存在する音楽

ジャンルに関係なく良いと感じた曲は聴く
誰かの心に存在する音楽は
実際に音が鳴っていない時にも聴こえてくることがある

バッケンレコードを超えて

2013-01-27 16:28:18 | ドラマ
スキージャンパー 金子祐介[福士誠治] 1976年4月18日生まれ
と妻 金子ひとみ[比嘉 愛未(ひが まなみ、1986年6月14日 - )]さんのドキュメンタリーに基づくドラマ
北海道文化放送開局40周年記念ドラマ

ひとみさんのフィアンセの金子祐介さんが大倉山でバッケンレコードを残している。
外国でジャンプの練習中に事故。脳挫傷となり、記憶障害に。

ひとみさんのことも思い出せない。
リハビリを続ける日々

金子さんのお父さんより、結婚を取りやめにする方が良いと告げられても
ひとみさんは断り、金子さんに寄り添う。

二人は記憶も徐々に取り戻した金子さん
遂に大倉山でジャンパーとしてジャンプ台でもジャンプを
選手として復活を

結婚する二人。
そこで倒れたひとみさん
心臓の筋肉が徐々に弱っていく病気に

しかし選手として契約更新はせず
一番大切な 妻を選んだ
引退ジャンプ
「バッケンレコードを超えてやるよ」
とかけつけた ひとみさんに声をかける


2012年5月にひとみさんは亡くなられたとのこと

何があっても諦めない
奇跡を起こした
二人が出会ってことで生まれたものと
避けることが出来なかった運命と

HPより

 来年1月27日(日)に放送が決定した北海道文化放送の開局40周年記念ドラマ『バッケンレコードを超えて』。既に発表になっている主演の比嘉愛未、相手役の福士誠治、手塚理美、陣内孝則ら主要キャストと共に、物語に花を添えるのが大泉洋(友情出演)、里田まい、中井貴一(特別出演)ら豪華共演陣だ。

 ドラマ『バッケンレコードを超えて』は北海道文化放送が制作し、第17回FNSドキュメンタリー大賞を受賞したドキュメント『バッケンレコードを越えて』(2008年制作)を基に創作したドラマで、今年の2月から北海道各地や東京都内でロケを行ってきた。物語は札幌の大倉山ジャンプ競技場のバッケンレコードを有しながら、練習中の事故で大けがを負い記憶を失ってしまうスキージャンパーと、自分の名前も忘れてしまった彼を、愛し、信じ続け、奇跡の復活を献身的に支える恋人との真実の愛を描く。

 この感動の物語の中で主要キャストたちとさまざまな形で関わり花を添えるのが豪華共演陣だ。ヒロインの恋人でスキージャンパーの浩輔(福士誠治)の先輩役として登場するのが地元北海道出身の大泉洋(友情出演)。飄々とした演技で独特の存在感を発揮する。ヒロインはるか(比嘉愛未)の職場の同僚役を務めるのはこちらも地元北海道出身の里田まい。結婚後、芸能活動を控えている中で久々に見せる溌剌とした演技が見どころだ。そして、ヒロインに重要なアドバイスを送る中年の男を演じるのが中井貴一(特別出演)。重厚感あふれる演技で物語に深みを与える。

あらすじ

 舞台は、北海道札幌市。歯科衛生士の神足はるか(比嘉愛未)にとって、恋人の本田浩輔(福士誠治)は自慢の彼だった。浩輔は、日本最大級の札幌・大倉山ジャンプ競技場のバッケンレコード(最長不倒記録)保持者で、オリンピック出場を有望視されるスキージャンパー。二人の仲は、互いの親も公認で、浩輔の父・本田隆利(陣内孝則)も、「二人の子供も、スキージャンパーにしたい」と、今から楽しみにしているほどだった。
 しかし、悲劇は突然起こった。フィンランドでのオリンピックの強化合宿中に、浩輔が事故に遭ったのだ。「浩輔が、飛んだ瞬間に板が外れて頭から落ちて…」事故を知らせる浩輔の母・本田留美(手塚理美)の悲痛な声に、ぼうぜんとするはるか。東京の病院に搬送された浩輔の変わり果てた姿に対面した家族はがくぜんとする。奇跡的に一命は取り留めたものの、浩輔は脳挫傷のために記憶を失い、恋人のはるかのことさえも忘れてしまっていた。それだけではない。あれほどまでに全てを懸けて打ち込んできたのに、自分がスキージャンパーだったことさえも分からなくなっているのだ。もはや社会復帰できるかさえも分からないという。「浩輔は、もう昔の浩輔じゃない…。結婚を取りやめるのなら、今だと思う」父の責務として、振り絞るように告げる隆利。しかし、はるかは、浩輔から離れることなどできなかった。
 記憶を失い、ネコ、イス、トケイ…そんな簡単な言葉さえもなくした浩輔のリハビリ生活は、一進一退を繰り返す、長く険しいものだった。昨日思い出したことを、今日はまた忘れてしまう。祈るような思いで寄り添い続けたはるか。しかし、一方の浩輔は、「あの親切な人、誰…?」と、いまだはるかのことが分からないでいた。
 そんなある日、奇跡が起こる。かつてバッケンレコードを記録した大倉山ジャンプ競技場からの景色を目にし、浩輔に、スキージャンパーの記憶がよみがえったのだ。と同時に、はるかが自分の恋人であることも思い出した浩輔。こうして、二人は、事故の悲劇を乗り越え、さらに絆を深め共に生きることを誓い合った。
 しかし、結婚式当日、さらなる悲劇が二人を襲った。はるかが原因不明の難病に冒されてしまったのだ。せっかく選手として復活を遂げた浩輔の足手まといになりたくない…そう思ったはるかは、浩輔の元から去ろうとするが……。

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JT / JAMES TAYLOR

2013-01-27 11:34:13 | album j
雑誌「cast」2012 NO,46
上原ひろみ特集を読んでいて、
上原さんのお気に入りの音楽が紹介されており、未知な領域に惹かれていきました。
その中の一枚
上原さんは「JT」というアルバムが好きとのこと

ジェームズ・テーラー
米国マサチューセッツ州ボストン出身
1948年生まれ 現在64歳
細野晴臣も影響を受けたミュージシャン


JT
1977年発売のアルバム 9枚目



1. Your Smiling Face
POPなメロディー曲 思わず続けて聴きました。

2. There We Are
静かな曲

3. Honey Don't Leave L.A.
ロック調

4. Another Grey Morning
やさしげに歌うソフトな感じに楽器が何とも言えない寂寥感の音

5. Bartender's Blues
カントリーっぽい、ゆったりとした歌

6. Secret O' Life
メロディーが魅力的な曲 アコースティックギターの音も気持ち良い。

7. Handy Man
爽やかな感じで、メロディーも親しみやすい。

8. I Was Only Telling A Lie
エレキギターとベース
良い感じ。

9. Looking For Love On Broadway
メロディーがしっくりとくるなぁ

10. Terra Nova
ちょっとアイリッシュな感じと言えるのかな?
思わずリピートしたくなるメロディー

11. Traffic Jam
ラップとまでは言わないけれど、殆ど語りのような歌

12. If I Keep My Heart Out Of Sight
とても魅力的なメロディー
うっとりする

全体的に魅力的なメロディーが多く
歌詞はよく判らなくても、心地よい。
上原さんは、どういう時にこのアルバムを聴くんだろう?


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2013,1,22 元春レイディオショー

2013-01-22 06:22:37 | 佐野元春
新春特集 音楽をもっと聴こう」の第三回目は、ゲストに著名なDJである小林克也氏をお迎えし、洋楽を聴く楽しさについて

火曜の夜11時は元春レイディオショー

1 All Shook Up : Elvis Presley

1957年の曲

S:こんばんは
K:こんばんは、どうも小林です。
S:今日は楽しみにしていました。
K:プレスリーからでしたけれど、これは57年のヒット盤
S:そうです。克也さんはお生まれが
K:生まれは1941年 
S:41年。ということは克也さんはリアルタイムでエルヴィスを聴いていたということですよね?
K:勿論
S:50年代の洋楽の様子について、ちょっと僕は知りたいんだけれども。エルビスが日本に輸入される訳なんですけれども、当時はアメリカのヒットよりも少し遅れて日本に入ってきたりとかしていたんすか。
K:そうですね。新聞とかはね早かったんですよ。PTAが怪しからんという風なシンガーが出てきたって。言う風な記事が結構色んな所で書かれていた。僕は駐留軍の放送を聴いていて、その頃はクルーナーの時代だから、シナトラがね、・・そういった時代に何か訳のわからない声が聴こえてきた。これは何?これが気持ち良いんですよ。それがプレスリーだった。語学の力が伴ってないわけだからそんに判らない訳ですよ。これが学校から帰ってラジオ点けると毎日かかっているから、これは凄いんだって思っていたら、新聞記事でプレスリーって。これがエルヴィス・プレスリーなんだって、PTAとか親の世代はみんなもう猛反対して、揉み上げが長いとかそういう風なことも知るわけですけれども、姿かたちはわかんないんですよ。で、6か月くらい後になってそのレコードが紹介されるようになって、それから早かったですね。プレスリーの「LOVE ME TENDER」という映画で初めて見るわけですよ。で、あの映画はプレスリーは本当は役者をやりたくて、歌うつもりはなかったんだけれども、そりゃあ歌わなきゃならないだろうってことになって歌うことになって、、まあそれはやっぱりわかりましたね。だって歌う所が一番良いんだもの。それで、プレスリーのさっきかかった「All Shook Up」だとか所謂ロックンロールが紹介されるようになって、まあ僕らの世代は皆ギターなどはないわけですから、箒で、鏡とか見てギターの真似してプレスリーをしていたって時代です。
5:44

S:なるほど。 All Shook Up 1957年のヒット曲。1941年生まれという克也さんは当時16歳。まさにこれから多感な時期を迎えるという頃
K:15の時にプレスリーが来るわけですね。ホテルでどーんと。
S:そうですね。となると洋楽の情報を知るメディアっていうとラジオということになりますよね?
K:そうです。ラジオですね。
S:TVではそうした海外のミュージシャンの情報は流していたんですか?
K:ほとんどない。洋楽に関していうと、民間放送なんかでも30分放送とか1時間放送なんかだとご馳走みたいなかんじで。1時間番組だなんかだとロックはあんまりかかんないんだよね。イージーリスニングみたいなのだったり、さっき言ったシナトラとかクルーナーみたいなタイプが流行ってた。それで50年代に入ると、ちょっとそのロックまではいかないんだけれども、ジョニー・レイって知ってます?
S:はい
K:
6:50

2 Somethin' Else : Eddie Cochran

3 Lotta Lovin' : Gene Vincent

S:ジーン・ヴィンセントは
K:僕はラジオっこだったんですよ。米軍の
三沢のハイスクール
土曜日のお昼くらいからダンス・パーティーやってるなって
どんどんどんって本当に大きな電波でやってくる。中波もそうだし短波もぶつけてラジオがあちこちのが流れてきて、我々は面白くて、ちょっとずれると英語が聞こえてきたり、短波でも中波でも聞えたし。
木曜日とか金曜日の1時半とかね、学校があるじゃないですか。学校をさぼって家でラジオを聴くわけですよ。
高校後半くらいからなかな?そのころからDJとかの手法とかを気になって
重要な娯楽でしたね。
日本のものにないものがあり、
DJについては自宅から放送しているわけではないのに、冷蔵庫から飲み物を出したりしてたりとか、殆ど離さないDJだったりとか、どんな生活をしているんだろう?この人は黒人だろうな?とか、これは黒人ではなかったの?っとか

S:視覚的なものがなかったわけですよね

K:そう。黒人だと思っていた人って多かったわけですよね。

S:克也さんの場合は、人に紹介しようってことに
K:僕の場合は気が付いたらやっていたって感じで、自分はこれをやっているんだって気が付いたのは30代くらいから。
S:DJみたいなことをやってみようってことで
K:これは僕はミキサーをやっていて、番組をやっている人がやってみない?って言われて、DJ
S:お手本にされたDJとか
K:そういうことは意識するんだけれど、日本語でやるでしょう?あのころは15分番組だったんだけれど、音楽を流しても時間が余ったりするんだよね。喋ってよって言われて、喋るのが当たり前になって。音楽をいろいろと解説するっていうのは得意ではなかったんですよ。良いものは良い嫌いなものは嫌い。
プレスリーでもこの曲は好き、あれは嫌いって感じで好きなものだけかける

4 I'm Looking for Someone to Love : Buddy Holly & The Crickets

K:真似なんだけれども元春。

S:ベストヒットUSAを始められたのは
K:81年
S:ミュージック・クリップが出てきて、それを紹介するっていう。克也さんはそれまでラジオでされてましたよね。
それがTVに
K:最初は断ったんですよね。うちの外にいるジャーマネがね
S:奥さんですね あははは
K:紹介すると翌日3倍とか5倍とか売れるようになって、やがて使命感が芽生えてきて、知らなかったんだって。僕としては入り口として、良いところを紹介していけばいいか。素人としてというか愛好家というのはとても好き嫌いがあるんですよ。映画とかはもっと好き嫌いがあるんですよ。くさすっていうことは大変。責任があることなんだから、命をかけているんだから、良いところを褒めてあげようってなりました。
S:ロックンロールミュージシャンとかも変わったエピソードとか
K:普通のことを聞くと、相手はそんなことを聞くのか?って顔をするんだ
終わったら、悪かったなーみたいな
イギリスのミュージシャンなんかは普通の質問をすると馬鹿にされるみたいなことがありましたけれどね
。あれは本当に難しいと思いますよ。プロモーションのために番組に出てきている訳ですよね。でもみなさんんが楽しみたいと思っているのに

S:これは好きでされてたんじゃないかって、スネークマンショー
K:こういうのが俺が向こうので聴いたやつだって。寸劇までいかない、シャワーで女の人が鼻歌を歌って、女性は裸じゃないですか、そこにウハハハハって男の声が入り、音楽が入ると面白いじゃないですか。それは音から入ったんですよ。
S:僕らの世代ではマリファナを所持していたことで日本でコンサートが出来なかった
K:ポール・マッカートニーね
S:ポールが捕まっちゃったことをスネークマンショーで
K:ポールのことをよく知らない日本の警察官
これ、流すの?
S:はい。NHK大丈夫かな
K:過去にNHKすでに流してますよ

5 はい、菊地です(〜7人の刑事) : Snakeman Show

3PICKS!
The Chieftains
アイルランドの音楽をわかりやすく紹介したバンドです
結成50周年
ジャンルを超えて多くのミュージシャンからリスペクトされています。
エルヴィス・コステロ、スティング、
僕が初めてアイルランドの音楽を聴いたのは、ヴァン・モリソンでした。
アイルランドの伝統音楽はアメリカ大陸に渡って、カントリーミュージック
アフリカ大陸の音楽が混じってブルースに
現代音楽の源流
百合の様に美しい女 彼女の美しさを見て 刺してしまう

6 The Lily of the West : The Chieftains & Mark Knopfler

S:この生音の響きは何とも言えないですよね。
K:佐野さんが紹介して音がわーって出るあの感覚
S:これはラジオでないと得られない感動ですよね。景色がわーって広がる
K:TVでやると大変
S:洋楽を若い人たちが聞かなくなってきているってことについて
K:僕は実はあんまり悲観的ではないんです。日本のアーティストの方がいろんなことをやるようになってきているし、言葉が通じないから身近ではない。佐野元春のファンは洋楽を聴くかもしれないけれど、その人たちは洋楽よりも佐野元春の方が好きかもしれない。僕も

K:今僕らがやっている放送を聴いてくれている人たちは何で聴いてくれているのか?って佐野さんわかりますか?S:昔はわかったんですけれど
K:僕は悪い音っていうかモノラルの音って好き
S:モノは決して悪い音ではないですよ
K:ええ。
S:今はyoutubeとか凄く発達して これを欲しいって買うことが出来るようになっているけれど、
音楽との出会いはもっと偶然であっても良いと思うんですよね。

K:佐野さんがゲストでってのはあったけれど、僕がゲストっていうのは初めて



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MUSIC LOVERS 2013,1,20 GLAY

2013-01-20 23:31:41 | TV番組
続けてTV番組を見ています。

最近アルバムを連続で出したGLAYがゲスト
ファンのゲストは武井壮

「誘惑」

TERUが「行くぞー」って両手を広げて上を向いた時に武井がキック
何なんこれ?

雪降る函館でロケ
高校時代の同級生 二人の男性が 函館でよく集まる店へ
TAKUROに結婚した時にもらった葉書を紹介

スナック ペア
TERUがバイトしていた店
TERUの叔母のお店
TERUにアタリメを焼いてくれというお客がいた。
当時の写真も紹介
当時TERUが歌って録音した
「メリー・ジェーン」のテープも流れた。


「SOUL LOVE」
「運命論」

今年、函館野外ライヴをやるとのこと

LIVEとは心の中の花を咲かせる場所

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題名のない音楽会 ジョゼッペ・ヴェルディ

2013-01-20 23:02:08 | TV番組
2013年1月13日放送 (1月20日再放送)を見ています。

2013年 ヴェルディ生誕200年 
トリノに佐渡裕も

リナ・ヴァスタをゲストに迎えて

ミュージシャンでありながら、ヴェルディ本人が「自分の最高傑作」と謳う、老音楽家のために建てた“憩いの家”
老後を不幸に過ごすミュージシャンが多いことに対して建設。
晩年を音楽家夫妻が集まって音楽を語りながら生活。
入居条件はプロの音楽家としての経験がある。
バレエダンサー、作曲家、指揮者、楽器演奏者など音楽に関わった人
全収入の80%が自己負担。ヴェルディー財団がフォロー
看護などもサポート。お葬式もやってもらえる。

ここに入居した80歳ソプラノ歌手リナ・ヴァスタ
夫が亡くなった後に入居したのは、夫が34歳年上の指揮者で、ここに入ることを決めていた。
宗田真季という日本の若い歌手をレッスン

年金生活を始めている人々が音楽家という天職を生涯全うしたいという人が多く、
レッスンして若い人を育てている人も多い。
憩いの家にはコンサートホールもあり

そこでリナ・ヴァスタさんが歌う
80歳とは思えない声で驚いた。
22歳くらいの写真を見て、両親が居て、結婚前の自由な誰からも指図されずに歌っていた頃の話
でも結婚して焼き餅焼きの夫が、コンサートで演奏が終わった時にテノール歌手と抱き合ったのを見て嫌がって、歌手を辞めてしまったと。でも歌は続けていたので、こうしてヴェルディのおかげでまた好きな歌を皆の前で歌える。

財産を残せずに余生を送った音楽家のために建てた憩いの家の入居者たちは
ヴェルディという人間に大いに感謝をしているとのこと。



歌劇「椿姫」 さようなら、過ぎし日々の美しいく楽しい夢よ

歌劇「運命の力」 天使の中の聖処女よ

世界でただひとり君を愛す


この放送を見ることが出来て良かった。
ヴェルディについて
また一つ思いが重なりました。

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