安心、安全と美味しさへのこだわり
そんな「こだわりの農業ブログ」を毎日更新
主役の妻は生産部長、夫は営業部長兼雑用係
母屋に薪ストーブが設置されるまで未だ一カ月以上はかかる見込みだが、棟梁さんにプレッシャーをかける
意味もあって薪の準備を始めた。
昨年春に玉切りして庭に重ねていた丸太を「薪割り機」で割るには50cm以下にしなければならない。
長さが超えるものはチェンソウで半分に切断しながら薪割りを進めた。
(薪は運搬車で母屋の裏の庇の下に運んで並べた。そこは雨や雪を防げる場所なので更に乾燥が進むと思われる。)
「薪割り機」にかけた丸太は乾燥しているためか気持ちいいぐらいパキンと割れるので作業は順調に進んだ。
里山の伐採や枝打ちもそうだが樹木に触れる仕事は何故か癒される。
他にもやるべき仕事はあるが薪作りをしているとついつい嵌ってしまいそうだ。
東の里山には搬入し切れなかった丸太が雪の下に沢山転がっているが、それらも早々に運び込んで薪割りを進めたい
気持ちになった。
「クンタン焼き」がようやく終わったので籾殻の山を片付けられるようになった。
一部は鶏舎に入れたが残りの大部分は四方に点在するミョウガ畑に撒くつもり。
久し振りの肉体労働となり途中で脚がコタコタになったので半分近くを残し明日に順延した。
今年度は厩の改装に続き母屋の薪ストーブ導入に伴う工事が進行中なので、その関連でも結構
時間がとられている。
特に一番の稼ぎ頭である生産部長が大工さん達の一服の準備に時間がとられるのが痛い。
しかし、工事が終わるまでは施主の当然の義務として続けなければならない。
当地の大工さんは午前10時と午後3時に30分の休憩をとるのが一般的となっている。
危険が伴い神経の使う仕事なので安全上も必要不可欠な休息かと思われる。
その分働く時間は朝8時からスタートし夕方5時30分までとなっている。
三人とも良く働くし棟梁さんは色々と有益な提案もしてくれている。
霜後は僅か18戸の小さな集落で「皆喧嘩もせず仲よく暮らして来た」と18年間区長を務めた経験を有するジ
イチャンはいつも自慢の種にしていた。
転勤でジプシー暮らしをしていた時代は、そんな話しをまともに信じていたので当集落はジイチャンも含めて「立派な人達
の多い集落」かと思っていた。
ところが、一緒に暮らすようになって「聞くと見るとは大違い」に気付かされた。
ジイチャンは「何の見識も持たず、ただ周囲に迎合しているだけの人」だったし、集落の「世論」は公の場の議論によって
ではなく「他人の悪口を言いふらして回る」数人の不埒な連中によって作られ、しかもルール無視は日常茶飯事でそれに
異議を唱える人間も居ない無法地帯だった。
そんな「平和偽装集落」に少しだけ世間の荒波に揉まれた異端児が入り込んだことで混乱が生じるようになった。
(白モクレンの冬芽)
つい先日も「皆仲よくして来たのにアンタが一人でかき回している」と中山間の代表役員から直接非難されたばかり。
しかし、たった一人の「よそ者」に振り回されるのは「それだけ法律にも反するような非常識なことが行われている証拠」
とも言える。
「風土」はよそから吹き込む風と土着の民との融合で出来上がるという。
安易に土着の民に迎合したのでは「風」の役割の放棄につながると思っている。
忙しくて後回しにした秋仕事の一つに「大豆の脱穀」がある。
全体の三割近くの大豆がハウスの中で脱穀を待っていることから、遅まきながら「ヘソ大根作り」と
並行して進めることにした。
こんなお粗末な仕事の進め方をしているのは「我が家だけかも」と思っていたら、同じ大豆を出品し
ている生産者仲間のAさんが「未だ脱穀前の大豆が残っている」と年末に嘆いていたのを聞いて嬉しく
なった。
他にも同じように手が回らない生産者が居るのかもしれない。
大豆は脱穀、乾燥、選別と機械化しない限り「かなり手のかかる作物」の部類に入る。
それでなくとも忙しい「収穫の秋」に全部をこなすことは難事業となっている。
以前紹介した「生産者偽装&産地偽装」の疑いのある某氏は、秋の早い段階から黒豆、アオバタ豆、小豆を
一斉に大量出品する。
一品だけでも大変な作物を「三種類同時出品」という離れ業を見せられると自ら生産しているとは到底思え
ない。
そもそも「多面的機能維持支払」は「中山間地支払」の続編みたいな制度で、取り組む事業内容は
重なる部分も多い。
以前紹介したように当集落の中山間事業は役員達の「中間搾取事業」と化していたのを数年かけてよ
うやく本来の補助金の趣旨に沿った形に是正したばかりだった。
(釜茹で後に水に浸している大根)
それが今回の新たに補助金が制度化されたことにより「夢よもう一度」と役員達は再び以前のような
我田引水の「共同事業」を企図しているようだ。
総会も開催せずに事業を進めようとする背景にはそんな目論見が見え隠れする。
しかし、「失われた10年」の再演は絶対に阻止しなければならない。
引き続き孤軍奮闘となるが、それが自分に課せられた「使命」と受け留めている。