母と暮せば」の話は一昨年からやってくれという話になっていたんですけれども、そこにこれが割り込んで来た。僕はまだ治療が終わってから、その時点であんまり経ってなかった半くらいかな。まだ体力も全然復活できてなかったところで、これはやるべきかどうか。これはやったら堕落しちゃうんじゃない?やばいんじゃない?当然そういう恐怖ありますよ。大変なことに、まあ仕事の量が大変なことになるんで、あのうバリバリの現役の今でも現役ですけれど、若い時の30代、40代の「ラストエンペラー」などをやっていた時代にも映画音楽を2つ同時進行っていうのは先ずやったことないし、有り得ない。精神的にも実際の作業としても大変ですよ。実際に本当に同時進行ってのは無理なんで、その時間を二つに分けてやったんですが。はたしてこれは出来るんだろうかって心配ですよね。ただ、「バードマン」でアカデミー賞獲ってもともと凄い才能を持った監督なんですけれども、実はお会いする前から彼のデビュー作は「アモーレス・ペロス」(2000年)というんですけれど、15年前かな、から大注目、大好きな監督だったんです。それが「バードマン」でずっと登ってきてですね、1作も駄作は無くて、全部素晴らしくて、もう多分、今の現役の映画監督の中でも最高に力がある。そのピークですよね彼は今ね。そんな映画監督の仕事が出来るなんて一生に一回あるかないかじゃないですか。まあ相当悩んだけれども、もうやるしかないな、と。どうなっても良いやって、自暴自棄じゃないですよ(笑)。あのう、まあ、なるようになれっと、もうやるしかないと引き受けましたけれどもね。結果的には僕の盟友であるカールステン・ニコライ、とても才能のあるロックバンド「ザ・ナショナル」というロック・バンドをやっているけれどもクラッシクの曲も書いているというブライス・デスナーにも参加してもらってですね。それで三人でやったわけなんですけれども。
映画自体がまた大変な映画で、撮影も大変といっても分かりずらいのかな実話をもとにしていますけれど、映画の作り方も異常ですよ。全く通常では考えられないやり方をしていて、ほぼ9割以上は全て自然光で外で撮影してますね。あともう一つレオナルド・デカプリオのような有名な俳優を使っているのに、ストーリーの始めから時間の順番通りに撮影していく。普通そんなこと有り得ないんですよ。なるべくその有名な俳優は短期間だけ拘束してなるべく出演時間を少なくして制作費用を抑えるという。しかもその有名な俳優なんかも他にも沢山仕事があるんで、詰め込んで必要な所だけを撮ってってやるのが当たり前なんですけれども。長期間拘束して順番に撮っていっていったという本当に有り得ない制作の仕方、プラスほぼ4分の3くらい雪の中で、冬のシーンが多いんですけどこの映画。それでカナダのロッキー山脈の方で撮影してるんですけれども去年の2月ですね、2月と言えば普通は一番雪が多い季節ですけれども、何と温暖化で雪が溶けちゃって雪が降って来ないという、てですね、もう撮影できませんってなったので、クランクインならずに中止になっちゃって撮影が、どうしようって、南半球に冬が来るまでまって、7月8月ですよ。去年の8月にアルゼンチンまで行って、もう一度俳優たちを集めて追加の撮影をしたと。色んな意味で、映画制作上も稀有なそういう映画です。

で、もともと僕とイニャリトゥ監督との関係と言いますとね。何作か前に彼が監督した「バベル」という菊池凜子さんが出ている映画がありますけど、あれで僕の曲を使ってくれているんです。その時に使い方なんかを相談したいと電話で何度か話したことがあるんですけど。まあそれが初めてのコンタクトだったわけですけれども。「バベル」が出来て、目出度くその曲が使われて、割とその直後に、僕がたまたま北米でピアノだけのツアーをやっていて、LAでやっていた時にイニャリトゥ監督を招待して、その時初めてお会いしたという感じですけどね。

じゃあ、その記念すべき「バベル」で使われていた「美貌の青空」ですね。これは1996というCDのバージョンです。これ聴いてみましょう。


「美貌の青空」
43:00

ここからはスペシャルゲストをお迎えしましょう。
S:山田洋次監督と吉永小百合さんです。明けましておめでとうございます。
山&吉:おめでとうございます。
このお二人と「母と暮せば」のお話をしていきたいんですけれども、当事者でありながら僕が司会のようになってしまいますが、やりずらくなっちゃってるんですけれども(笑)、ちょっとやりにくい。
吉:(笑)
S:そうですね、この三人の
吉:この三人の関係は、まさに「母と暮せば」の坂本さんは勿論音楽を、監督は演出をなさって、私は俳優として出演したと言う三人の関係なんですけれども。
S;お母さん役が吉永小百合さんですね
吉:はい。
S:先ほど僕がお二人がいらっしゃられる前に、ピアノで少し「母と暮せば」の中から弾いた曲があるので、それをまず聴いて頂いて、そのご感想からきいてみましょうかね。
では、出してください。じゃあ出してください。

「母と暮せば」より「町子のアリア」ピアノ演奏

S:はい。「町子のアリア」をピアノで弾いて、また映画で使った音楽とは少し雰囲気が違うと思いますけどね。
山:うーん。
S:どうですか?感想はいいですか?
吉:またピアノで聴くと全然違いますね、また深い悲しみが伝わって、映画に出演してますけれども、その時と重ね合わせて聴きました。
山:本当に違いますね。同じ曲なんでしょうけれども。
S:今回作った曲は僕はどれも好きなんですけれど、これはあまりにも僕は自分としては良く出来たなーって(笑)。場面は話としてはとても辛い場面なんですけれど、作った人間としてはね、割とそんなに期待してなかった原石からなかなか良いものが出来た喜びがね、大きくて、とても好きな曲なんですけれども。場面は黒木華さんが
吉:そうですね、黒木華さんがずっと一人で8月8日から9日にかけてのね
S:辛い場面ですよね。
吉:そうですね。
S:それで静かな語りの流れの中で、語りをなるべく邪魔しないように縫いながら何て言うんですかね、こうストーリーを追っていくような、ワーグナーの楽劇にバックについているような音楽になってます。
吉:ワーグナーの
S:そうです。あくまでも雰囲気がね、劇場的で、あんまり僕が作ったことが無いような類の曲で、とても気に入ってます。
山:そうですか。僕ね聴いててね、ああーオペラだってあんとき思ったんですよあん時。
吉:そうですよね。
S:「浩二のアリア」っていう、まあその次に「町子のアリア」っていうのがある訳なんですけれども、映画を観てない方には何のことかチンプンカンプンかもしれませんけれども
えーこれまた司会役に変わるんですけれども、
ボク、坂本にどんな印象を持っていたんでしょうか?ちょっと、やりにくいなー (笑)この司会役!(一同笑)
吉:監督はどんなご印象を持ってらっしゃいました?最初の頃の坂本さんと今の音楽もまた、ねー変わってらっしゃるし、坂本さんと印象も変わったでしょうし。
山:5年も10年からも前からもね、音楽を坂本さんにやってもらえたら良いなって思っていたんですよ。だからそんな風にいつも坂本龍一さんの音楽を聴いていたし、例えばTVなんかにお出になると、そんなのも見ていたし、全く初対面だなんてことにはなってなかったんだけれども、でも、今度の映画についてはね、今回はね、絶対これは坂本龍一じゃないとダメだと思いましてね、それで何ていうかなー、原爆という人類の大きな歴史記録に留めなければならない大事件が背景にあるけれども、この浩二と伸子の二人をじっと見つめるというんですかね。そのこの小さな部分を見つめていればそこに広い世界とか長い歴史とか見えるはずなんだと、そうやってじーっと見つめるような映画になればよいなって思ったし、坂本さんの音楽としてね、坂本さんの音楽だったら、そのちゃんとこれが乗るんじゃないかって思ってましてね。そこで小百合さんに相談して何とか坂本さんに承諾してもらえないだろうかと あはははは~笑
S:(笑)
吉:それでね、2014年4月の東京芸術劇場のフルオーケストラと坂本さんののコンサートに伺ったんですよね。
S:そうでしたね。山田監督と吉永さんが来られるということは勿論聞いてはいましたけれども、そのコンサートが終わった直後にまさかこの映画の音楽を依頼されるとは夢にも思ってなかったんので、
山:それはあの時初めて僕の口からお聞きになったんですか?
S:はい。そうです。それでとてもビックリして、違う世界に生きていると思っていましたので、そんな大役を果たして出来るんだろうかなって、心配でしたね自分で。勿論あのーお断りする気は全くなかったんですけれども、果たして自分に出来るだろうかっていう。そっちの方が心配でした。
吉:私が最初に坂本さんにお願いしたのも2010年の平和コンサート、NHKホールでやったんですけれど、監督も来ていただいて
山:はい。行きましたね。
吉:で、その前の年の10月にお食事をしながら、できたらご一緒させて頂けないかってことを
S:そうでしたね。
吉:それで弾く受けて下さって、「生ましめんかな」という栗原貞子さんの詩を朗読して、そして坂本さんがそれに沿うようにピアノを弾いて下さって
山:うーん、それは即興的に?
S:そうですね。即興的でしたね。
吉:初めての経験だったんですね。今までは決められた曲を聴きながら詩を朗読するという。山田監督がよくそうじゃない感じでやったらどうかしらって言って下ってたんですね。だから。
山:そうですね。演奏家があまり一生懸命演奏しちゃうとね、朗読の方が影が薄くなっちゃうんですよね。
吉:そうですね
山:その時だったんじゃないかなー、聴きながら演奏して下さったっていうのはね。
吉:今度の映画もそういう形でとても感じたんですね。坂本さんが何か私たちのセリフを聴きながら演奏して下さってる。これが一つのものになっている。
山:そうだね
S:あのー朗読も映画の映像も音楽のこういう時間とは違うじゃないですか。
吉:はい
S:音楽はこう決まったテンポで進んでいくことが多いですけれども、朗読や映画っていうのはそういう訳にはいかない。で、やっぱり朗読も映画も映像とか朗読のテンポが主人公ですから、音楽を強引に、音楽のテンポに合してしまと、ぎくしゃくしちゃうっていうのかな。たまにはそれが良いことも起こるとは思うんですけれど、でもやっぱり、音楽独自のテンポをぽこっと引っ付けると、どうにも上手くいかないことが多いですね。やっぱり映像を主人公にして、あるいは、そのセリフの流れってのを主人公にして音楽を付けたいとずっと長く僕も思っていたので、吉永さん朗読に曲を付けるにも朗読はあくまで音楽に引っ張られないで、ご自分のリズムで朗読して欲しい。で僕はそこにミュージシャンとミュージシャンとか一緒に演奏するように即興的に、そのテンポを合わせて朗読の流れに乗ってなるべく音楽で引っ張らない
吉:そうね。
S:というのが多分、正しい姿なんだと思ってるんですよね、いつも。
吉:ああー
S:これは映画もそうですね。
山:山本直純さんがよくね、映画は隙間に入っていくんです。あるいは、俳優の芝居の隙間に音楽が入っていくんですってなことを言ってましたよね。だから、その隙間のある芝居が入れやすいんですと
吉:はー
山:ところが俳優によったら隙間のない芝居をする人がいるっていうね
吉:ああ、そういう(笑)。でも今回の映画はとってもセリフが多いでしょ。
山:いや、それはあっても隙間があるんです。それはね、
吉:ああーそういうこと。
山:それはね、作曲家が見つめてそこに入ってくる。
吉:入ってくる
S:そうですね、実際の言葉が無いというところではなくて、何て言うんですかね、難しいですね。間合いとでも言いますかね。チャンバラの真剣の間合いみたいなもの。音楽が主張しちゃうと邪魔してる映画も結構多いですよね。そうはなりたくないなと。
山:うーん
S:いやあそうは言ってますけれども、出来上がったものはどうなんでしょう。
吉:あのう、本当に素晴らしくてもうサントラ盤を擦り切れるほど聴いているんです私(笑)
S:有り難うございます。どうですか監督。
山:初めてコーラスの部分を聴いた時のこと、忘れられませんね。本当に嬉しかったなー。あー良かったと思ってね。これで出来たって感じがしましたね。
吉:はい。
S:あのう、後で聴きますけれどもね、一番最後のところのコーラスの部分ですけれども、それを最初に作ったんですね。あのー映画の中で長崎の市民の方が歌っているという撮影があったんで、僕はその撮影の前に作って、それで監督にお知らせして、それでこれで良いという許可を貰わなければならないと。それでダメって言われたらどうしようって、ちょっとドキドキしながらお届けしたんですけれども、機会があってそういう。
じゃあここでですね、先ほど僕が弾いたピアノで弾いた「町子のアリア」の映画音楽版、弦楽でやっているものを聴いて頂きましょうかね。はい。

「町子のアリア」サントラバージョン。


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