存在する音楽

ジャンルに関係なく良いと感じた曲は聴く
誰かの心に存在する音楽は
実際に音が鳴っていない時にも聴こえてくることがある

AUDIO LIFE

2009-06-20 06:43:25 | 坂本龍一
どうして今頃、聴きたくなったのか?
長らく聴いてなかったから
というのが一番の理由のように思えるが・・・それにしても何故?

1999年4月13日に会見が行われた。十年前。
もともと嫌いなオペラに惹かれた。ラテン語でOPUSの複数形がOPERAである。
なんだマルチメディアだ!と話していた教授。

坂本龍一と高谷史郎とのコラボレーションにより,新たに生み出された《LIFE - fluid, invisible, inaudible ...》.音と映像のたえまない出会いが生起するこのインスタレーションは,「流動するもの,見えないもの,聴こえないもの」のDVDを買ったこと

ダライ・ラマ14世の亡命50周年にあたること

教授の2009年のツアーに参加したこと

などが影響しているのだろうか?

朝日新聞創刊120周年記念/テレビ朝日開局40周年記念
LIFE a ryuichi sakamoto opera 1999

大阪城ホール
1999年9月4日(土)
1999年9月5日(日)

日本武道館
1999年9月09日(木)
1999年9月10日(金)
1999年9月11日(土)
1999年9月12日(日)

以上の公演でのベストテイクを教授が選んでGoh Hotodaとミックスしたというアルバム

CDを聴いたら映像まで見たくなった。

















Disc 1
Door Open
 会場のアナウンスが何ヶ国語かで流れる。

 エリック・サティのVexationsのピアノ曲が流れている。演奏は教授。
ステージの多画面スクリーンには「月世界旅行」1902年制作)の映画のシーンが流れている。

Overture
イントロダクションで
 村上龍が書いたtext「The MONOLOGUE of DEAD LETTERS POSTMAN」をスペイン出身のテノール歌手のJose Carreras(ホセ・カレーラス)が朗読

膨大な量の手紙がわたしの腕の中で眠っている。

わたしはまるで生まれたばかりの赤ん坊を抱くようにその手紙の束をこうして抱いている。
たぶん、まだあなた方には見えていないはずだ。

その手紙の束も、そこに書かれている多種多様な国の文字も、さまざまな筆跡も、まだあなた方には見えていない。
20世紀に書かれて、相手に届くことが無かった無数の手紙・・・・


髪を何本も尾のある流星のように後頭部から更に後ろに突き出すように固めたヘアースタイルの教授がピアノの前に座る。ピアノ・ソロからオーケストラの演奏へ。
赤く染めた髪の男性が映像に浮かび、その隣を実物の男性が歩く。やがて沢山の人が映像で歩き始める。本を開いて読んでいて、移動を始めた教授の映像も・・映像書棚の前を走ったり階段を上がったり下がったり、斜めに傾斜するステージ、スクーリーンの合間に出入り口があり、そこをスピードを換えて出入りして移動するダンサー達

1-1 War and Revolution
閃光が会場を照らすような効果
映像にはライトを照らす兵士の映像

Their Finest Hour"これこそは彼等の最も輝かしい時" / 演説 : Winston Churchill(英元首相ウィンストン・チャーチルが下院議会で1940年6月18日に演説したもの)

Jezt komme, Feuer!の映像(マルティン・ハイデガー)
ナチによるユダヤ人収容所の映像
そこに灰がある / 朗読 : Jacques Derrida(ジャック・デリダ)

きみはヒロシマで何も見なかった

アンジェラ・デイヴィスはあなたがたの手中にある /Jean Genet(ジャン・ジュネ)
 黒人を迫害し、リベラルな白人を迫害し、最後には自分も殺す

I have a dream/Martin Luther King Jr.(キング牧師の演説)


1-2 Science and Technology
映像:世界の破壊者 / ロバート・オッペンハイマー(原爆開発の創始者)

世界が二度と元には戻らないと分かっていた。笑う者はほとんどいなかった。泣く者もほとんどいなかった。
多くの者は黙ったままだった。私はヒンドゥー教の聖典、バガヴァント・ギーターの一節を思い出した。ビシュヌ神は王子に向かってこう説いた。本分を尽くさなければならない。そして威圧するため、
多数の手を持つ姿になりand says  now I am become Death... Death...  Death...
the destroyer of the worlds.世界の破壊者となった。
I suppose we all thought that one way or another.私たちの誰もが、おそらく何らかの形でそんなことを考えていた。

映像には多数の文字が ぷよぷよ のように落下してどんどん積もっていく。スクリーンの一番上と下に数字が高速で変化している。

Disc 2
イントロダクション2で
 村上龍が書いたtext「The MONOLOGUE of DEAD LETTERS POSTMAN」Chapter 2をスペイン出身のテノール歌手のJose Carreras(ホセ・カレーラス)が朗読
膨大な量の手紙がわたしの腕の中で眠っている。わたしはまるで生まれたばかりの赤ん坊を抱くようにその手紙の束をこうして抱いている。
手紙は今も増え続けている。手紙は、冬の始めに降る雪のように、静かに、ゆっくりと、途切れることなく、増え続ける。
あなた方は沸騰する海を見たことがあるだろうか。わたしが列車に乗って旅を続けていたころ、沸騰する海の傍を通ったことがある。わたしは窓のガラスを開けて、その奇怪な景色を眺めることにした。溶岩が海に流れ込み、あたり一面に、硫黄の匂いが漂っていた。炎のような色をした空から降り続いていた雨は、海面に到達しないうちに蒸発し、光はどこにも射していないのに、周囲は奇妙に明るかった。それは世界の終わりのようでもあり、また始まりのようでもあった。ふいに、懐かしい言葉が聞こえた。「手紙は音楽と呼応する」
そして、わたしがその言葉を反芻すると、言葉は変容した。
言葉は、「手紙」「音楽」「反応」という三つの部分に分かれ、それはさらに、「手」「紙」「音」「楽」「反」「応」
という六つの部分に分かれた。分化した言葉は、沸騰する海の中に沈んでいくにしたがって、さらに細かく分かれていき、声にして喋ることも、文字として読むこともできなくなっていった。それは、不可視の微少な集合体となり、ある部分はさらに細かく分離し、ある部分は、他の部分と結合した。沸騰する海水の流れに揺れながら、細かく切断された言葉の分子は、分離と結合を永遠に繰り返すかのようだった。

気が遠くなるほどの時間が過ぎて、空の色が変わり、沸騰する海が凍りつき、さらに長い時が流れて太陽が姿を現し、氷が溶けだし、水蒸気が立ち上がって、それが幾重もの虹となり、溶岩が流れ始めて、やがて海は再び沸騰した。その間も、分子になった手紙の断片は、分離と結合を繰り返していた。そうするうちに、手紙の断片は、もっとも単純な記号、つまりアルファベットのようなものを形作ることになったのである。Aがあり、Gがあり、Cがあり、Tが、そして一部には、Uがあった。その手紙の断片は、鎖状につながっていた。
手紙。
あなたも、手紙を書いたことがあるはずだ。夜中に、あるいは朝。別れの切なさに涙しながら、あるいは出会いのうれしさに微笑みを浮かべて。溜息と共に、あるいはまるで歌うように。あなたは文字を綴り、それは信号となっていく。手紙は、届けられた瞬間に、受け取った人に刻み込まれ、変化し、進化する。
この宇宙全体にも、わたしたちのからだの細胞ひとつひとつにも、分離し、結合し、変化し、進化した信号が充ちている。あなた方は、わたしの手紙の束を受け取るときに、そのことにきっと気づくだろう。

2-1 Evolution of Life
水面の映像に白人の女性シンガー(誰だろう?)、男女二人のダンサーが踊る
てぃんさぐぬ花/NEO GEOの沖縄メンバーの三線演奏が重なる、そして歌へ

Evolution of Life/voice, text : Professor Lynn Margulis(生命の進化 / アメリカの生物学者リン・マーギュリス)

地質時代に遡るはるか太古から、進化の稲光が一閃するように、共生発生が新しい生命を創造してきました。共生とは、名前の違う生物、通常は異なる種の生物が、文字通り、物理的に接触していっしょに生きていることです。共生生物は同じ場所に、同時に、接触しながら、あるいは相手の体内に住んでいます。
共生発生は、数少ない、長期的な共生がもたらしたものです。そして進化の過程なのです。私達は、共生の惑星に生まれた共生生物です。共生はいたるところに見ることができます。地球上の生命のパノラマ、太古の共生バクテリアからはじまった進化は、偉大なドラマといえましょう。私達の目に見える大きさの生き物はすべて、かつては独立した存在だったバクテリア、つまり原生生物を含んで構成されています。という事は、大きな生物は、たがいに補い合う微小生命の合体から構成されているのです。
現在の地球上の生命、つまり水滴や、都会、ジャングル、森、海、草原に住んでいる生物はすべて、太古のバクテリアの子孫です。共生発生という進化を説明する用語は、長期にわたって固定化された共生によってもたらされる新しい生命、組織、臓器、新しい種を意味いています。
いかなる種も、共生バクテリアが細胞核との融合により大きな細胞となるまでは、すなわち融合して原生生物の形になる以前は、存在しなかったのではないかと私は思いますし、実際にそうした主張をしてきました。
バクテリアは、遺伝子を交換、また、水の中に放出し、他のバクテリアのDNAを吸収しました。死んだ生物のDNAを飲むことさえしました。細胞は複製をおこなう食物だったのです。バクテリアには、異なった種類がありますが、安定した種を形成できるわけではありません。泳いだり、合成したり、酸素を吸収したりする、それぞれ異なるバクテリアが長期的に共生を続けるうちに、やがて核のある複雑な細胞への進化が起こります。
初めてのバクテリアの融合からは、評価は低いのですが、この世界でもっとも重要な有機体である原生生物が生まれました。この知られざる英雄は、すべての動物、植物、菌類の祖先なのです。


2-2 History of Gaia

映像:水中に飛び込んだあとに出るたくさんの水泡が巨大なDNA螺旋を形成

「波と暮らして」 オクタヴィオ・パス
あの海から帰ろうとしたとき、無数の波をかき分けるようにして、ひとつの波が近づいてきた。軽やかですらりとした波だった。ほかの波がひらひらした衣装のすそをつかんで、行くなと叫ぶのを振り切るようにして、ぼくの胸にとりすがると、ぴょんぴょん跳ねながらついてきた。何も言う気はしなかった。仲間の波の前で恥をかかせるのはかわいそうな気がしたし、大きな波に睨みつけられたので身体がすくんでしまったのだ。町に着くと、彼女に、やはり一緒に暮らすのはむりだ、都会生活は、きみみたいな海しか知らない世間知らずの波には考えもつかないほどの厳しいものだよと言ってきかせた。けれども、彼女は思い詰めたような目つきでぼくを見つめた。『だめだ、彼女はもう心を決めている。帰れと言っても、帰りはしないだろう』ぼくは優しい態度をとったり、冷たく突き放したり、皮肉たっぷりに言ってきかせたりした。けれども彼女は泣いたり、わめいたり、ぼくを愛撫したり、脅しめいたこと言ったので、けっきょくぼくのほうから謝る羽目になってしまった。
次の日からぼくの苦労がはじまった。車掌や乗客、それに警官までいるが、その目をごまかしてどうやって汽車にのせたものだろう?乗客規則にはたしかに波を運んではいけないと書いていない。けれども、なにも触れていないということは、そういうことをすれば厳罰に処せられるということではないだろうか?いろいろと考えたすえに、ぼくは乗車一時間まえに駅へ行ってみた。席をとり、誰も見ていない隙に飲料水のタンクを空にして、彼女をそっと注ぎ込んだ。……
愛は遊戯であり、永遠の創造だった、あらゆるものが浜辺、砂、いつも真新しいシーツだった。抱き締めると、彼女はみずみずしいポプラの木の枝のようにずんずんと上に伸びていき、やがてそのほっそりした身体が突然白い羽毛の噴水、笑いさざめく羽織りとなって飛び散り、ぼくの頭や背中に降りそそいで、ぼくの全身を真っ白に染め上げた。時にはまた、目の前で身体を横たえた。音楽のように、巨大な唇のように、うねりながらぼくの身体をすっぽり包みこむこともあった。波のように寄せては返す愛撫やさわめき、口づけを受けてはじめて、彼女がそこにいると分かった。ぼくは彼女の水の中にひたり、溺れそうになる。すると、たちまちぼくの身体は宙に押し上げられ、どこをどうしたものかめくるめくほど高いところで宙吊りにされる。しばらくすると、まるで石ころのように落下するが、最後にはふわりと羽根のようにやさしく受け止められて、乾いた床に寝かされているのだった。水の中でゆらゆら揺れながら眠るのは、たとえようもなく心地よかったが、やがて波がいかにも楽しそうに軽く叩いたり、打ち寄せたりして、ぼくの目を覚ます。そして、笑いながらむこうのほうへ引いて行ってしまったものだ。
けれども、いつまでたっても彼女の中心にはたどり着けなかった。あえぐ声と死を結びつけているあの一点にどうしても触れることができなかった。女性には、傷つきやすく、時に死を招くこともある秘めやかな部分がある。それに触れると、電流が通ったようにしがみつき、痙攣し、身体を反らせ、ついには失神する箇所がそなわっているのに、彼女にはそれが欠けていたのだろう。波はあらゆる女性と同じように感応したが、その感応の仕方は求心的でなく、遠心的なもので、波動とともに広がり、ついには他の天体にまで届いた。
彼女を愛するのは、はるか彼方の物体と触れ合うこと、想像もつかないほど遠い星々とともに身体を震わせることにほかならなかった。けれども、中心・・・いや、彼女には中心がない。渦巻きの中心ににた空虚があるだけで、それがぼくを呑み込み、窒息させるのだ。
ぼくたちは並んで横になると、内緒話をしたり、囁き合ったり、笑ったりしたものだった。波は身体を丸くすると、ぼくの胸の上に落ちかかってきたかと思うと、とたんにざわめく植物のように広がり、貝殻のような形をしたぼくの耳もとで歌をうたった。ペットのようにおとなしく慎ましやかにぼくの足もとに身を投げ出したが、そんな時は波の身体が透明になった。全身が透けて見えるので、彼女の考えまでが手にとるように分かった。夜になると、燐光に包まれることもあったが、そんな彼女を抱き締めると、炎の入れ墨をした夜の一部を抱いているような錯覚にとらえられた。けれども、突然陰気にむっつりふさぎ込むことも珍しくなかった。思いもかけない時に、だしぬけに呻き出したり、溜め息をついたり、身をよじらせたりした。夜中に唸り声をあげて近所に人たちを起こしたこともあった。その声を聞く、潮風がぼくの家のドアを引っ掻き、屋上でごうごうと唸り声をあげた。曇りの日はとりわけ機嫌が悪く、苛立たしそうにしていた。家具を壊し、汚い言葉を口にし、悪態をつき、ぼくの顔に灰色を緑色の泡を吹きかけた。唾を吐き、泣きわめき、呪詛の言葉を口走り、不吉なことを予言したりした。月や星、それにべつの世界を照らす光に支配されて、彼女に気分と相貌はその時どきに変化した。その目まぐるしい変化を見て、ぼくは幻想の世界に迷い込んだような気持ちになったが、彼女にしてみれば、自分の意思でそうしているわけではなかった。…
冬が来た。空はどんより雲り、街には霧がたれこめ、氷雨が降っていた。波は夜になるときまったようにわめきちらした。日中は、誰とも口をきかずむっつりふさぎ込んで、部屋の隅でぶつぶつこぼしている老婆のように同じ言葉をくり返し呟いていた。身体は氷にように冷たくなり、いっしょに寝ると、一晩中がたがた震えがきて、血や骨、それに思考までが凍りついたようになった。彼女は落ち着きを失くし、不可解でとらえどころのない存在になった。ぼくはしょうっちゅう外出するようになり、しかも日毎に帰宅時間が遅くなった。その波は部屋の隅で呟いていた。鋼鉄のように鋭い歯と、あらゆるものを腐食させるその舌で、壁をかじり、ぼろぼろにした。夜はほとんど眠らず、ぼくをなじり続けた。時には悪夢にうなされ、太陽と焼けつくような海岸にあこがれて、うわごとを言うこともあった。そのうち、極北の海を夢に見るようになった。何ヶ月もつづくほど長く感じられる夜の闇に閉ざされた空の下を、氷山になって漂ってゆく夢だった。波はぼくを悪しざまに罵った。さんざん悪態をついたかと思うと、急に大声で笑い出すこともあった。高笑いの声と亡霊が家に満ちあふれた。やがて波は、深海に棲む、盲目で愚鈍だが、動きだけは敏捷な怪物を呼び寄せた。彼女の身体が帯電し、触れるものすべてを炭にかえ、さらにまた、身体が酸化して、さわるものをことごとく腐敗させた。以前は柔らかだったその腕もいまではごつごつしたロ-プのようになり、ぼくの首を締め付けた。黒ずんだ緑色の身体が苔のように容赦なくぼくを打ちすえた。ぼくはたまりかねて逃げ出したが、それを見て気味の悪い魚たちが残忍な笑い声をあげた。 松の大木と断崖に囲まれた山奥に逃れ、冷たくて澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込んだが、そこでようやく開放感を味わうことができた。ひと月後に、家に帰った。ぼくは心を決めていた。しばらく前から、猛烈な寒さがつづいていた。家に入ると火の消えた大理石の暖炉の上に、一体の美しい氷の像があるのに気づいた。しかしもう彼女には辟易していたので、その美しい像を見ても、心を動かされることはなかった。その氷の像を帆布の袋に放り込むと、眠っている波を肩にかついで外に出た。郊外にあるレストランへ行き、 顔見知りのウェイターに、波を売り飛ばした。ウェイターは、さっそくアイスピックで小さく砕き、ボトルを冷やすアイスペールに氷片を丁寧に詰め込んでいった。

モンゴルの女性シャリーン・チメドツェイェの歌
ユッスー・ウンドゥールのように聴こえる白塗りした黒人男性サリフ・ケイタの歌

テオドール・W・アドルノ 「マーラー」訳
大地を去ってゆく音楽のまなざしには、そうこうするうち宇宙空間からとっくに撮影されていたように、大地は見渡しうる球へと円くなり、創世の中心ではなく、ちっぽけなものでかつ儚いものなのである。このような経験にはその上、人間よりも幸福な者たちが住んでいると考えられる他の天体によせる憂鬱な希望が加わる。しかしみずから遠ざかった大地は、かつて星々が約束していた希望を欠いている。大地は空虚な銀河系の中で没落する。末期の眼は、果てしない空間の雪片のもとで凍死するまで過去の希望に溢れているのだが、その希望の反照としての美しさが大地の上に横たわっている。このような美しさに対する恍惚の瞬間には、非魔力化された自然に頼って堕落してしまった存在に固執していればよいと思われる。形而上学は可能でないということが最後の形而上学となるのである。

国破山河在の杜甫の詩(春望)

合唱 : 「絶滅した種のリスト(The list of extinct species)」
「オッペンハイマーのアリア」のチェロの部分の反復
オーケストラ & 合唱 : "マタイ受難曲 BWV244" より 受難コラール Johann Sebastian Bach(ヨハン・セバスティアン・バッハ) 楽曲反復


3-1 Art
さよなら 遺伝子と電子工学だけを残したままの 人間の世紀末 / 田村隆一
最後の審判について / 埴谷雄高
救いなどないことを発見することこそが救いなのだ/映画監督のベルトリッチ

3-2 Response
主の祈り / 声 : ウィリアム・バロウズ

3-3 Light

昔の展望台にて / 村上龍(小説家)

ダライラマ14世からのメッセージ
現実において、一つ一つの出来事は、多くの要因から成り立っています。現実の物事は相互依存しているからです。しかし、何か問題が生じると、私たちは頭の中で、一つの要因のみを
取り上げて問題を解決しようと考えます。現実の出来事は、もっと広汎な要因を含んでいます。つまり、他にもたくさんの要因があるのです。ですから、一つの要因だけを目に向け取り組もう
としても、問題の解決にはなりません。実際、物事は相互依存して成り立っているので、問題を解決するためには要因全てを考慮に入れなければなりません。そのため、もっと広い視野、
全体論的な視野を持つことが、大変重要になります。こうした角度から判断すると、極端になったり一方的になったりすると、遅かれ早かれ、苦しみを受けることになります。私たちは皆、一
つの惑星である地球を共有しているのです。もし地球全体が何らかの危機や問題に直面しているとしたら、例外なく誰もそこから逃れることができません。これこそが現実なのです。要する
に私のここでの論点は、長期的な重要性について考え、もっと広い視野から状況を見るということです。それでも、人は自分の信念と権利を持つことができるのです。問題ありません。


般若心経

バッハのマタイ受難曲 レクイエム

補足仕切れないメッセージが音楽と呼応する。


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2 コメント

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Unknown (まき)
2009-06-20 23:50:09
「LIFE」、見に行きました。懐かしい・・・。

全ての演目が終わって客席に明かりがついたら、
「Purple Haze」が流れてビックリしたことを覚えています(^^)
返信する
Unknown (存在する音楽)
2009-06-20 23:52:04
LIFEを見に行かれたんですねー

ジミヘンが流れたんですか。このエントリーを書いた甲斐がありました。
知りませんでした。
返信する

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