彼らはデパート直営らしいお好み食堂風の店に入った。平敷によればお子様ランチから洋食、和食、中華なんでもあるからどんな好みの相手でも安心して連れていけるというのである。ウェイトレスが窓際の席に誘導しようとしたが、彼らは店内を見渡して壁際の席を選んだ。そろそろ第二次回転期に入った店は八割がた客が入っていた。昔から二人は窓際で一人が窓を背にして、相手が窓に向かって座るようなテーブルには座らないのである。同様に一人が壁を背負い連れが壁と睨めっこするような配置の席には座らない。彼らが座った席は二人とも片側に壁がある。左利きの平敷は左肘のスペースが広く使える側の椅子に座った。右利きのTはその反対側に席を取る。
顔がオキシフルで脱色したような色をしたちょっと日本人離れのした目鼻立ちの年齢の想像できないウェイトレスが注文を取りにきた。艶のない髪を肩の後ろまで垂らしている。顔の色のせいかまったく生気の感じられない表情をしている。平敷はうな重を注文した。Tはおかめ蕎麦を取った。二人は生ビールも注文した。
「そんなに鰻が好きなのかい」と平敷に尋ねた。彼はいつでも鰻を注文するのである。
「ああ、君は鰻が嫌いか」
「嫌いじゃないけど、昔と味が違うような気がしてね。みんな養殖だからかもしれない」
「昔は食べたのか」
「うん、こんなうまいものはないと思っていた。いつ頃からかな、全然うまいと思わなくなった。嗜好が変わったのかもしれない。だけどそれだけじゃないな。やっぱり養殖だからじゃないか」
「それは考えすぎだよ、君」
生ビールのジョッキがきた。
「ところで最近はどんな本を読んでいるんだい」
「君に頼まれた、通り魔関係のノンフィクションを二、三冊ね。ざっと目を通した」
「あいかわらず哲学関係の本も読んでいるんだろう」
「そうね、いま読んでいるのはハイゼンベルグの『部分と全体』だな」
「ハイゼンベルグ?そんな哲学者がいたっけ、理論物理学者で有名な人はいたけど」
「その物理学者のハイゼンベルグさ」
「どうして読んでいるだ」
「例によってふらふらと市中徘徊をしていてさ、ある書店で見つけたんだ。人文コーナーにあったから見つけたんだが、タイトルがなんとなく哲学的だろう。しかしハイゼンベルグというのは僕も名前だけは聞いたことがあった。たしか有名な物理学者でノーベル賞も受賞している。まさかその人じゃないだろうと思って書棚から引っこ抜いてみると、まさにその人なんだね。序文を日本のノーベル物理学賞受賞者である湯川秀樹博士が書いている。そこだけ読むと理論物理学の突き詰めていく先、あるいは発想の出発点と言ってもいいかもしれないが、かならず哲学的なテーゼがあるというんだな。これは僕のフレーズだぜ。湯川博士の正確な文章の引用じゃない。僕の受けた印象だ。僕に言わせれば形而上学的思想というべきだがね。僕の前々からの主張だよ。君も知っているだろう」
「そういえば、大学では科学哲学をやっていたんだな、君は」
「それとね、もう一つ気にいったのはパラパラをページを繰ってみると数式が一行も出ていない。知ってるだろう君も僕が数学が苦手なのは」とTは高校の同級生であった平敷の顔を見た。Tの高校での数学の成績は2であったのである。
「しかしね、もう一つ購入を躊躇させたポイントがあるんだ」
平敷は不思議そうにTを見ると生ビールをあおった。
「これはみすず書房の本なんだが値段が4500円なんだ。400ページ足らずの本でね。大体この書店の本は高いけどこの値段には驚いた。本棚の隣にあった別のみすず書房の本は倍以上のボリュームで2500円くらいだ。どうも僕は本を目方で評価する悪い癖があってね。ちょっと高いなとスルーしたんだ。それでその書店を出て市中徘徊を続けたんだが、どうも気にかかってね。さっき話した自然科学とくに原子物理学の根底には形而上学的バイアスがあるという僕の考えを述べた哲学者や物理学者の本というのは見たことがないんだ。とくに数式なしに説明したのはね。本来そのような主張には数式は不要のはずだ。そこで考え直してその書店に戻り買ったわけだよ」